第15話 最古の予言書


 古事記とは、712年に編纂へんさんされた日本最古の歴史書である。


 日本書紀とは、720年に編纂された日本最古の正史である。


 両者は記紀ききと総称され、内容には共通部分も多い。同時代に二つの歴史書が生まれた理由としては、前者が国内向け、後者が国外向けであったとも考えられている。


 ともに天地開闢てんちかいびゃくから始まり、天孫降臨てんそんこうりんを経てイワレビコ(後の神武天皇じんむてんのう)の誕生までを神代かみよとし、以降は歴代の天皇と主な出来事が記されている。


 この神代の部分を記紀神話ききしんわと呼ぶが、神武天皇もまた神話的要素が強いとされており、即位の契機となった神武東征じんむとうせいにおいても神々による積極的な関与が窺える。


 これら神話の歴史的意義としては、皇祖神こうそしんアマテラスを始めとする天孫てんそんニニギ、神武天皇に連なる天皇家による支配の正統性を示すためと考えられている。


 天皇家のみならず、古代豪族においては祖先に何かしらの氏神を持ち、それらはニニギに陪従ばいじゅうした天津神あまつかみであったり、或いは服従した国津神くにつかみであったりすることが多い。


 つまり、自分たちの祖先である神々の段階で序列を定め、その子孫たる一族にまで反映させようとしたわけである。


 いわば神とは一族にとっての歴史そのものであり、神話もまたかつて起きた出来事を象徴的に描いたものであると考えることが出来る。


 しかし、そのような学説に異議を唱える者がいた。葦原大学あしはらだいがくで神話学の教鞭を執る『登美長とみなが 澪見みおみ』教授である。


記紀ききとは歴史書ではない――予言書である」


 その仮説は神話学会において、失笑あるいは嘲笑により迎えられた。神代を歴史的事実と見なすかについては議論の余地があるが、過去ではなく未来であると主張したら当然の反応だろう。


 だが、壇上で発表する彼の姿は鬼気迫るものであった。我々こそが国津神くにつかみそのものであり、いずれ天津神あまつかみが支配しに来るのだと頑として譲らなかった。


 力説の代償として、彼は学会を追われることとなった。学長の温情により大学に籍を残すことは出来たが、研究者としての将来は閉ざされたといっても過言ではなかった。


 しばらくの間、彼の受難は続いた。学会を追放され、研究費は底をつき、助手や教え子たちも彼のもとを去っていった。


 しかし、捨てる神あれば拾う神もある。ある日、彼のもとに研究のスポンサーを申し出る人物が現れた。


 『三炊みかしき 玖来那くらな』、関東を地盤として日本の政財界に強い影響力を持つといわれる三炊みかしきグループの令嬢である。


 潤沢な資金と手厚いサポートを得た彼は、まさに水を得た魚のように研究に励み、やがていくつかの革新的な発見をするまでに至った。


 そして、いつしか二人の間には愛が芽生え、公私ともにパートナーとして二人の子宝に恵まれることとなる。


 全ては順風満帆のはずであった。しかし、スポンサー契約において交わされた制約――研究成果の外部への秘匿が、彼の胸に重荷として圧し掛かっていた。


 研究者としての顕示欲ではない。危機感と責任感、いずれくる災厄に対して警鐘を鳴らすことが彼の使命だと考えていた。


 意を決して仮説の公表を打ち明けた彼に、妻は非情にも契約の破棄と離婚を切り出した。そのときになって初めて、彼は自分が利用されていたことに気付いた。


 妻の実家である三炊みかしき家は日本屈指の女系の一族である。妻の興味は最初から自分の研究と娘にしかなかったのだ。


 三炊みかしき家のサポートを失い、学会にも居場所がない彼は大学で細々と研究を続けた。いつか自分の仮説が認められる……そんな最悪な未来を信じて。

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