第6話 義兄妹の誓い(後編)


 先の柱を横目にしながら黄泉平坂よもつひらさかに足を踏み入れる。案の定、後ろから複数の醜女しこめが追い掛けてくるのを感じた。


 かつて、イザナギもまた醜女たちの追撃を受けながら、山葡萄やまぶどうたけのこ、桃の実を投げ付けて窮地を脱したという。


 つまりは、とても食い意地が張っているのだ。しかし、それはすなわち、捕まれば俺自身も喰われる可能性が高いことを意味していた。まさしくゾンビである。


 最近の走るゾンビと違い、醜女の動きはそれほど機敏ではない。とはいえ、俺もまた幼女を背負いながらでは速度が出ない。


「ゼーゼェー、ハーハァー」


 息が切れる。足が重い。腕が張る。こんなこと、いつ以来だろう。昔、まだ両親が離婚する前、こうして妹を背負って家に帰った記憶がある。


 あの頃は妹が足を怪我して、それで俺がおんぶしてやったんだった。もっとも、家に着いたら母さんから烈火のごとく叱られた。まったく、理不尽たらありゃしないよ。


 ……そう、帰るんだ。俺が死んだら妹が悲しむ。妹を三炊あんな家で一人きりにするわけにはいかない。


 そして、それと同じくらい、この子を死なせるわけにはいかない。今日初めて会ったはずなのに、俺はそう強く決意していた。


「あなたは……だれ……?」


 不意に背中がもぞもぞと動くと、幼女が俺に向けて声を掛けてきた。どうやら意識が戻ったようだ。


「ああ、俺は登美長とみながっていうんだ。悪いけど、今はこのまましがみ付いていてくれ」


 自己紹介にもならぬ簡素な名乗り。少しでも気を抜いたら追いつかれてしまいそうで。でも、彼女が驚いたようにハッと息を呑んだのが分かった。


「とみ……なが……とみ……なが……ひこ?」


 何度か俺の名を繰り返す。漢字で書けば珍しいが、おんとしてはありふれたものだ。しかし、彼女は次の瞬間、思いも寄らぬ言葉を口にした。


「やった……やっと、やっとだよ。また逢えたね、お兄ちゃんっ!」


 おっ、お兄ちゃん? 確かに年齢的にはおかしくないけど、うわっ、首筋に頬ずりをしてきた。こんな可愛らしい子にされて嬉しくなくもないが、今はそんな場合ではない。


「良いから大人しくしてくれ。じきに追い付かれるぞ」

「あと、もう少しだよ。私が乗ってきた天磐船あまのいわふねがあるはず」


 天磐船あまのいわふねだって? 確かに、あれに乗って神様が降りてきたという伝承があるけれど……。


 しかし、このまま上り続けることは不可能だ。先に進んだ黄泉戦よもついくさたちと出くわす可能性もある。俺は一縷の望みを賭けて、天磐船あまのいわふねがあった窪みを目指した。


「なぁ、そこにいけば本当に俺たちは助かるのか?」

「うん、きっと。でも、私に残った力で動くかどうか」


 彼女は力を消耗している。それに勾玉を失ったことで、その威光が消えかけていることが俺にも感じられた。


「でも、お兄ちゃんと一緒なら……必ず出来るはずだよ」

「そうか、ところでなんでお兄ちゃんなんだ?」


 先ほどからずっと疑問だった。彼女の声色は肉親……それも、遥か長い時を経て再会した相手に向けられたものに感じられた。


 彼女はその問いには答えず、しばし黙り込む。少し言葉にトゲがあったかと俺は気を揉んだが、やがて意を決したように耳元で囁いてきた。


「ねぇ、また私のお兄ちゃんになってくれる? そして、今度こそ……死ぬときは一緒だよ」


 そこには甘美さがあった。絶対的なものに求められた悦びがあった。なお、誤解しないでほしいが、俺はロリコンではない。


 しかし、死ぬときは一緒か。縁起でもないし、本当なら注意しないといけないが、こんな生きているか死んでいるか分からない状態では仕方もない。


 どのみち、追い付かれたらそうなるんだ。俺は喰われて、彼女は食わされる。二人仲良く黄泉国の住人……そんなの、クソくらえだ。


「我ら二人、生まれし日、時は違えども兄妹の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。

 同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わんっ!」


 どこかで聞いたような誓いの言葉が勝手に口を伝う。既に精神も肉体も限界を超えていた。


 やがて、見慣れた窪みに駆け込んだ俺たちは、二人同時に天磐船あまのいわふねへと触れる。そして、眩いばかりの光が辺りを包み込んでいった……。

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