第7話 日常の終わりに
空に浮かぶように、或いは海に沈むように。微睡みに意識は
ここは何処なのか、自分は誰なのか、全ては淡く広く溶け込んで、何も考えられなくなる。
それはとても怖いこと。でも……とても幸せなこと。
かつて、誰かがこんなことを言った。人は泣きながら生まれてくるのだと。
やれることが多いほど、苦しみもまた増えていくのだから――
……
どのくらいそうしていただろう。気が付くと、俺は
中央に建てられた時計を見上げる。ちょうど縦に一本……18時を示しており、待ち合わせの時刻から既に6時間が経過したことになる。
夢でも見ていたのだろうか。揺れを感じて地面に倒れ、そのまま眠ってしまったのかも知れない。
そうだ、あんなことが現実に起こるはずがない。
でも――
「う、うぅん……おにぃ……ちゃん?」
隣で寝惚け眼をこすりながら起き上がる幼女と、背後に転がる
俺は、俺たちは、何とか地上に帰還することが出来たらしい。
しかし、安心するにはまだ早い。まもなく黄泉国の地上侵攻が始まる。
とにかく、今はゆっくり休みたい。俺はもうくたくたで、彼女もまた消耗戦の疲労が抜けきれてはいないようだ。
「帰る場所……なんてないよな。取りあえず、うちに来るかい?」
俺が声を掛けると、彼女は嬉しそうにはにかむ。それは歳相応の子どもらしく、闘技場で見せた孤高なまでの美しさとはまるで別人のようであった。
「自分で歩けそうかな。じゃあ、そろそろ行こうか……ええと」
そこで俺は彼女の名前を知らないことに気付いた。イザナミは
俺の問い掛けの意図を察したのか、彼女が逡巡しながらこちらを見つめる。そして、絞りだすように言葉を紡いだ。
「ニギ……ハヤ……」
ニギハヤヒ、神武東征に登場する大和地方を治めていた神だ。
アマテラスから
まったく、何から何まで出来過ぎている。普通ならば悪い冗談だと笑い飛ばすところだが、あの光景を見たら嫌でも信じざるを得ない。
「ニギが名字で、ハヤが名前か。これからよろしくな」
しかし、俺はわざと現実逃避した。いまさら神様と奉るには遅すぎる。それに彼女、ハヤちゃんとは先ほど義兄妹の契りを交わしたばかりだ。
俺の心情を知ってか知らでか、ハヤちゃんは俺の手に指を絡めると二人並んで家路に就く。どこからどう見ても仲が良さそうな兄妹……だったら良いな。
帰り道、試しに親父に電話をしてみたが、通信制限をしているというメッセージが流れるだけで、結局繋がることはなかった。
災害時には皆が一斉に安否確認などで電話を使用するため、回線が混雑してパンクしてしまうと聞いたことがある。
あの揺れが現実のものであったならば、かなりの被害が出ているかも知れない。しかし、帰路に眺める街並みはいつもと変わりないように思えた。
いや、一つだけ妙なことがある。
もう18時を過ぎているというのに、一向に外が暗くならないのだ。2月の日の入りは17時くらいのはずである。
しかし、空に見えるのは厚ぼったい雲ばかりで、まるで夜という感じがしない。高緯度地方では日が沈まぬ白夜の季節があるが、日本では聞いたこともない。
それでも、とにかく今は休みたい。ハヤちゃんも気丈に振舞ってはいるが、その足取りは生まれたばかりのヒヨコのように覚束ない。
いっそ背負ってあげようかとも考えたとき、視界の先に見慣れた我が家が姿を現した。俺は安堵しながら玄関を開けると、倒れこむようにして中へと入る。
「まあ、何もないところだけどゆっくりしてくれ」
その勢いのままに居間のソファにどっかりと腰掛ける。ハヤちゃんも隣にちょこんと座ると、突然糸が切れたように身体をこちらに預けてきた。
規則正しい寝息が聞こえてくる。やはり、よほど疲れていたのだろう。俺は起こさないように注意しながら、そばにあったリモコンでテレビを付けた。
案の定、どのチャンネルも災害報道で持ち切りだった。あのテレビ西京までがアニメを中止しているのだから、尋常ではない事態であることが窺える。
「気象庁の発表によりますと、今回の災害の……地震計は……飛翔体が…………」
ダメだ、全く頭に入ってこない。ハヤちゃんの寝顔に誘われるように、俺の意識は深い闇の底へと沈んでいった……。
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