第四話 二人の弟のこと

 「悪魔」と過ごした日々のことを思い出しながら、私は日課の早朝一時間のランニングを終えた。私は丁度一時間で十四周を終え、王宮裏口のスタート地点に着いたが、一緒に付いてきたクラヴは四周目に差し掛かったあたりから姿を見ていない。多分あと二十分ぐらいしたら着くのだろう。私は裏門の前に座り込み、クラヴのことをじっと考えていた。

 あの子は誕生とともに何者かに呪われ、その治療のために離れて暮らしていたために、つい最近まで一緒に過ごしたことがなかった。それこそ今から三ヶ月くらい前に初めて顔を見たほどだ。「悪魔」との別れから三ヶ月たった頃だったので傷心も多少は癒え、仲良くしたいと思ったが、私はクラヴの態度や振る舞いに違和感を抱き、なんとなく警戒心を解けないでいた。

 クラヴは呪いの後遺症で身体が弱く、魔力のめぐりもあまりよろしくない。魔法が使える人種というのは本来身体に使うエネルギーを魔力に回すよう進化しただけに過ぎないから、血液のように流れるべきそれが滞りがちなクラヴの体力は同い年の平均値と比べると格段に落ち込むだろう。それもあってあの子は今回の旅に向けて特に熱心にトレーニングに励んでいる。まあ、見ての通り私に追いつくのも遠い話になりそうだが。

 ……呪った犯人はあの「悪魔」だったりするのだろうか。結局お互いのことは殆ど話さずじまいだった。私は彼のことを「悪魔」さん、と呼んだし、「悪魔」は私を「アザミ」と呼んでいた。

 一方ティスは特に問題を抱えることなく私と一緒に過ごしてきた。ただ、旅のことは全くの無関心だ。いや、生きることに喜びを見出していないと言うべきか…。彼の頑張りらしい頑張りを一度も見たことがない。それなのに私がティスに学業や魔法実技で勝ったことが一度もない。別に学力はともかく、魔力の量は二人共大して変わらないのにも関わらず、だ。ときどき言葉を交わすことがあっても常に先を読まれているような…そんな返事ばかりだ。だいだい何を言うか予めわかっているような口ぶり。まるで私という人間を私以上に知り尽くしているようだった。

 今日の魔法戦闘ではなんとか一勝したいと考えているとクラヴがへとへとになりながら戻ってきた。ちなみに魔法訓練の授業は専門の指導の先生のもと行われるものだ。当然魔力のない人種が通う学校の科目には含まれていない。

「あーあ、出発まであと半年もないのにこんな感じで僕大丈夫かなあ。足引っ張ったりしないといいんだけど。」

二人でシャワーを浴びに三階の浴室に向かう途中でクラヴが言い出した。

「まあ、きっとなんとかなるわよ。私達は三人で『精霊巡り』に挑むことになるんだから。クラヴよりも心配になるのはむしろティスね。」

「ティスは…僕たちより強いから、どうだろ。」

「なんていうか、私はただの天才より出来なくても頑張る方が好きよ。だから心配しないで。もしものことがあったらティスを見捨てて二人でやるのよ。」

「いやいや、みんなで無事に帰ろうよ…。」

「嘘よ!ジョーダンに決まってるでしょう!ジョーダン!」

二人で顔をニヤつかせながら脱衣所前で別れた。

 私はモヤモヤした感情を抱いたまま汗で汚れた服を脱いで浴室に入った。ここは一般的なものと比べるとやや広い。一度に四人が使えるよう設計されたものだ。シャワーの蛇口をひねり、全身に暖かい雨を浴びた。ひとしきり汗を流してスポンジを使って身体を泡で包んで、また流した。でも、心のモヤモヤは流れなかった。

 本当はもっと腹を割って二人と話したい。結局この三ヶ月の間こんななれ合いの冗談を言い合うだけの仲からなかなか進展していない。姉弟の関係ってこういうものでいいのだろうか。これだったらある意味「悪魔」との時間のほうがより兄妹っぽいものだったように思える。……姉弟なのにこんな表面上の付き合いだけでいいんだろうか。このままじゃ「悪魔」を拒絶したあの瞬間の私と大きな違いがないようにさえ思ってしまう。私は何も変わっていないのだろうか。

 きっとこんなときに「悪魔」がいたら、焦り過ぎだとか、姉弟とは常に気を置けない仲でいるべきものじゃないとか、そんなふうに励ましてくれる気がする。励まして……くれる……。

「どうして……。」

半年前にとっくに渇れたと思っていたのに、シャワーとは温度の違う滴が私の目に溜まっていった。

「あなたがいなくなりさえしなければ、私こんなに寂しくなんかならなかったわ……。」

 突然脱衣所の方から物音がして私は慌てて平常心を取り繕い、すれ違うようにしてそそくさと出ていった。顔は見なかったが、多分鉱物系人種の第四夫人、メタリアル夫人だったように見えた。彼女の足音はいつもガチャガチャと騒がしいからだ。父はほぼ毎晩第一夫人、第二夫人、第三夫人と順繰りに一人ずつ夜を共に過ごしている。中で何をしてるか父に一度聞いたことがあるのだが、これもまた無言の圧力で制されてしまった。仲良くトランプでもしてるのだろうか。それとも読み聞かせ?

 風邪を引かないように身体をよく拭いて、真っ赤コーデVer.2に着替えてから二階の大広間へ向かった。

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