第三話 地下牢の男(後編)

 私が発した言葉はあまりにも小さく、男には何も伝わらなかった。私はこの男が何か言ってくれないか、いっそのこと帰るように命令してくれないかと、私から話しかけたことも忘れていい加減な事ばかり考えて、恥ずかしくてたまらなくなった。とっくに明かりはなくなっているのに、目の前のこの男が鉄格子にしがみついてこちらを睨みつけている輪郭ばかりが鮮明になっていた。緑色の鱗が並んだ顔から額の血の滴が滴り、地下道の小さなくぼみに溜まっていった。まるでこれが溢れたときに男の怒りも限界を迎え、私の最期になると暗示するように。そう思った矢先、男の指が一瞬動いた。私は

「あの!」

と言って制した。いや、制したというのは思い違いだろうが、とにかくさっきよりずっと大きく張った声をぶつけた。

「あなたは、だれ…?」

さっきまでの威勢はあっという間に消し飛び、また弱々しく言葉を投げかけた。

「そんなことはどうでもいい。」

男は無気力に返事をくれた。まさか返事をしてもらえると思ってもいなかったので、不意をつかれたような形になり、心臓と身体がが低く飛び上がった。私はろくに働かない舌と頭をフル回転させてなんとか返事をした。

「私、今日初めてこの地下牢を知って、ここが何なのか、知りたくって、えっと。だから、その、まずはあなたの名前からとか思って…ぁ、…ぅ。」

消え入りたい。

「じゃあ」

男が言った。

「自分の顔ぐらい見せるのが人に物を聞く礼儀じゃないのか。なにも見えないだろ。」

私は言われるがままに魔法で灯りを灯した。男の鱗が光を反射して輝いているようにも見えた。すると、男が光を手で遮って、

「それは眩しすぎる。」

と顔をしかめた。私は光をこれ以上弱くすることは出来ない旨を伝えて、落ちて消えた蝋燭を指し示した。男は蝋燭を拾い上げて私に差し出した。

「火、付けてくれ。」

「え…。」

あまりに突然の催促に私は少々困惑した。

「なんだ、出来ないのか。」

「あ、あなたが付けてくれれば…?」

「ここにはマッチ一本ないし俺は魔法も使えないんだ。使えるんだろ?魔法。」

確かに魔法は使えた。でも、火の魔法は私がまともに授業を聞いていなかったのでそのときは使えなかった。私がまごついているのを見て何かを察した男は舌打ちをして、光が入りにくいように目を薄くして話し出しだした。

「で、ここが何なのかって?見ての通り、悪ーい大人を閉じ込めておくための場所だ。」

…それだけ?

「わかっただろ?帰れ。」

私は必死に疑問を投げつけた。

「待って。私はあなたがとても苦しそうにしているから話しかけようと思ったの。」

「牢屋に捕まってるんだから苦しいに決まってるさ。悪いやつは死んで然るべき。知ってるだろ?」

違う…。

「私は…あなたの心が痛いのが見えた気がしたの……。」

「……。」

私は続けた。

「悪人でも、いずれは外に出るんでしょう?誰かと笑って暮らすんでしょう?あなたも。だから、あんまり辛いものを抱え込まないでほしいと思って……。」

慌てふためきながら言ったにしては我ながら上出来だと思った。男は私の言ったことに酷く困惑したらしく眩しいのも忘れて目を大きく見開いていた。

 二人の間に沈黙が流れた。

「だから、名前を教えてくれない?」

私は落ち着きを取り戻して、なるべくゆっくり、それでハキハキした声で質問した。

「俺は外には出られない。」

「え?」

「俺は…悪魔だ。」

 …悪魔。私は記憶を遡った。それは清き生を謳歌する者をたぶらかし、いたずらに力を与えて世界を狂わせる邪なる存在だと、私は父に言い聞かされてきたことを思い出した。私達王族含む魔法貴族は代々この世のものでない悪魔を撃退する力を持って生まれたのだ、ということも。だからラタリ王国の各地には有力な魔法貴族が配置されており、その地を治めている。そして、その数ある魔法貴族の中で最も優れた魔力を持つ一族というのが私達ポームの家系だ。

「この首輪が見えるか?俺が魔法を使えばコイツがそれを察知して自動で締め付け、首を切断するようになっている。勿論外せないさ。」

 私達が大人になる目標の「完成形」が目と鼻の先にいる。悪魔を撃退する、それが私達の使命…。

「…なぜここに閉じ込める必要があるの?半端に傷つけるくらいならトドメを…刺したほうが……。」

失言した。なんてことを言ったんだと思った。

「悪魔は…悪魔は…。」

「ほらな、悪いやつは死んで然るべき。お前も結局はそうなんだろ?所詮は偽善に過ぎない。」

 頭をガンと殴られたようになった。人生で初めて自分を嫌悪した。助けたいと思ったその人が悪魔だと分かった途端に私の醜い部分が手のひらを返すよう促し、私はいとも簡単にそれに順じた。私の優しさは、その程度だったんだ……。落ち込む私を「悪魔」はじっと見つめていた。

「でも、嬉しかったぜ。『悪人でも誰かと笑って暮らす』って言ってくれてな。…俺はやっぱり悪魔だ。自分の正体を明かすことで、こんな可愛い子を偽善者だと決めつけて泣かしたりしてさ。…もうここには来るな。」

 私は喉元が熱くなってえずいた。

「ごめんなさい…ごめんなさい…。」

私は変わらなければならなかった。悪魔を無条件に憎む私から。

…だから、そのために。好奇心なんかじゃない。

「それでも、あなたと話すことを諦められない。」

泣きじゃくる私に、「悪魔」は手を伸ばして私の頭を撫でた。

 それからだ。私が真面目になってトレーニングやら何やらを始めたのは。私は時々人目を忍んで「悪魔」に魔法の簡単な稽古を付けてもらった。私達は良き友人になり、お互いの相談者にもなった。

 私はもっと沢山のことを学ばなければならない。だから「精霊巡り」で誰よりも多くのことを体験したい。これから大人になる私に何が出来るのか。何をすべきなのか。悪魔と共存する道はないのかを探したい。絶対に失敗するわけには、いかない。

 ……それから二年と半年ほど経ったある日、私は「悪魔」のもとへ行った。誰もいなかった。彼は私の父である王の手によって、誰にも知られることなく、ひっそりと、処刑された。

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