僕の見た夢の続き

へっぴりもち

1話目〜盲目の人〜

「俺は、俺の人生を酷く後悔している。」

Aはいつも通りの言葉を吐いた。これは彼の昔話が始まる合図だ。何度も聞いた変わらない話。私は彼の向かいにある椅子に腰をかけ、その話に耳を傾けた。


彼は小さい頃から写真が大好きだった。親の影響もあってだろうか、幼いその手には似つかわない、大きなカメラを携えていたのを私は覚えている。彼は、どんな時でもカメラを離そうせず、綺麗な写真を周りの人に見せて回っていた。そんな彼を見ていた私も、次第に写真を興味を持ってしまい、気づけば彼と長い付き合いになっていた。


彼は時たまに夢を語っていた。それは、世界で1番美しい景色を自分のカメラに収めること。あまりにも抽象的な夢だと私は呆れたが、その景色を探してシャッターを切り続ける彼を見て、本当にその夢を叶えてしまうのではないかと感じた。そう思うほどに、彼の熱意は凄まじいものだったのである。


そして、彼はプロのカメラマンになった。小さな個展を出すぐらいには有名になり、それで生きていけるぐらいの稼ぎもできた。仕事をしながら、当時も変わらずにシャッターを切り続けていた彼は、その生活の中で、彼の心を射止める人と出会ったらしい。気持ちが通じ合い、自分の夢を馬鹿にせずに応援してくれる優しい女性だそうだ。正直な話、彼は人に全く興味がなかったもので、将来カメラと結婚すると思っていたものだから、私はとても驚いた。幸せそうな彼の姿を見て、これから先もずっと変わらずに夢を追い続けるのだろうと、羨ましく、少しだけ寂しくも感じた。


しばらくして、彼は家に帰る時間がどんどん減っていった。自分の夢を叶えるために、世界の様々な場所に旅立っていたからだ。前までほぼ毎日通話をしていたぐらいの私であっても、1週間に1回通話をすれば多い方になっていった。


そんな中で、彼に悲劇が起こった。海外旅行中に、目を負傷してしまったのだ。そしてすぐに手術を受けたが、医療体制が充実している地域でなかったためか手術が間に合わず、両目を失明してしまった。目が見えなくてはもう写真を撮ることは出来ない。その時の絶望は、彼にとって耐え難いものだったと思う。しかし、彼の人生の後悔はそこではないのである。


彼は今、盲目でありながらも、簡単な家事をしながら元気に生きている。その生活が出来ているのは、妻の励ましがあったからだと言う。もし妻がいなかったら、俺はもう別の場所に旅立っていたかもしれないと笑う彼は、悲しそうに見えた。その冗談は間違いなく強がりだ。彼が昔話をする時は、決まって弱音を吐く時なのだから。私はその冗談を愛想笑いで返しつつ、彼に少し心配だと伝える。大丈夫だと彼は答えたが、しばらくの沈黙の後、観念したかのように重々しく言葉を繋げた。


「勝手に家を飛び出して、めくらになって帰って来た俺を、妻は好きだと言ってくれた。見離さないと言ってくれたんだ。俺は...俺は...。叶うならもう一度妻の顔が見たい。俺が夢に見ていた、世界で1番美しい景色は...俺が見るべきだったものは...こんなに近くにあったというのに...!!」


彼は自分への怒りで小刻みに震え始める。私は自責の念に苛まれているその背中に手を置き、ゆっくりと動かした。ありがとう。と小さな声で返事をする彼の目には涙が溢れていた。そろそろ潮時だろう。私は彼に家に帰ること告げ、大したことのない量の荷物を背負い、玄関の扉を開けた。


「また、話をしに来てくれないか?今度は妻と一緒にご飯でもしよう。彼女の作るシチューは最高なんだ。」


そう言うAに、もちろんだと伝え、私は帰路に着いた。帰りに今日の晩御飯を買って行こう。気分が晴れやかになる、そんな晩御飯を。


日が落ちて買い出しが終わり、私はゆっくりと玄関の戸を開ける。少し買い過ぎてしまっただろうか、重くなった荷物を床に置くと、ドスンと大きな音が鳴った。その音で私が帰ってきたことに気づいたのだろう。部屋から嬉しそうな声が聞こえてくる。


「おかえり。今日は寒かっただろう。部屋は暖めておいてあるぞ。」


夫は楽しそうに話を続ける。


「そういえば、さっきまで友人が来ていたが、ちょうど帰ってしまったところだ。お前の作る、世界で1番美味いシチューを食べさせてやりたかったんだけどなぁ...。」


私は夫を軽くあしらいながら、いつも通り、その身体を静かに抱きしめた。自分の帰りを待つ大切な人がいる。私は改めて、世界で1番美しいその景色を噛み締めながら、彼の目をじっくりと見つめた。愛おしいその目には、カメラも、写真も、夢も、かつての友人さえも写っていなかった。


光を失った彼のレンズには、私しか写らない。







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僕の見た夢の続き へっぴりもち @hekokimusi0523

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