第11話『太古の魔法だ、そんな頃に人間は存在しない』
「おい、何やってんだよ!」
声を掛けたキヨを、レツは竜に向いたまま何も言わずに左手を挙げて止めた。
キヨはちょっと困惑した顔をしたけど、それ以上は何も言わずいつでも魔法を発動できるようにさらに集中したようだった。
『剣を下ろしたということは、死を受け入れたということか』
地竜の言葉にレツは毅然として首を振った。
「あなたが強いのはわかってる。俺、前にも竜と戦ったことあるし、その時も結構ヤバかった。でも剣を下ろしたのは殺されるためじゃない。だってあなたには、俺を殺す理由がない」
『理由は必要ない、竜のすることに理由は要らない』
「じゃあなんで、わざわざ人を呼び込んで食べてたんだ?」
竜はレツに返されて、また首を傾げた。
竜のすることに訳は要らないって言ってるくらいだから、理由なんて無いんじゃないのかな……
「呼び込んでるのが特別な人で星の力が強いとか何とかそういうのがあるとしても、生命維持のためじゃないってことは、する必要もなかったんじゃん。体のサイズ見たって一人食べたところでお腹が膨れる感じもないし。必要もないのに目的もなく、わざわざ呼び込む罠まで作る? そんな訳ないでしょ、目的はあったんだよ」
地竜は怪訝な顔をした。
……何か、竜がそんな顔すると思わなかった。ちょっとだけ人間味を感じる、困惑した表情。
『目的……』
「あったんだよ、あったはずなんだ。わざわざ呼び込んでた目的が。食べる必要がないんだから、食べる以外の目的が」
俺の隣でフィカヨが小さくうめいて、意識を取り戻したみたいだった。でもまだ傷は深いから、なるべく早く回復魔法をかけないとまた体力を消耗してしまう。
でもきっとハヤたちはあの隙間の方から来ようとしているはずだから、さっきの攻撃で道を断たれている。
「フィカヨ」
俺が声を掛けると、半分以上瞑っている目でぼんやりとこっちを見た。
「ごめん、俺には魔法が使えないから治してあげることはできないけど、大丈夫だよ、みんなが助けに来てくれるよ」
「……りゅ、ぅ……が」
フィカヨは掠れた声でそう言った。うん、それ今レツが話してる最中で……俺は顔を上げてレツを見た。
レツは一歩、地竜に近づいた。キヨが緊張したのがわかる。
「ずっと昔、何か理由があってそういう風にしたんだ。キヨが教えてくれた」
レツはチラッと背後のキヨを見た。地竜は少し顔を上げてキヨを見る。キヨは何だか拗ねるような顔をした。
「原初の文字過ぎて解読不能なところも多いけど、あそこに張られた魔法はここへ誰かを招くものだった。特定の誰かが来たら迷わずここへ来られるように」
そういう言い方をすると人間を呼び込んで食べるための罠には聞こえない。
でも実際には迷い込んだ人間が地竜の目の前に移動して、俺たちのようにもてあそばれた上で食べられていた。食べる必要がなくても、それは変わらないんじゃないのかな。
『小さき者をこの地へ誘い、』
「太古の魔法だ、そんな頃に人間は存在しない」
えっ……俺と同じように、地竜も少し目を見開いていた。キヨは「竜には大した昔じゃないのかも」と続けた。
「だからあれは、あんたが人間を殺して星の力を奪うためのもんじゃない。それ自体に訳が要らないって言うならそうだろうが、ここへ招く魔法を敷いたのは、別に目的があったんだ。それが……叶わずにきたから、迷い込んだもんを食っていた。それが何千年も長く続いて習慣になっただけだ。だから人間を食うのに理由が要らないんじゃない、それ以外の、本来の目的を忘れたんだ」
地竜は怪訝な表情で、不可解なものでも見るように少しだけ首を振って体を引いた。
「だからね、」
レツはそう言って、もう一度竜を見上げた。
「あなたは人間を、人間以外の存在も、目の前に現れたからって殺す必要はないんだよ。それだけの強さがあって太古からの偉大な存在なのに、指先で殺せる程度の存在を殺して楽しい?」
レツがそう聞くと、地竜はやっぱり困惑したような顔で落ち着かなげに視線を外した。
キヨが小さく呪文を唱えて俺たちの上に回復魔法が降りかかった。キヨはレツに集中しなきゃいけないのに、ちゃんと俺たちのことも気にしてくれてる。
「たぶんあなたは俺を殺そうと思ったら、それこそ瞬殺できると思う。でも俺は招かれざる客だから美味しく食べれるとは思えないし、だとしたら何の意味もなくここで死んで星に返るだけ。それも
最初に招こうとした目的があったのなら、単なる習慣の『現れた人間を食べる』ことは目的から外れている。
「そこまでして、弱い存在を殺したいですか。だとしたら、その理由は何ですか」
人を殺したがるような理由が、竜にあるんだろうか。
竜が人を恨んだりはしないだろう、そんなものは超越した存在だ。
『理由は、必要ない』
「必要ないかもしれないけど、天災と違って知性のある偉大な存在が、理由もなく弱い存在をいたぶるのって格好悪いよ。それにそれはたぶん、要らない習慣だ。そんなものは、」
そう言ってレツは持っていた剣を両手で逆に持つと、その場に突き刺した。
甲高い音と共に、剣から細い光が走ったように見えた。地面を走る光は洞窟の壁まで達し、埋もれた鉱石がキラキラと輝いた。
地竜は不思議なものを見るようにレツを見ていた。
「今、俺はあなたの悪い環を断ち切りました。だからもう小さき者が目の前に現れても、命を奪う必要はない」
地竜はぎりっと音がするほど歯を食いしばった。
『……人間風情が、竜に指図するか』
「指図はしてない。理由が要らない理由をきちんと提示しただけだよ。あなたは最初の目的を思い出す必要がある。誰かを待ちこがれていたのだったら、誰を待っていたのか思い出さないと。忘れたままなんて絶対に悲しい」
レツは剣から手を離すと地竜に向かって手を伸ばした。
「思い出そう? 誰を待っていたのかを。そういう想いは、どんな存在にとっても尊いものだよ」
地竜はゆっくりと口を開けて、動きを止めた。
何かを言おうとしているのか、レツを一飲みにしようとしているのか、わからなかった。
レツは圧倒的な強さの竜の前に丸腰だ。でも竜が本気を出してこなければ、さっきみたいにキヨがレツを助けられる。だから大丈夫。そう思っても胸の鼓動が抑えられない。だって竜はあんなにも強大な存在なのだ。
地竜は悩むように、躊躇うように少しレツに顔を近づけては止め、何か言おうとするように口を動かした。
別々の言葉の、どちらを使おうか悩んでるみたいだった。
『人間、風情が……!』
地竜は絞り出すようにそう言って、大きく口を開けてレツに迫った。
レツは逃げずに竜に向かって手を伸ばしているだけだった。キヨも魔法を発動していたけど、それより地竜の方が速い。レツが食べられちゃう!
「レツ!」
すると唐突に、レツの頭上から真っ黒い霧が滝のように落ちてきた。何これ何これ!
レツたちのいるホールだけ豪雨が降っているように、真っ黒い霧がごうごうとなだれ落ちてくる。霧は際限なく落ちてきてレツと地竜を完全に飲み込んだ。
霧の勢いは俺たちのところにまで届き、俺は思わず顔を背けた。
洞窟を吹き抜けた霧の風が止んで俺が顔を上げると、地竜と跪くレツの間に、少女が立っていた。
あれ……あの少女って……!
「やっと見つけた」
少女はそう言うと、地竜に近づいた。
やっぱりそうだ、あの少女、エルフの街でレツが解き放った少女だ。
とても古い存在だってハルさんも言ってた。そしたら、彼女が地竜が待っていた存在なのか?
地竜は一瞬恐れるように後ずさって、それからゆっくりと頭を下げて少女を見た。
「ずっと忘れていたの。そしたら離れられなくなっちゃって、会いに来れなかった」
彼女は一人になりたくなくて、エルフの子をさらっていた。
でもそれももう理由や目的もわからなくなっていたんだ。それくらい長い間、彼女も何かに囚われていた。
「会いに行っていいって言われて、それで……大事な存在があったことを思い出した。だから探したんだけど、見つけられなくなってた。あなたの環が閉じていたから。でもさっき、その環が切れてここが見えた。やっと見つけられた」
少女は地竜の顔に触れ、それからそっと寄り添った。
たったそれだけで、地竜がとても安らかな表情になったのがわかった。少女はレツを見る。
「ありがとう、あなたは二度も私たちを自由にしてくれた。一度目は私を、二度目は彼を。あなたが断ち切ってくれたから、ここを見つけることができた」
少女はレツに近づくと手を差し伸べてレツを立たせた。
それから刺さっていた剣を抜くと、鍔から刃先に向けてそっと触れてからレツに向けて渡した。レツは少しだけ驚いたように剣を見ている。それから顔を上げると、いつものようにふにゃーって笑った。
少女はそれを見て、すごくキレイな笑顔を見せた。あの時の何も写さない瞳じゃなくて、きちんと心が通っている笑顔。
地竜は彼女を手のひらに載せると、俺たちに背を向けて歩いていった。竜の重い足音が洞窟の奥へと遠ざかる。
反対方向の洞窟から、走ってくるような足音が聞こえてきた。たぶんあれはコウたちだ。
そう思ったところで、俺はなんだかすごく疲れて目を閉じた。
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