第10話『小さき者、その命の輝き楽しませてもらったぞ』
どどどど、どうしよう、どうしよう!
俺はとりあえず、横向きのフィカヨを仰向けにした。
こう言う時、仰向けの方がいいのか? それとも横向きのままの方がよかった? フィカヨの呼吸は浅くて今にも止まりそうだ。
俺はランタンを掲げてフィカヨの様子を見てみた。
体中に切り裂かれたような跡がある。何か鋭い爪にやられたような。傷は深いものもあれば浅いものもあって、服に血が染み込んでいるから全身血だらけみたいだった。
「フィカヨ、わかる? 俺だよ、大丈夫?」
大丈夫じゃないのは一目瞭然なんだけど、なんて言っていいのかわからなかった。
傷が深いところがあったら止血するんだよな……でもどこを縛るんだっけ? ハヤが教えてくれたのに全然思い出せない。
フィカヨは小さく咳き込むようにして、口の端から血を吐いた。
あああやっぱ横向きだった? 俺は慌てて横向きにして、それからなるべく触れないようにしながら傷の具合を見た。
こんな、やっと自由に暮らせるって言ってたのに、自由な暮らしが始まる前にこんなことになるなんて……俺はまた涙が出てきて、慌てて拭った。
いや、まだ終わってないんだから、諦めてちゃだめだ。
フィカヨの右足には深い裂傷があったから、避けて垂れ下がるシャツを破いて膝の上をきつく縛った。それから俺のシャツを破いて、折りたたんで傷に載せて固定した。でも全然足りない。フィカヨの傷は全身にあって、俺のシャツを全部使っても傷が覆えるとは思えなかった。
「フィカヨ、今みんなが助けに来るからね、大丈夫だからね」
俺はランタンをフィカヨの前に置いて、それから何かが動いた気配を感じて顔を上げた。
……うそ、なんで……
俺はあまりのことに愕然として動けなかった。
そこには、黒くて岩のような鱗に覆われた、地竜がこちらを見ていた。
……っていうか、竜……? こんなところに?
真っ黒い鱗が俺のランタンの光を受けてキラキラ光る。
ふさふさとした毛は深い緑色で、まるで水底にたゆたう水草のようだった。瞳は透き通った青緑色。ゆったりと頭を揺らしていて、少しだけ笑っているようにも見える。まるで俺たちを面白いものだと思って観察しているようだ。
この辺りにはモンスターはいない。それってエルフの街の影響じゃなくて、この竜の影響? そしたら、これ、こいつがやったのか……?
『久しく見なかった人間が現れたと思ったら、二匹になった』
頭の中に響く声。あの時と同じ。
久しく? 5レクスの外なんだから人がこの辺に現れる事はない。それとも勇者一行がここへ迷い込んだことがあるのか。
でも俺は何も言えなかった。怖くて、怖すぎて視線を外せなかった。もし目を離したら、あっという間にやられてしまう気がする。
『まぁいい、人を知らぬ者なら楽しむこともできる』
竜は俺たちの近くへと顔を近づけた。俺たちなんか一口で食べても、何の足しにもならなそうだ。俺はそっとフィカヨの手を握った。
こんなの、こんな圧倒的な存在が相手じゃ、諦めたくなくたって俺には何もできない。できるはずない。剣を取ったところでサイズが違いすぎる。
竜が上げた前足が迫り来るのが、やけにゆっくり見えた。俺は咄嗟にフィカヨに体を投げ出して彼を守ろうとした。
「……ぅぐっ」
気づいた時には、俺はフィカヨから何メートルも飛ばされていた。
引っかけられた爪が俺の左腕から背中を引き裂いている。ぬるりと血の感触があったのに、不思議と痛みは感じなかった。これってよくないヤツかも……
俺は力の入らない左側を引きずりながら、右腕だけでなんとかフィカヨの近くへと這いずって行った。
フィカヨを、助けなきゃ。せっかくこの国の人になったんだから、ちゃんと自由を満喫しないとだめだ。
俺が近くまで辿り着くと、さっきと同じように大きな爪が俺を引っかけて転がした。俺は為す術もなくまた飛ばされた。手をついたけど、自分の血で滑って体を支えられない。
その時、遠くで呼ぶ声が聞こえた。あれは、コウ? 俺は目を閉じた。
まただ……俺はまたコウの言う事を聞かず、あの隙間の下で待っていなかった。そりゃフィカヨがいたからなんだけど、でもあそこで待っていなきゃいけなかったのに。その所為で俺は、ここで死にかけてる。
コウの声に答えたいけど、掠れた息が漏れるだけで声なんか出なかった。
『なにやらうるさいな』
地竜はそう言うと、コウの声が聞こえる方を見た。
そんな、やめて……俺は力を振り絞って声のする方を見た。
地竜はゆっくり口を開くと、何か魔法の光のようなものが集まって、それが一気に俺が居た隙間の天井に向かって炸裂した。
ものすごい轟音がして岩が崩れ落ちる。俺が倒れているところまで砂煙が流れてきた。あれじゃコウたちが巻き込まれてしまう……
『さて……まだ息があるか。小さき者、その命の輝き楽しませてもらったぞ』
地竜が前足を上げると、俺とフィカヨはふわりと宙に浮いた。
宙に浮く魔法、レツが気持ちいいって言ってたやつ……俺はぼんやりとそんな事を考えていた。
思ったより恐怖心は無かった。もう、目を開けていられない。そう思って閉じていく俺の視界を、走り抜ける影が横切った。
「はあああああああ!」
えっ、レツ……? 俺は驚いて目を開けた。
レツが地竜の前足を切り上げると、俺とフィカヨはどさりと地面に落ちた。竜は避けるように少し後ずさってレツを見下ろす。
「ちょっとガマンしろ」
キヨの声に顔を上げると、ふわっと体が浮いたような感じがして、気がついたらホールの片隅に横向きに寝かされていた。
「キヨ、フィカヨが、」
キヨは黙って俺の頭を撫で、それからまたふわっと消えた。
あれ、風の魔法だよな。ぼんやりそう考えていたら、すぐ隣にキヨとフィカヨが現れた。
「レクパラシオ」
キヨの回復魔法が俺たち二人に降りかかった。
怪我は治らないけど意識はだいぶはっきりして、じんわりと傷が熱を持っているのが感じられた。痛いというより熱い。
視線だけでフィカヨを見ると、さっきまでより顔色が良くなって、呼吸が安定している。
「団長が来るまで持ちこたえてくれ」
キヨはそう言ってレツの元へと戻った。
『お前たちは……違うな』
「悪かったな、人生経験豊富で」
キヨは地竜相手にそう言って、まるで投げ広げるように同時にいくつもの魔法の灯りを放った。
あの人ホントに心臓に毛が生えてるな……暗かったホールに灯りが灯ると、地竜の巨大さが際立った。広いホールの壁に落ちる影がゆらゆらと揺らめいている。
地竜は少しだけ眩しそうに目を細めた。
それから唐突に腕を振ってキヨたちを薙ぎ払おうとした。
「シュレシュタヴィエトル」
キヨの発動した風の魔法は、レツにギリギリまで迫った地竜の腕を何とか押し止めた。押し止められた竜の爪が力んだように動いたから、かなりの力で止めているはず。
それから地竜が諦めたように腕を引っ込めると、同時にキヨの魔法も消えた。
あの魔法、クジラモンスターを一撃で吹っ飛ばしたヤツだよな……片手しか止められなかった……全然格が違う。
キヨは一気に体力を消耗したような顔をしたけど、鋭く息をついてまた集中した。地竜は少しだけ面白そうに自分の爪を眺める。
「竜は……太古の偉大な存在は、いたずらにこんなことしないんじゃないの」
レツは剣を構えたまま、地竜に向かってそう言った。地竜はやっぱり面白そうに頭を揺らせていた。
『竜の営みは星の営みだ。儂はただ生まれ落ちた星の力を石にするだけだ』
地竜は長い尾で背後の壁を勢いよく擦った。擦られた壁に鉱石が光る。さっきまでただの岩壁だと思ったのに。
「星の力を、石にする……?」
キヨの呟きに、地竜は少しとぼけるような表情をした。
『なんだ、知らんのか。お前たちが手放した星の力を、竜は石にして星に返す。生まれおちた時に借りたものを返すのだ』
星の力って、魔力のこと? モンスターが人間を食べる目的の?
「そんなの、星の力を返すために、殺していいわけじゃない」
レツはそう言って剣を握り直した。地竜はやっぱりゆらゆらと頭を揺らしていた。
『善悪もない。許可も必要ない。それが
竜の存在は、星に存在するすべての存在の上位にある。
竜がそうしているのは、水が高い所から低い所へと流れるのと同じ。そこに星の力を持つ存在がいて、その力を星に返すために殺して石にする。それだけなんだ。
人が人を殺すのは罪だけど、天災が人を殺すのは罪じゃない。竜はそういう存在なんだ。
「でも俺は友達を殺されたくない!」
レツは高らかに宣言した。
……そう、だよね。みんなそうだ。でもこの圧倒的な存在の前で、それはただのわがままみたいに聞こえた。それが通じる相手とも思えない。
地竜は少しだけ口の端を上げた。
『なるほど、人はいついかなる時も欲に尽きない』
「その鉱石目当てに人が現れたりしたのか」
キヨは地竜から目を離さずにそう言った。
そうか、鉱石を求める冒険者がいるんだった。海の魔導士みたいにギルド登録しないのだったら、5レクスを越える旅もできる。
『愚かな小さき者は、地の隙間から現れる。自らのなれの果ても知らず』
地の隙間って、俺が通ってきた洞窟みたいなところ?
ハヤは鉱脈が見えたって言ってた。固まって存在してるって言ってたけど、地竜の背後の壁一面に鉱石が埋まっているのを見ると、ここはその鉱脈なんだろうか。これだけの鉱石があるんだったら、冒険者は採掘しに来るよな。
欲深い人間。それだって生きるために必要だったりするんだけど。
地竜は唐突に、鋭い棘のついた尾をレツに向かって振った。その瞬間、レツが弾かれたように空中へと飛んだ。えっ、当たってた?!
「うわうわ!」
空中で少しバランスを崩したレツを、ふわりと背後に現れたキヨが抱き支える。
「悪い、」
次の地竜の攻撃が二人に届く前に、二人は尾が届かない辺りに降り立った。
「やっぱとりあえずで人飛ばすのは勝手が違う」
レツはちょっとだけ地面に安心したような顔をした。
「ありがと」
「避けるだけしかできねぇな」
キヨがレツを離すと、レツはもう一度剣を構えた。
でもそれだけじゃどうにもならない。さっきの魔法の攻撃をされたら、洞窟ごと埋められて終わりだ。でも竜って太古の存在で、倒すことなんてできないよね?
「遊んでんのか……だろうな」
地竜はやっぱり面白そうに頭を揺らしていた。
たぶん俺をいたぶったのと同じ。地竜には、本気を出さなくたっていつでも人を殺めることができる。
「……もしかして、ここに呼び込んだ人は食べられるけど、そうでなかったら食べるものなかったりすんの?」
レツの言葉に、地竜は少しだけ首を傾げた。
『竜は星の力で生きる。食す必要はない』
じゃあ……俺たちを食べる必要があったわけじゃないのか。さっき俺たちがいたぶられ殺されそうになったのは、地竜の気まぐれな遊びだったんだ。
俺は目を閉じて、小さく息をついた。そんなもので簡単に、命を奪われるところだったんだ。
「じゃあそういうもので、ずっとそうだったから、そういう風に生きてきたの? これまで何千年も??」
レツが何だか呆れたようにそう言うと、地竜はもう一度首を傾げた。
するとレツは唐突に構えていた剣を下ろした。えっ?!
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