第9話『ごめんなさい、一人にしないで、怖い』

 岩の隙間は何とか人一人通れるくらいだった。

 でっかい岩がぶつかってできた隙間って感じ。緩やかに下っている。俺は滑らないように足もとを探りながら、両手を岩に押しつけて歩いた。


「あんまり急がなくていいぞ」


 背後からコウが声をかける。俺は頷いて見せた。


 俺の身長で普通に歩ける程度ってことは、コウは結構屈んで進まないとならないはず。少し進んで入口からの光が届きにくくなったところでランタンの鉱石を擦った。

 ランタンは俺が首から提げているから、俺の足もとは見えるけどコウは見えないんじゃん。俺が先に行っちゃうのは危険だよな。


 壁が岩だからすぐに崩れてくるような危険はなさそうだけど、どこで何があるかわからない。ランタンの光は、周囲を照らしているけど穴の奥までは見通せなかった。


「ちょっと先の方照らしてみてくれ」


 俺は頷いてランタンを手のひらの中に握った。途端に周囲が暗くなる。

 それから少しだけ手を緩めて光が一方向に逃げるようにした。ランタンの光は真っ直ぐ前の方を照らす。


「少し隙間が広くなるね、あと坂が急になってるっぽい」

 地面は階段状にでもなっているのか、光で照らしても影ができてしまって見にくかった。

「もうちょっと先まで行って、坂の具合を見るか」

 俺は頷いてランタンを離すと、またそっと足もとを探りながら歩き出した。


 しばらく行くと、背を伸ばして歩いても圧迫感がないくらい天井が高くなった。コウを振り返ると、まだちょっと頭上を気にしていたけど屈んだまま歩く感じではなかった。天井の高さは変わらないけど、地面の方が急な坂ってことか。

 地面は階段とまではいかないけど、不揃いの段差ができていてどんどん地下深くへと進んでいく。左右の壁も離れてだいぶ広くなった。


 と思ったら途端に広い場所に出た。

 俺たちが歩いてきた通路はそのまま、左側の壁が無くなって広い空間にたどり着いたのだ。ごつごつした岩と散らばるヒカリゴケ。遠くヒカリゴケがボンヤリと照らしていて、何となくの広さはわかるけど、ホールがどんな形をしているかまでは把握できない。どこかで水音が聞こえる。

 俺はホールを見渡して、それからさらに進もうと足を出した。


「ちょっと待った」


 コウが背後から俺を捕まえる。え、なんで? まだ行けるよ。

「ここまで来れただけで十分だ。まだ先があるのもわかったから、こっから先は全員で行く方がいい」

「でも何も見つかってないじゃん」


 単に地下への入口を探すってだけだったけど、この一キロ圏内に入口だって一つとは限らない。だったらここが正解かどうかは、何か見つけられないとダメなんじゃないのか?

 コウは顔をしかめてため息をついた。


「お前が何を見つけるってんだよ。魔法が使えるわけでもないのに、鉱脈が見えるわけじゃねぇだろ」

 そうだけど、でも人が入れただけで正解とは思えない。これだって最初に見つけただけなんだ。

「ハヤが見たのは鉱脈なんでしょ? だったら鉱石の欠片でも見つかれば正解かもって思えるけど、ここまではただの洞窟じゃん」


 みんな呼んで来るなら時間もかかるし、そこまでしてこれじゃなかったらフィカヨを探すのに無駄に時間を使うことになっちゃう。

 コウはやっぱり顔をしかめていたけど、しばらく考えてからため息をついた。


「……もうちょっとだけだぞ。逆にここが正解の可能性が高いんだったら、余計早くみんなに知らせた方がいいんだからな」


 俺は頷いた。もうちょっとだけ。

 俺は右側の壁に手を付いて、それからゆっくりと足を出した。地面は濡れているのか、少しだけ滑る。周りは暗闇に沈んでいるから、ホールへ下りていくっぽいこの通路も、問題なくホールへ続いているのかはわからない。


 そういえば加工されてない鉱石ってどんな風に見えるのかな。

 魔法道具に使われてる鉱石って、何となく透き通った石の中に光が灯ってる感じがあるんだけど、あれって掘り出される時もあんな感じなんだろうか。それだったらこの洞窟にあったら光ってわかりそうなのに。


 俺は顔を上げてホールを見渡した。

 ……ヒカリゴケしか光ってないな。みんな薄緑色だから鉱石は無さそう。これじゃホールまで下りれたところで鉱石は見つからなそうだな。

 ため息をついて次の一歩を出したら、そこに地面が無かった。えっ?


「うわあ!」

「ばかっ」


 コウが俺を掴みかけたのか一瞬だけ引っかかるように引っ張られたけど、俺はしたたかに逆足のスネを打ち、コウの手をすり抜けて暗闇の急な坂を滑り落ちていった。


「いっ……」


 俺が滑り落ちた隙間は、たぶん一枚岩の背だったんだと思う。

 あまりごつごつしてなかったから体重に任せて滑り降りただけで、擦り傷はひどいけど打撲はそうでもない。でも変な体勢で落ちたからか、最後に落ちた時に着いた足が痛くて伸ばす事ができなかった。


「大丈夫か!?」


 ずっと上の方から、コウの声が聞こえる。答えなきゃ……でも声が上手く出なかった。びっくりしすぎて心臓が首にあるみたいだ。俺は岩を平手で叩いた。

「だいじょうぶ、たぶん」

 俺の声はたった数秒転がり落ちただけだってのに、情けないほど弱々しかった。


「怪我したのか?」

「……足が、痛くて立てない」

「座るか寝るか、楽な姿勢を取れるか?」

「……う、わかんない」

「じゃあ、負担をかけないように動かないでいろ。みんなを呼んでくるぞ、いいな? そこから絶対動くなよ」

「コウ、」

「なんだ?」


 コウの声は、優しかった。絶対、絶対怒ってるはずなのに。俺が勝手なことした、余計な手間を増やしたダメなヤツなのに。怒って怒鳴ってもいいのに、コウの声は優しかった。

 俺は途端に涙が溢れてきた。


「……ごめんなさい、一人にしないで、怖い……!」


 涙が次から次へと溢れてきて止まらない。暗い洞窟に俺の泣く声が響く。


 このまま足が治らなかったら、俺この洞窟にずっといなきゃならないのかな。ハヤがいたらすぐに治してくれるのに、俺が落ちた隙間にハヤが入ってこれるとは思えない。そしたら死ぬまでここにいなきゃならないんだ。もうコウのご飯も食べれない。

 ごめんなさい、全部俺が悪くて、俺は全部後悔してる。なんでコウの言うこと聞かなかったんだろう。


 俺は泣きながら何度も何度も謝った。

 謝ったって、すべて今更。俺はここから動けない。きっとコウは声を荒げないだけですごく怒ってる。コウは何も言わなかった。もしかして、もう俺なんか置いていなくなっちゃった?


「コウ……!」

「ランタンはあるか?」


 コウは静かな声でそう言った。よかった、まだ居てくれた。ランタン?

 俺はしゃくり上げながら周囲を探した。ちょっと離れたところに落ちている。紐が切れちゃったけど、まだ光っていた。

 俺は手を伸ばしてランタンを拾った。


「……あるよ、ここに」

「ああ、ここからも見える。それ目指して助けに行くから。今俺が一人でそこまで下りても、お前を背負って戻れるわけじゃないのはわかるな?」


 俺は手の中のランタンを見た。

 俺の落ちた隙間は狭い。コウがここまで下りてきて壁づたいに戻れるんだとしても、俺を背負っていたら隙間を抜けられない。


「お前を助けるのに一番確実なのは、戻ってロープを取ってくることだ。その上で、団長にお前の怪我を診てもらう。それが最善なのがわかるな?」

「ランタン、消えちゃわない?」

「鉱石の魔力は消えやしないけど、お前が不安に思う前に戻ってくる。だからそこから動かないで、ちゃんと待ってろ」


 俺は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭った。まだ怖かったし、足も痛かったけど、手のひらの中のランタンを見て深呼吸した。


 コウは約束をちゃんと守る。だから、俺は待っていれば絶対助けてもらえる。

 俺は目を閉じて、深く、深く深呼吸した。


「わかった……でも早く戻ってきてね」


 コウは「おう」と短く言って、それから隙間を離れたみたいだった。

 途端にびっくりするほど寂しさを感じた。

 今すぐ大声で「やっぱり戻って来て!」って叫びたい気持ちを、両手でランタンを握って何とか抑えた。


 俺のわがままでこんなことになっちゃってるんだから、俺のわがままでコウを引き留めてちゃだめだ。それにコウは俺を助けるためにみんなのところに戻ったんだし、俺にはランタンがあるから少しは……


 ……そうじゃん、ランタンは俺が持ってるんだから、戻るコウは真っ暗闇を戻らなきゃならないんだ。入口付近まで行けば光が入るかもしれないけど、岩の間は狭かったからあっという間に暗くなっていた。

 コウだってもしかしたら怪我をするかもしれない、下りてくる時は一本道に見えたけど、実は横道があって真っ暗な地下で迷ってしまうかもしれない。

 俺は少しだけ体を起こして、なんとか岩に寄りかかった。


 どうか、コウが無事に入口に辿り着きますように。俺は心の底からそう祈った。それからちょっとだけびっくりした。コウが無事入口に辿り着いて欲しいと願ったけど、それが自分を助けるためじゃなかったからだ。

 でもコウはダッシュで俺を助けに戻ってきてくれる。だから俺は、約束通りここで待っていればいい。


 俺はランタンを指先でつまんで辺りを照らして見た。

 岩の隙間を滑り落ちてきたけど、俺が滑ってきた岩とは別の岩が天井になっていて、俺が居るのは別のホールみたいなところだった。岩の感じがさっきヒカリゴケが照らしていたのより滑らかだ。ここにはヒカリゴケの灯りは見られなかった。


 滑り降りてあのホールに出たって感じじゃないんだよな、たぶんこの天井の上がさっきのホールなんだと思う。だからもう一つ下の層なのかな。

 俺は体を捩って、ランタンの光を絞って自分の左側に広がるホールを照らしてみた。


 光はホールの向こうに届かなかった。

 中途半端に暗闇を照らしているけど、向こうの壁らしきものは捉えられなかった。たぶん光が弱いから、ホールが広すぎて届かないんだ。

 俺が座っているこの場所からは、右方向に洞窟、左にホールがある。目の前は大きな岩の天井が下がっていて、右の洞窟から来たらここで視界が開けてホールに出たーって感じがするんだろう。この洞窟はどこかに繋がってるのかな。

 俺はもう少し体を引き上げて座った。


「っ! ってー……」


 途端に左足に痛みが走った。あまりの痛みに涙が出る。これ、骨とか折れてないよな? こんなところで立てなくなるなんて、もしモンスターが来たら……


 モンスターが来たら、どうすればいいんだ?


 俺は愕然として腰の剣を探った。大丈夫、剣はちゃんとここにある。でも座ったままでどうやって戦うんだ? そんな戦い方なんて訓練したことない!


 コウは? まだ戻ってこないのかな、さっきからどれくらい経った? まだ数分のような、もう数時間のような気もする。

 コウが入口に辿り着いてなかったらどうしよう、そしたら俺がここに落ちてることを、外にいるシマもレツもハヤもキヨも知らないことになる。誰も助けに来てくれない。


 俺は突然気持ち悪くなって、両手で口を押さえた。

 言いようのない恐怖が、腹の底から湧いてくる。一人で、この暗闇の中、誰にも知られずに死んでいく。

 恐怖から思わず立ち上がろうとしたけど、俺の左足はまったく言うことを聞かなくて、下手に動いて痛みでうずくまった。


 どうしよう、こんなところで死にたくない。だってもしかしたら、誰も助けに来てくれないかもしれないんだ。

 俺はコウを待ってるしかできなくて、でもコウだって灯りもなく真っ暗闇を戻らなきゃならないから、絶対俺を助けに戻ってこれるとは言えない。


「コウは戻ってくるコウは戻ってくるコウは戻ってくる」


 俺は自分に言い聞かせるみたいに繰り返した。

 コウは戻ってくる。信じてる、信じてるけど、でもわからない。怖い。


 …………キヨは、


 あの時キヨはこんな風に、誰かが助けに来るかもしれないけど来ないかもしれない状況の中、丸一日も耐えてたのかな……

 丸一日、それって俺たちが見つけられたから丸一日だったけど、俺たちが追ってる事をキヨは知らなかった。だったらキヨはあのまま体力の限界まで、ずっとハルさんに回復魔法をかけ続けているつもりだったんだろうか。


 俺はコウに、すぐ戻ってくるって言ってもらってる。それでもこんなに不安になるのに、誰にもそう言ってもらえないまま、キヨはずっと待ち続けていたんだ。

 俺は深く深呼吸した。


 俺は、もうちょっと仲間を信じなきゃだめだ。キヨみたいに、絶対仲間が助けに来てくれるって信じて、いつまでも待てるようにならなきゃだめだ。

 俺はもう一度深呼吸して、体を起こした。……うん、大丈夫、ちょっと落ち着いた。


 それから剣をいつでも抜けるようにした。もし万が一モンスターが現れても慌てないように。

 でも森に入ったところからエルフの街の影響が出ててモンスターが近づかなかったんだから、地下にだってその影響はあるよな。実際、森に入ってから今まで一度もモンスターに遭ってないんだし。


 俺はランタンを手に握って、もう一度ホールを照らしてみた。

 さっきは空中を探したから悪いんだ。ちゃんと近くからだんだん遠くを探ってみよう。握った手を少し緩めて光を走らせる。

 俺が座っているこの辺はすべすべしていて何もない。少しずつホールの方へ向けていく。小さな段差があって、いくつもの薄い台が重なってるみたいだ。

 俺が落ちたような裂け目はなさそうだけど、段差があるから影になっていてわかりづらい。そっと左右に動かすと、何かが乗っかっているのが見えた。あれは……


 俺は思わずランタンを取り落とした。

 慌てて拾って、紐が切れているから口に咥えて、両手と右足だけで体を引きずってホールの真ん中まで移動した。


「フィカヨ!」


 ホールの真ん中には、血だらけで浅い息をするフィカヨが倒れていた。

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