第5話『俺はそういう大人にはならないんだからな!』

 ラトゥスプラジャを出発して二週間。なだらかな丘陵地帯の向こうに、黒々とした深い森が見えてきた。


「フィカヨも慣れてきたし、そろそろがっつり5レクス外れても大丈夫だろ」


 キヨが言うには、ラトゥスプラジャからレカリダオンへの街道の結界の縁と、レカリダオンから北上する街道の縁を辿っていたらしい。それでがっつり5レクス外じゃなかったのか。

 昨日は宿場町を通り過ぎたから、その時に食料の買い出しをしていた。早い時間だったからわざわざ泊まることはしなかったのだけど。


 丘陵地帯だと視界が広いからモンスターが出現しても心の準備ができている。

 しばらく降り続いている雨を避けるところが無いのが難点だけど、地面は敷き詰めたように草が覆っていたからぐちゃぐちゃの泥に苛まれる事はなかった。


 フィカヨはほとんど冒険者と変わらない生活をしていたのだけど、一応まだ正式に冒険者じゃないし俺たちにとっては安全に護送しなくてはならない人だから、バトルの時にはちょっとだけ気を使っていた。まぁ、俺が気を使ったわけじゃないけど。

 だいたいフィカヨは俺よりずっと強いのだ。


 旅のパーティーが増えるのって今までハルさんくらいだったけど、ハルさんは最初から青魔術師でキヨよりすごい魔術師って聞いてたから気にならなかった。でもフィカヨは、最初こそ対モンスターとしての戦い方がなってないとか言われてたのに、あっという間に俺より俺の剣を使いこなしている。


 ……そりゃ俺と違って十年とか厳しい訓練を毎日続けていて、その上で剣を始めたんだから、すぐに強くなるのは当たり前なんだけどさ。コウだって組み手じゃ自分より上って言ってたくらいなんだし。

 でも……でもやっぱりちょっと、フクザツな感じ。あの剣は俺のなのに、俺よりスマートに使ってる気がする。


 コウがチラッと俺を見て、それから軽く俺の頭を叩いた。何だよ。

「時間は比べようがないだろ。それを越えるにはそれ以上の鍛錬しかねぇ」

 そう、なんだけど……フィカヨが受けた訓練はきっと、俺がコウとしてる練習なんか比べものにならないくらい厳しかったはず。簡単に追いつけないのはわかってるんだけどさ。


 俺はさっきのバトルで手なずけたモンスターとじゃれるシマたちに近づいた。

 鋭い爪で高くジャンプしながら襲ってくる大きな山猫みたいな、赤に黒い縞のモンスター。体はそんなに大きくないけど俊敏で気を引くのが難しくて、何度も諦めてたから手懐けられて嬉しいみたい。


 シマはいつも、初めて手懐けた時は念入りに一緒に遊ぶ。ただし今回は雨の中だからシマの服はもう泥でめちゃくちゃだ。

 ハヤが何だか無表情な目で見ていた。キレイにしてないと気が済まないたちだもんな。


「これ、ほんとにいい剣だな」

 フィカヨは剣を抜いてまじまじと見た。

 クルスダールの職人さんの店で買ったんだ。

「俺にはちょっと軽すぎるから攻撃が甘くなりそうなんだけど、重心がいいのかな、当てる時には必ず一番強いところがヒットする」

 そうなの? そういえば剣を買った時に、もうちょっと重い剣と比べたんだっけ。

「この前買ったこっちの方がちょっと重いんだ。フィカヨにはこっちのが合うのかもね」

 俺はちょっとだけ剣を抜いて見せた。フィカヨはチラッと剣を見た。


「……でもそれは君が新しく買ったのだし、それに……俺がそれを使えるようになるにはまだ時間が必要かな」


 あ、そうかこれ、握ると手にウトラタジャの印が写るんだった。俺は聞こえなかったみたいに剣を戻してみんなのところに戻った。


「このまま森に突っ込む感じ?」

 モンスターを放したシマがそう言うと、フードを被ったキヨは「ああ」と答えたけど、なんとなくぼんやりと森を眺めていた。


「なんかあるの?」

 レツはキヨを追い抜こうとしてそう聞いた。キヨはチラッとレツを見る。

「……この森、ニルデルヴォケートって言うんだって」

 レツはきょとんとして「ふーん」と答えた。ダーハルシュカまでの道程を調べてる時に知ったのかな。


 シマは手綱を引いて馬を西に向けた。目の前に広がる森は、今まで丘陵地に時々繁っていたような森とは違って、そのまま山裾まで続いている。

 緩やかに登っていて丘陵地はここまでで終わりみたいだった。


「これはエルフが住んでるね」

「住んでるなー」

「確実にね」


 レツたちは楽しそうに言い合った。5レクス外だしね、普通なら人は絶対に訪れないエリアだし。

 森の中は思ったより通行しやすい感じだった。木々はそこまで背が高くないけど、真っ直ぐ伸びたタイプだから馬がいても進めやすい。何より雨が遮られたからやたら気が楽になった。


 緑が濃くて一歩入っただけで空気がひんやりしたけど、うっそうとした感じはなかった。下生えは足もとに繁るだけで、馬を連れていても歩くのに邪魔にならない。

 誰も来ない森のハズなのに、木々の間にそれとなく小径ができている。自然なのに緑が蔓延る感じがない。

 うん、これは確かにエルフが居そう。


 っていうかこの人たち、ちょっと前までペルシに散々悩まされたってのに、それでもエルフに期待するんだな。


「そうは言っても基本は人に優しい種族なんだし、街は悪意が無ければウェルカムだし、魔法道具はキレイだし、街があるなら寄ってきたいよねえ」

 ハヤはそう言ってキヨに振る。キヨはちょっとだけ首を傾げた。

「別に魔法道具は足りてるんじゃね?」

 期待通りすぎる返答にみんな噴いた。

 わかっていたハヤも「そうじゃなくて!」とか突っ込んでいる。


「でもエルフの街があるんだったら、その辺はモンスターの脅威もないから通行するには楽だろうな」


 森の中でのバトルは、木々が邪魔するからパーティーでの戦いに向かない。モンスターも前面からの攻撃だけじゃないことがあるからやっかいだ。

 だから森の中が安全なら、その方が旅はしやすい。お金は稼げないけど。


「エルフはウトラタジャにもいるんだよね?」

 フィカヨはちょっと考えるように視線を上げた。

「いるんだろうけど、俺は会った事ないよ。魔術研究してる部門は、もしかしたらエルフとやり取りあったのかもしれないけど」


 一応人助けしたい種族だしね。ペルシの魔術書は悪いことに使おうとしちゃったから、取り上げられちゃったんだろうけど。

 エルフには悪意があったらわかっちゃうから、やり取りあったんだとしたらきっと人助けになる魔術を研究したりしてたハズ。


「何にせよ、外へ出ないのが一番安全なんだったら、わざわざエルフに会いに行ったりしないよなぁ」


 シマは頭の後ろで手を組んだ。エルフの街があるのは人里離れた深い森だもんな。妖精国のエルフは合コンしに出てきてたけど。


「エルフ的には危険は無いんだから、合コンしたかったら出てくるんじゃない?」

「その街に出ていくほどの魅力ある人間がいるのかっていう」

「めたくそストイックに鍛えてるフィカヨみたいのがいっぱい居るなら、エルフとは真逆だからモテるのでは!」

「あーそれはあり得る」

「フィカヨ、国では合コンとかしてた?」


 フィカヨは唐突に話を振られて、驚いて首をぶんぶん振った。犬の尻尾みたいな髪が左右に振られる。

 ハヤはちょっとだけ首を傾げてフィカヨを見ていた。


「フィカヨって、童貞?」


 レツが唐突にブフッて笑った。ちょっとそれ、失礼では?!

「何で見習いが怒ってんだよ、お前が童貞なのは知ってるよ」

 キヨがそう言うとコウが「キヨくん」と突っ込んだ。ど、どど、ど……

「こいつがこの年で童貞じゃなかったら、それはそれで驚きなんだけど!」

 シマはそう言って笑う。だから大人って汚い!


「俺はそういう大人にはならないんだからな!」


 俺が宣言すると、みんなは腹を抱えて爆笑した。

 くっそー……憤慨したままチラッとフィカヨを見てみたら、何だか難しい顔で視線を外していた。

 ……ツェルダカルテ人になってバカな話ができるようになったけど、いきなりこの人たちの失礼な話題のネタにされるのはちょっと違うよな。


「そうは言うけどキヨリン、実は他の経験無かったりしない?」

 ハヤはキヨの肩に腕をかけた。

「あの年でチカちゃんに手を出されちゃったんだから、遊んでる時間とかなかったような。だとしたら浮気でもしてない限り可能性はあるよね」

 キヨはうんざりした顔でハヤの顔を覗き込んだ。


「遊んでる時間、無かったか?」


 ハヤは一瞬言葉に詰まって、がばっと体を起こすとレツとシマを見た。二人も眉間に皺を寄せて顔を見合わせる。


「ハルさんとデキる前、だと……?」

「いやいやいや俺たち純粋でバカな十代まっしぐらだったから、あの頃は正しくバカでしたが?」

「バカにバカを重ねて遊んでいましたが、なにか」

「あーキヨくん図書館とか通ってて、結構外出てたしね」

「コウちゃん目撃してたなら何でタレ込まないの!」

「図書館に通う憂い顔の美少年魔術師? なにそれ萌える、可能性ある」

「くっそ、獣使いは学内のフィールドでしかやれなかったのに!」

「キヨリン、知らないうちに遊んでるとか不良!」


 ハヤはキヨの肩を揺する。キヨは「やめろ」とか言ってハヤの腕から逃れた。

「そんな面白い話があったならその時に共有してよね!」

 ハヤの言葉にキヨは吹き出して「するかよ」と言った。そんな何でも共有したら、大変なネタにされる画しか浮かばない。


「あー、あの、俺……童貞かもしんない」


 フィカヨが片手を挙げて伺うように告白すると、一瞬間があって、みんな盛大に爆笑した。だからそれ失礼なんじゃないのかっていう!


「かもってなんだよ!」

「記憶にないのか」

「夢? 夢だったとかそういうオチ?」


 みんなが余りにも盛大に笑うので、当のフィカヨもつられて面白そうに笑った。

 なんか、その身を犠牲にして笑いを取りに行ったみたくなってるんだが。


「いや、っつか訓練中はそんな余裕あり得なくて、任務についたら無理になるから、任務に出る前にやっぱそういうとこ行くって風習があって」


 あー……これちょっと、笑ってられないネタになって来てないか。俺は何だかハラハラしてまだ面白そうにしている彼らを見た。


「風習!! とか!!」

「せめて慣例って言えよ」

「プロの筆下ろしかー」

「いやでも童貞かもって」

「わかった、プロだけど好みじゃなかったヤツ!」

「そこ選んでねぇの?」


 ……まだ笑ってるよこの人たち。フィカヨも一緒になって笑って「そうそう、」とか言ってる。


 これは……こういう、消化なのか? 笑って話せるようなネタにしてしまうってこと?


 俺が眉間に皺を寄せていると、ハヤが唐突に俺の頭を引き寄せて抱きしめた。うわっ!


「あーこっから先はお子様には刺激が強いかもー」


 なんだよいつもそんな話ばっかしてるくせに! 俺は暴れてハヤから逃れようとしたけど、いつもよりがっちり抱きしめられていてなかなか頭が抜けなかった。なんだよもう! 

 みんな笑いながら「そんで? そんで?」と話の続きを促している。


「仲間には相手がどうでもそのうち何とかなるみたいに言われたんだけど、何か怖じ気づいたっつか、そんであわ」


 俺が何とかハヤの腕から逃れて顔を上げた瞬間だった。


 言葉の途中で唐突に、空気に飲まれたみたいに、フィカヨは消えた。

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