第32話・シグマ

 夜の自室。

 ホットミルクの入ったカップを机の隅に置き、ガンマは端末を起動した。


 そして、一目散にシグマの配信チャンネルへと向かい画面をタップする。


『あー、もうむしゃくしゃするー!!』


 配信に飛ぶなり聞こえてきたのはシグマの叫び。


「これ、家からやってんのか?」


 画面サイズは調整されているものの、ちらほらと私物のようなものが映っている。

 キーボード、マイク、それから机の上には日本酒のびん徳利とっくり。それからお猪口ちょこまで用意されていた。


 完全に飲酒配信する気満々である。


『酒、飲まずにはいられないわ!!』


 駆け付け一杯とばかりに金髪幼女はお猪口についだ酒を飲み干した。

 これがまだ20代というのが恐ろしいところである。


「これ大丈夫なのか? ドン引きされないのか」


EIM:お酒美味しいー?

白髪:かんぱーい!

タイル:辛い時は飲むしかないよなー!


「受け入れられてるー」


 どうやら飲酒配信を行うのは初めてではないよう。コメントを読む限り、定期的に行っているようだった。


『はぁー、何で人間は分かりあえないのかしら』


カリフラ:今日は人間関係がテーマでしょうか


『そう! 愚民は察しが良くて助かるわー』


あえらす:大体シグマが悪いから気にすんな


『出ていけー! お前みたいな非国民はうちにはいらん!』


 怒っているものの本気では無いのか特に罰を与える訳では無い。

 言うだけ言ってみるただのパフォーマンスのようだ。


『でも、今回ばかりは愚民の言う通りだわー』


 大きな溜息を吐きながら、シグマは机に突っ伏した。

 さながら溶けたスライムのようである。


Test:やっぱシグマが悪かったか

ベネ:知ってた

石炭石膏せっこう共同体:いつものこと


『アンタ達、少しはなぐさめなさいよー!!』


ペイル:こう何度も同じことを繰り返されるとなぁ


『前は他の奴等も悪かったの! 今回はその――』


 急に言いよどむ。

 あまり口に出したく無さそうだった。


『アタシが言い過ぎたって自覚ある』


KV:シグマが自分の非を認めた、だと!?

とっけ:これが切っ掛けで日本沈没するとは、この時は誰も思わなかった…

fantasma:さよなら人生


『うるさいうるさい! ぶっ飛ばされたいのアンタ達!』

「ぷっ」


 リスナーとの会話が面白く思わず吹き出してしまった。

 一切こびを売らない姿勢が妙に面白く感じたのだ。


「これがシグマさんのチャンネルの魅力か。やる」


 人間自分より下の者を見ると安心する。

 シグマを見ているとそんな思いが込み上げた。


しゃべらなければ可愛らしいのになぁ)


 そんな人間をもう一人知っているからこそ、なおさら思う。

 お互いに共通しているのは喋ると残念な点である。


『シグマだって傷付けたくて言ってるわけじゃないもん。ただ、自分の気持ちを抑えきれないだけで』


しゅわしゅー:それをポンコツというのでは?


『うるさい黙れー。シグマは悪くなーい』


ボディ子:変わり身が早い

水島誠也:こういうところほんま好き

緑ヶ丘:本当は自分が悪いの分かってる感好き


 画面を見ながらシグマは一気に酒をあおる。

 これで既に5杯目。


 段々とまぶたの標高が下がってきているのが明らかに分かった。


『シグマが悪いのなんて百も承知よ。でも謝り方が分からないの』


天然茶:素直にごめんでええやん


『そんなことが出来たらこんな配信してないのよ』


キャプラン:あんま深く考えても自分が傷付くだけだぞー


『考えちゃうわよ。はぁ、過去に戻れるなら自分を殴ってでも止めたい』


 相当深くやんでいる。

 もしフィーやシータがこの配信を見ていたら、きっと許してくれることだろう。


「俺が言ったらシータさんは兎も角、フィーは見てくれるかもしれないけど」


 呟き、そしてうなる。

 こういうのは対面で本人達が話した方が後くされが無い気がした。


 個人が反省している様をこっそりのぞくのは勧められない。


「ま、配信してる時点で見られる可能性は当然あるんだが」


 いずれにせよ二人に紹介するのは止めておこう、とガンマの中で結論が出た。


『もうー。死にたい。人生つらたん』


ラア:あ、駄目なモードに入ってる

Thalia:酒にのまれたシグマは無敵だから

StrayCat:無敵だったら炎上してねーんだよ!


(意外だなぁ)


 2度酒を酌み交わしたが上機嫌で普段と性格は変わらなかった。

 超強気スタイルの彼女がここまでへこむとは信じられなかった。


「投げ銭と一緒に励ましのメッセージ送ってみるか」


 端末を操作しメッセージを入力していく。


「金額は1万でいっか。俺を表舞台に立たせてくれたお礼も込みで」


リック:人気が戻ってきたんだからやべーことは言うなよ。頼むぞマジで

基底ちゃん:シグマすぐ底辺に舞い戻るからな

らっせー:神様仏様シグマ様。何卒なにとぞどうかご容赦ようしゃ


 コメントも彼女が変なことを言うのを恐れているようだ。

 推しが逆境に立たされるのはファンとしても辛いのだろう。


 当たり障りのない文章を心掛け、再度確認。

 ガンマはクレカ情報を確認すると、軽やかな手さばきで送信ボタンを押下した。


『うえー。投げ銭? ありがとう――って10万!?』

「えぇえええ!?」


 彼女が叫びに連鎖れんさしてガンマもまた悲鳴を上げる。


「えぇ、あれ! 何で!」


 ガンマが送ったのは1万円のはずだった。

 が、目を擦り視界をはっきりとさせた先には想像よりも0ゼロが多い額が表示されていた。


マンガン電池:シグマさんは凄い人です。何時もの笑顔を見せてください!!


『マンガン電池さんありがとう! ちょっと待って。今ちゃんとやるから』


 シグマは言うなり姿勢を正すと、両こめかみを両手でトントンと叩いた。

 すると、死にかけていた瞳に力がこもった。


『迷惑かけたわね愚民! マンガン電池さん! アンタの応援、無下むげにはしないわ!』

「元気になったのは嬉しいけど!」


(返金出来ないかなー!!)


『アンタがくれたお金の分以上の働きを必ず見せてあげる! だからずっとシグマについていきなさい!!』


 力強く宣言すると、彼女はくいっとお猪口の中身を飲み干した。

 同じ酒を飲んでいるはずなのに、顔つきは数分前よりも遥かに輝いていた。


「はぁ……。ま。金は惜しいけど、シグマさんが元気になったならいっか」


 シグマは端末をぽいっとベッドに放り投げると、机に突っ伏した。

 それから30分。

 彼の口からは、上辺の言葉とは反対の感情が怨嗟のようにれていた。

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