第2話

 こともなげに帰ってきた言葉に驚いてしまったけれど、彼女はニコニコしていて、冗談を言っているようにも見えない。なにかの例えだろうか。

「どこで会ったんですか?」

「彼らはどこにでもいるのよ、本当はね。人間が見ようとしないだけ。そこにいるのに無視し続けたから、本当に見えなくなってしまったの。ブルターニュには少しだけ、他よりも彼らに会える場所が残っているのよ。ブロセリアンドもその一つね。あの森を歩けば、誰でも信じる気になるもの。」

「どんな姿をしているんですか?妖精だって分かります?」

「彼らは色々な形を取るわ。声だけの時も、顔だけの時も、小人のような姿のときもあるわね。」

「はあ・・・」

 おとぎ話に胸を躍らせる年齢ではないけれど、そんな事を考えながら散歩をしたら、楽しい気分にはなれるかもしれない。それにしても、あまり違和感がないように聞こえたのは、彼女の雰囲気のせいかもしれない。穏やかで落ち着いた感じの人だけれど、時々いたずらっぽく笑ったり、子供のように目を輝かせたりして、少女のようにも感じる。

「もしかして、アンヌさんが妖精だったりして。」

 彼女は目を丸くして、それから声を立てて笑った。

「ごめんなさい。昔、同じことを言った人がいたのよ。」

 目に涙をにじませて、くすくす笑いながら彼女はそう言った。

「残念ながら、私は正真正銘人間よ。妖精だったら良かったのにって思ったことはあるけれどね。」

「そうなんですか?」

「私にもすべての妖精が見えるわけではないのよ。妖精同士なら、互いを見ることもできるでしょう?妖精の世界を見ることができたらどんなに素敵だろうって、子供の頃は思っていたものよ。」

「妖精の世界か・・・どんなでしょうね。」

「賑やかよ、って妹は言っていたわ。普通の景色より、ずっと楽しくて綺麗よって。」

「妹さん?」

「妹は、私よりたくさんの妖精とお話しすることができたのよ。川にも道端の草にも吹いている風にも、いつも話しかけていたわ。私は炎しか見ることができなかったから、羨ましくてね。」

 小さな姉妹が妖精ごっこをして遊んでいる光景が目に浮かんで、私は微笑ましい気分になった。子供の頃は、空想の中で遊んだり、友達とちょっとした秘密を共有したり、そんなことが楽しいものだ。アンヌさんの中で、その思い出はきっと、今でも輝いているのに違いない。

「妹さんとは、今もその時の話を?」

 アンヌさんは、すぐには答えなかった。

「妹と直接話をしたのは、もうずいぶん前になるわ。子供の頃に別れてしまったから。」

「え?なぜ?」

「戦争で、このあたりにもドイツ軍が迫っているという話が伝わってきた時、父は、イギリスに渡る知り合いに妹を預けることにしたの。万一の時、一人だけでも助かるようにと。行きたくないと泣いていたあの子の顔は、今でも覚えているわ。必ずまた会えるからと抱きしめて送り出したのだけれど、でも、しばらくしてその人と連絡が取れなくなってしまって、その人達がどうなったのか、妹がどこにいるのか、分からなくなってしまったの。父はとても悔やんだけれど、あのときは仕方がなかったと思うわ。先のことなんて、誰にも分からなかったのだから。」

「じゃあ、妹さんとはそれきり・・・?」

「ええ、それきり。」

 意外な話で、少し戸惑った。この年代の人には、色々な物語がある。けれど、穏やかな様子のアンヌさんからは、すぐには想像できない悲しい話で、何と言ったらいいのか分からなかった。

「気がかりでしたよね。」

「ええ、そうね。あの子も、心細い思いをしたのじゃないかしら。」

「お元気だといいですね。」

「元気にはしていたようよ。妖精が教えてくれたから。」

「妖精が、ですか?」

「ええ、そう。妖精もあの子とは仲良しだったからね。あの子は元気だよ、最初は泣いていたけど、今は元気にしているよって。」

「それなら、どこにいるかも教えてくれたりしないんですか?」

「教えてくれるわよ、色々と。ただねえ・・・」

 アンヌさんは、苦笑いの顔になった。

「彼らの教えてくれることと言ったら、二股の木がある小川の近くとか、大きなニレと古い樫の木があるところとか、風が一日で渡れるところとか、そんな感じなのよ。」

「・・・それは、参考になりませんね。」

 アンヌさんは困ったように笑った。

「夫も、そんな事を言ったわ。」

「ご主人が?」

「妹の話をしたら、探そうとしてくれたのよ。でも私が知っている手がかりはこんな事だけだから、困って固まっていたわね。」

 それはそうだろう、と頷く。

「彼なりに探してはくれたけれど、結局見つけられなかったの。会わせてあげられなくてごめんって、彼のほうがしょげていたわ。」

「優しいご主人ですね。」

「ええ。優しい人だった。」

 そう言って微笑むアンヌさんの瞳は柔らかく輝いていて、それが彼女の中にある深い思いを表しているかのようだった。彼女は何かを懐かしみ、愛おしむようにテーブルを撫でながらあたりを見回した。

「彼にはここで会ったの。このカフェ。」

「そうなんですか?」

「この街に来てから、私はここによく通っていて、彼のことも時折見かけていたのだけれど、ある日、彼から話しかけてきたのよ。一緒に座ってもいいですか?って。」

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