第49話
月の区長関連のニュースが流れた後に発生した全ての暴行・傷害沙汰に対し、当事者たちのうち加害側全員に計四十八時間の無償奉仕を命じることとなった。もちろん一方的に八つ当たりで殴られたりした場合は加害者のみ無償奉仕をする。
それから当事者たちへの面談が始まった。誰が加害者で誰が被害者か定めるため、機長が双方の言い分を聞いた上で処分を確定させると、機長と監査部による面談が始まった。紗白も監査部も、無量寿として体力が続く限り、次から次へと面談していった。
オルゲルには何もなかった。彼女が未成年であること、その時彼女と絡んだ無量寿たちとの年齢差が著しかったこと、その場で滝鶴がすでに「注意」したことが理由であった。紗白はオルゲルについて、彼女へのいかなる誹謗中傷も許されず、例えすれ違いざまにちょっと小声で悪口を言うことすら、断じて許されない、発覚した場合は処分の対象となる、と機内全域へのアナウンスを行った。
昼前に燕巣がオペラニアの空港に着陸すると、乗組員たちも忙しくなったが、彼らも交代で休暇をとってこの世界有数の都市の娯楽を堪能しに出かけていった。
だが一方でここはロカスト・ブラザーズの本拠地でもある。この組織にかつてほどの勢いはないが、存在を堂々と許されている辺りは昔と同じである。そういう街へ敢えて繰り出すのである。しかし燕巣に限らず他の骨翼でも、オペラニアでだけは無量寿の度胸を試すことをよしとはしない。オペラニア国内であればどこであろうと、外出の際は必ず名前と出かけた日時、帰還予定日時を届け出ることになっている。さらに、単身での外出では許されない。
今回のオペラニア滞在は、鉄枝主演の舞台上演の日程にちょうど当たっていたので、それを目当てに出かけていく連中もいた。骨翼からでは切符を事前に取ることは叶わないが、鉄枝のショーは常に当日券も豊富に用意されているので、骨翼乗りの無量寿であっても、観劇しようと思えばできるのである。私服姿で出かけている無量寿たちを、オルゲルは公園の窓から眺めていた。
オルゲルは我が身を呪わずにはいられなかった。早速倶李相手に愚痴った。
(やっぱり持つべきものは同じ趣味の無量寿の友達なんだ……! そりゃ今はお金もないからどのみち行けないんだけどさ! こんな悔しいことってある?)
『悪かったな。私に手足がなくて』
(ほんとだよ!)
『そんなに行きたきゃバルバラか雲雀にでも頼めばいいだろう』
(冗談じゃない! 雲雀さんは昔スターだったんだよ? そんな厚かましい真似できないよ。でもだからってバルバラなんかと絶対行きたくない)
オルゲルの耳の内側から何かがぽろりと落ちる感覚があった。これは倶李がシャットダウンした合図だ。
「怒ったの? もう、ちょっと聞いて欲しかっただけなのに。ま、いいや。また来るよ」
オルゲルは思わず倶李への言葉をまあまあの大きさの声で言ってしまったが、公園では自分のお気に入りの植物に話しかけている人もいるのでひとりごとを言っている者自体は珍しくなく、特に浮くわけではなかった。ただ、離れた所から見守っていたゲンザにはしっかり聞かれていた。オルゲルは我に返った後、とても恥ずかしかった。
「倶李に拒絶でもされたか?」
「やだ、恥ずかしい。やっぱり聞かれてたんだ」
「いや、さっきのひとことだけだが」
「ならよかった」
「あいつと話す習慣が続くと、ああやってふっとひとりごとが出たりするから気をつけるんだな」
「なんか分かる気がする……」
「まあしかしさっきの話、察しはつくぞ。どうせ鉄枝の舞台を見にいきたいんだろ」
図星です、と言ってオルゲルは顔を真っ赤にしてうつむいた。
「鉄枝の芝居の切符ぐらい、やるぞ」
なんですかそれ、とオルゲルはさっきよりよほど大きな声をあげてしまった。バルバラからあれほど大きな声でオペラニア語は話すなと言われていたのに、とオルゲルは一気に顔を青くして辺りを見回した。
「大丈夫だ、誰も聞いてねえよ」
「は、はい……。で、あのゲンザさん今の……」
「切符はいつもたくさん鉄枝が送ってくるんだ。俺は行かないからいつも人にやってる」
なんでそんないい思いをと心の中で呟きながら、ゲンザが鉄枝のボディガードをしていたことを思い出し、そういうことかと納得した。オルゲルは息を呑んで言った。
「そんなものを私にくださると……?」
「切符って言うか、回数券だ。劇場の窓口で座席券と引き換えるようになってるんだ。後でやるよ。ただ一人では行くなよ。バルバラに連れてってもらえ」
「いえ、それはちょっと……」
「いやとは言わないさ。お前のそばについているのが今のあいつの仕事なんだからな。オペラニアに寄ることは最初から分かっていたことだ。外出につきあうことも折りこみ済みのはずだ。気を使うことはない。まああいつと二人きりというのも今は気が進まないだろうが」
「それはまあ……」
「安全上のことを言うと、お前がオペラニアに出かける場合は、俺も遠巻きに見張るように言われてるから、そこは安心してくれ」
「ゲンザさんもオペラニアに? そんな、ゲンザさんは一応無量寿でも名前の知られた人でしょう? 若い人は知らないのかもしれないけど、危なくないんですか」
「俺の生まれつきの才能の一つは、人に顔を覚えてもらえないことだ。これには昔から剣より自信がある。例えオペラニアでもな」
確かに印象に残りにくい、覚えづらい顔だとは思っていたのでそこは納得した。
安全上は問題なしとなれば、あとはバルバラと行くことをオルゲル自身の中でどうするかだ。
騒動があったあの日こそ、昼食と夕食はバルバラに部屋に持ってきてもらうやり方にしていたが、紗白のアナウンスがあってからは、また前と同じように食堂に行くようになっていた。結局のところオルゲルにとってバルバラは気の置けない人とは程遠かったが、それでも女同士であることも手伝って一番気安く頼れる相手であった。
外を歩いていても、何か言われているような感じはもうなかった。他人からの目線は気になったが、実感としては前ほどじろじろ見てくる輩はいない。
昼食をバルバラと取りながら、オルゲルがそのことを話すと、バルバラは言った。
「そりゃここにいる奴らの八割方は機長に恩があるからな。機長が言ったことには従うさ。まあ、大抵はな」
「恩?」
「寄港先の町々に潜入して、ひどいめにあっている無量寿を救い出して保護するというのが、骨翼の乗組員の裏の仕事だ。特に帯刀屋はな。骨翼を持っている国の公社は、その辺についちゃ見逃してくれている。そうやって救われてそのまま乗組員になった奴は多いよ。ま、昔は地上なんているだけで危なかったし、かと言って月に住むのもいやだってなるとここしかない」
「そうですか……」
「けど帯刀屋がいくら実力行使しようったって、事前の調査がきっちりできてなきゃ乗りこみようもない。そういう下調べについちゃ、機長は本当に熱心だし適格だった」
「息子さんを探しているから……」
「それもあるな。ただまあ、最近はもう探し尽くした感じがある。まだどっかに苦しんでる仲間はいるのかもしれないけど、ここ何年かは誰も助けていないんだ。一番最近に見つけた奴も、このまま人間の中で生きていくから放っておいてくれって言ってそれっきりだったし。それももう五年ぐらい前だったかな」
オルゲルが沈んだ声で相槌を打つと、バルバラが不意に「で、お前どっか行きたいとこあるんだろ」と言い出した。
バルバラの方から切り出されるとは予想していなかったので、オルゲルは慌てて視線を泳がせた。
「鉄枝の舞台、見たいんじゃねえの?」
「なんで分かるんですか」
「お前のプロフィールぐらい、事前に聞いてるに決まってるだろ。鉄枝のファンだってことも知ってるさ。どうなんだよ、明後日の出発までに行くのか、行かねえのか?」
「行きます」
即答だった。口が勝手にとしか言いようがなかった。心の中で何度「今のは嘘です!」と言ったか分からないが、一度言い出した手前、取り消すのはかえって気まずく、おとなしく甘えることになった。
調べ方が分からないオルゲルに代わって、バルバラは劇場や作品、時間帯などについて船内の新聞から調べてくれ、オルゲルはそこからただ選ぶだけでよかった。もう行かないとは言えなかったし、言う気もなかった。
オペラニア滞在中は骨翼も忙しいと聞いてはいたが、それでも世界一の大都市で楽しもうと、この機会のために休日を取っている乗組員は意外に大勢いて、燕巣の乗組員用の出入口の前に行列をなしていた。バルバラから早めに行くぞと言われてそのとおりにしていたのは正解で、オルゲルは余裕をもって町中にくりだすこととなった。
出かける時、誰もが当然ながら私服姿であった。バルバラや他の人たちの私服姿がオルゲルには新鮮だった。作業着を着ていた時はひとまとめの無量寿に見えていた彼らが、今ではそれぞれ違って見える。
「バルバラも出かけんだー? ああ、ボリーバンの子と一緒? わー、その服ひっさしぶりじゃん!」
「うっさいな。とっとと行けよ。つっかえてんだろ」
「はいはーい。気をつけてねー」
仲間なのか友人なのか、他の乗組員と軽口を叩き合うバルバラを、オルゲルは初めて見た。
(そりゃ知り合いぐらいいるよね。長いこと働いてるんだから。オペラニアはどうだか知らないけど、他の町へ誰かと出かけることもあるんだろうなあ)
一人一人、何をどうして燕巣で働くようになり、どんな気持ちでオペラニアに繰り出していくのだろうか。今になって船内にいた人々の顔がはっきりと見えるようになった。
空港から市街地へは鉄道でもバスでも行くことができた。交通案内の看板に目がいったが、バルバラは「タクシー使うぞ」と言ってオルゲルの腕を引いた。
「えっ、そんな贅沢な」
「安全のためだ。安心しろ、後で交通費としてもらえるようになってるから。私の財布じゃない。あ、そうだ両替行かないとな」
「あ、はい」
両替を済ませタクシーの列に向かいながら、バルバラは小声で言った。
「この辺はまだ仲間もちらほらいるからいいが、ここから先では自分が無量寿だって分かるようなことは絶対に言うなよ。とにかく念のため、喋る時はとにかく小声だ。あとオペラニアのタクシーの運転手にも気をつけろ」
「何をです?」
「自分は無量寿だって嘘ついて話しかけてくる奴がよくいるんだよ。今でもだ。そうやって油断させてロカスト・ブラザーズの本部ビルに連れていかれるんだ。お前は名前も顔もバレてるんだから、特に気をつけろ」
「だったら電車かバスの方がいいんじゃ」
「タクシーだったら相手は一人で済むだろ」
「あ、はい」
「ま、安心して楽しめ」
その日の晩、オルゲルは二枚の回数券を枕の下に入れて寝た。
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