第48話
ゲンザと雲雀は紗白の私室にまで乗りこんでいった。しかし紗白は、
「その話なら滝鶴から聞いている。バルバラもさっき来た。もうすぎたことだろう」
と言うばかりであった。
「機長からあの子に声をかけてやってくれ。あなたは悪くなかったと。船内の人間にも徹底させてくれ。オルゲルに口でも手でも害を与えるなと。機長たる者がそれをしなければ意味がない。ドリントに着きすればいいってもんじゃないだろう」
「私は保育士でもベビーシッターでもない。オルゲルにはそのぐらいの我慢はしてもらう」
「どうしてオルゲルが我慢しなければならないんだ。今回はたまたま絡まれたのがきっかけだったが、次は最初から暴力を振るわれるかもしれないんだぞ。もちろん何かされないよう、私たちが気をつける。しかしその前に機長の方でも白黒つけて欲しいんだ」
雲雀が怒りをあらわにする一方で、ゲンザの方はつとめて穏やかに言った。
「機長のお前がやらなきゃ意味がないこともあるんだ」
「まあ確かに、毛嫌いされてるお前がしゃしゃり出るとよけいややこしいことになるからな」
「俺が言いたいのは、お前のようなそれなりの立場の者からはっきりとオルゲルの味方だと表明してやって欲しいということだ。ミヤコや竹子だけがバックじゃ、結局他のみんなもオルゲルのことをしょせんは人間という目で見るからな」
紗白は「そんなことを」と言ってため息をついた。
「ふん、ミヤコや竹子にしてみれば、そんなことをしたら私がオルゲルを取りこもうとしていると思うんじゃないか? 別にいいだろう、私がオルゲルの味方面をする必要などあるまい。ミヤコや竹子こそうれしいだろう。やっと自分たちの側の無量寿があらわれて」
雲雀は黙っている。ゲンザは大分うんざりしていたが、ひととおり紗白に言いたいことは言わせようと同じく黙って聞いていた。
「ゲンザ、私は他にも頭の痛い問題をやっつけなきゃいけないんだ。まさに今朝のあのニュース以来、みんな気持ちが乱れているんだろう、あちこちで似たような喧嘩沙汰が起こっている。こんな状態で明日はもうオペラニアに着陸して、積み荷の差配をしなければならない。あの子一人に構っていられる場合じゃない」
雲雀がさっきまでより紅潮した顔で紗白に反論した。
「機長、今の『似たような』とはどういう意味だ。私はオルゲルの件を喧嘩と説明したつもりはなかったぞ」
「議論するつもりはない」
ゲンザと雲雀は習った時期こそ全く違うが、彦郎剣において紗白の弟子である。二人は紗白が味わった多くの悲劇の目撃者でもあった。そのために紗白に対してあと一歩を踏みこむ前に、きびすを返してしまうのが常だった。しかし今日は違った。
「どうでもオルゲルに力を入れたくないみたいだが、それならそれでなんで予定を早めてまで燕巣に乗せた? ミヤコへの当てつけか?」
本当に忙しいので紗白がいらついていたことは間違いない。しかしゲンザのこの質問にだけは彼女は冷静に答えた。
「一度人間の匂いがついた無量寿をこちら側に入れるわけにはいかない。早めに人間の巣に返すのが正しいだろう。そこから先は
今投げやりに考えたわけでも、咄嗟に出てしまったわけでもない、紗白なりに熟考の上でこの考えでいるからそう言っているのだとゲンザにも雲雀にも分かった。知りたい言い分ではなかったが、ともかくゲンザと雲雀にとって腑に落ちる答えではあった。
「じゃあやり方を変える……」
そう言うとゲンザは着ている上着をするりと開いてみせた。上着の内側のポケットには、あのカブトワリが入っていた。雲雀はぎょっとした。
(ゲンザ! よりによって今それを!)
紗白はそれが何か最初は分からず、武器を突きつけられたのかと思って少し後ずさった。
「あの谷で拾ったんだ」
そう言って短刀を取り出し、ゆっくりと刀身を見せた。紗白が今にも悲鳴をあげそうな顔をした。
「待てゲンザ、お前……。帯刀警察には届けたのか?」
紗白の表情がほとんど引きつっている。しかしゲンザは動じない。
「トードルに確かめさせたし、その足で帯刀警察に届けた。警察からはそれから意外と早く回答があったよ。何もなしってな」
紗白の表情から生気が消えていくさまがゲンザと雲雀にはありありと見てとれた。雲雀は居たたまれなかった。
「だからもう誰の物でもない。トードルに返す必要もない。それで話を戻す。オルゲルの」
待て、と紗白が話をさえぎった。
「本当にその刀には誰の痕跡もなかったのか! 本当に!」
声をあげる紗白に対し、ゲンザが表情を歪めて苦々しげに言った。
「俺がそんな嘘を好きこのんで言うか」
紗白は黙り、そしてうつむいた。ゲンザは続けた。
「お前にオルゲルを守る気がないのなら、いっそオルゲルに護身用として持たせるまでだ。使い方はあの子によく教えるさ。まあ慣れないうちは危なっかしいだろうが、自分で持っている分には問題ないだろう。カブトワリは使用者の体は絶対に傷つけないからな」
たまりかねた雲雀が割って入った。
「ゲンザ、オルゲルを思ってだろうが、荒療治がすぎる。機長を追いつめてなんになる?」
雲雀の仲裁をよそに紗白は黙っている。ゲンザは訊ねた。
「お前の庶への恨みを今さらどうこう言うつもりはない。俺だって気持ちは昔と変わらんさ。だがなぜオルゲルまで庶扱いする? 竹子もそうだ。竹子はもう百歳を越えたんだぞ。お前はオルゲルが百歳を越えても今と変わらないのか?」
まだどこか虚ろな表情の紗白は、それでもゲンザの問いかけにだけは答えた。
「人間の中で育ってしまった、それはもう取り返しがつかない。お前は無量寿なんだとどれだけ仕こんだところで無駄だ。私たちは竹子ともオルゲルとも出会うべきではなかった」
紗白の言葉はある意味真実だとゲンザは思った。それでもゲンザはその真実を認めるわけにはいかなかった。
「今生き残っている無量寿たちを守りたいのは分かる。お前にオルゲルを庇えとはもう言わない。だがその代わり、オルゲルの扱いは俺の好きにさせてもらうぞ」
「いやゲンザ、それはお前が持っていてくれ。オルゲルには渡さないでくれ」
紗白の顔からはもうさっきまでの粘つくような感情のほとばしりは失せ、ただの機長の顔に戻っていた。
「今回の問題に関する処置は、私が責任をもって行う」
何を今更、とゲンザは思わず口走った。しかし紗白の思惑をゲンザは理解した。
(まあ、あんまり俺に立ち回って欲しくないんだろう。鬱陶しいまでの強靭さだ)
だがなんであれ、紗白の言葉が現実になるなら、オルゲルにとってはそれが一番いい。
「で、どうまとめてくれるんだ? 機長」
「それはじきに伝える。少なくとも明日には」
「助かる」
そう言ってゲンザはそのまま紗白のもとを去った。雲雀もそれについていくように部屋を出た。外に出てから雲雀はゲンザを問いただしたかったが、なんとなく言いそびれてそのまま別れた。
その後紗白は滝鶴をただちに呼んだ。月のニュースを巡って起こっているトラブルに対し、あくまで機内ルールに基づいて処分をくだすという紗白の決断に、滝鶴は意外にも賛同した。が、トラブルを起こした当事者一人一人に面談した上で処罰を決定するという方法については異を唱えた。
「そんなことしたらめいめい自分は無実だと言い張るに決まっているじゃないですか。それに時間がかかりすぎます。証言ならこちらですぐにでも用意できますが」
滝鶴は帯刀屋以外の各部署の乗組員の誰かに秘密の監視役をさせている。
「誰がトラブルを起こしたかについては、そちらの情報をあてにさせてもらう。言い分に食い違いがある場合は、当事者が自分で証人を連れてこさせることにする。それでも食い違いがある場合は、やはり滝鶴の情報が頼りだ。私がお前をないがしろにしているように見えたのなら、すまないことだ」
「そうは申しておりませんが、オペラニアに降りたら忙しくなるでしょうに、何もこんなことにかかずりあわなくても」
「時間は私が寝ないでおけばどうにかなるだろう。私もはじめはこうするつもりはなかったが、一部の連中から突っこまれてね。それで気が変わった」
滝鶴が小気味よさそうにうっすらと笑った。
「オルゲルがいるというだけで、そこまで律義になられる必要があるとも思えませんが。ゲンザと雲雀に何を言われたのです?」
「私は何も言っていないぞ」
「分かりますとも。オルゲルの件でわざわざあなたに直談判しにくる者など、あの二人以外に有り得ません」
「はじめに来たのはバルバラだ。オルゲルの方が先に絡まれて挑発された。それなのに機長付から体罰を受けたと。後から雲雀とゲンザもやってきて、同じことを言ってきた」
「お言葉ですが今まで乗組員同士のトラブルに機長はほとんど介入されませんでした。このような方針転換の理由をお聞かせください。でなければこの件の差配もいたしかねます」
紗白としてはゲンザが月での事件の重要な物品でもあるカブトワリの短刀をゲンザが隠し持っていることを滝鶴にだけは教えたくなかった。法で所持が禁じられているものを乗組員の一人が隠し持っていてそれを紗白が知っていて見逃しているという事実を滝鶴が知れば、それは機長である紗白にとって弱みを握られることになる。
「正直言って私は船内の環境を滝鶴に任せすぎていた。オルゲルという新しい子をきっかけとして私も変わりたいし、燕巣も変えたい。ほんの少しでもいい方向に」
その後も議論は続いたが、カブトワリの件については滝鶴の前ではおくびにも出さなかった。結局一連のトラブルについては滝鶴も協力するということで双方は決着した。
滝鶴はゲンザの身辺を探らせたが、短い期間にそうそう気取られるものでもなかった。
ゲンザはカブトワリを肌身離さず、上着の内側に隠していた。風呂場で見つかることを避けるために、風呂場にも行かず、自室で体を拭くだけで済ませていた。鞘入りの短刀とは言え、見る者が見れば彼が上着の内に何か入れていることは分かっただろう。しかし食堂でのトラブル以来いつもゲンザはオルゲルの近くにいるようになったので、周囲の人間はオルゲルを守るために武装までしているのだろう、としか思わなかった。
短刀を上着の内に隠している帯刀屋など、別に何も不思議な存在ではない。しかし滝鶴の目はまさに短刀という部分に引きつけられた。
――ゲンザは燕巣内で武器を持ち歩いたりはしなかった。そう言えばラウルが持っていたカブトワリの短刀は結局見つからなかった。そういうことになっている。短刀が落ちた場所とオルゲルが落ちた場所はほぼ同じ。それなら。
もちろんただの勘にすぎない。しかしこの勘にいくらか賭けてみてもいいかもしれない。
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