第47話

 公園に人影は少なかったが、相変わらず行くとじろじろと眺められた。オルゲルは視線を振り払って窓へ向かった。そこからオペラニアの国土が見えている。まだ倶李には話しかけていない。雲雀は少し離れた所からオルゲルを見守っている。

(これが鉄枝かなえのいる国かあ……)

 ミヤコの辞任のことがなければ、ただそれだけを思うことができただろう。

(私の夢……。自分で働いたお金でいつかおばあちゃんとフリューを珀花の温泉に連れていく。おばあちゃんを連れてオペラニアの劇場で鉄枝を見る)

 夢は夢だとしても、自分はあまりにも夢を見すぎたのではないかと思った。

 俱李のそばに行くと、話題はどうしても今朝のことになった。

『傑作だったな』

(笑いごとじゃないよ。朝から本当にいやだ)

 オルゲルは目を伏せた。

『でもドリントに戻れば、もっといやなことが毎日起こるかもしれないぞ。そういう意味ではここの連中とはうまくやった方がいいんじゃないのか? お前の内心はどうあれ』

 吐き捨てるようにオルゲルは倶李に伝えた。

(言いたいことは分かるけど、こんな奴らと何百年もつきあうとか、有り得ない)

『うん、それでいい。お前は私と違って手足があるんだものな』

(ドリントに戻ればハッピーエンドだなんて思ってないよ。でも戻ることは大前提なんだ。俱李を地上のちゃんとした所に植えるためでもあるしね。それでもう植え替えはなし!)

『えらく楽天的だが、私がただの木だってことは忘れるなよ』

(もちろん。誰にも手は出させないよ)

『オルゲル、私の葉っぱを一枚ちぎれ。やる』

(え、なんでそんな! 痛くないの?)

『前にも言っただろう。お前らとは感覚が違う。これはこの先お前に必要になるんだ』

(分かった。でも今近くに雲雀さんいるんだけど)

『ならあいつがこっちを見ていない間にやる』

(そんなことできる? 相手は帯刀屋だよ)

『私はこれでも、人の動きが多少は読める。天気を読む力の応用でな。私が今だと言ったらちぎるんだ』

 俱李の合図はうまくいった。ぷちっと音をたてて、倶李の透き通った緑色の葉が一枚、まだ直径数ミリしかない倶李の枝から欠けた。オルゲルはすぐポケットにしまった。

『それを持ってさえいれば今後はどれだけ離れていても話せる。そいつはそのうち干からびて割れてしまうだろうが、効力は変わらない』

(便利だね)

『ただしそれは誰にも見せるな。私は不実李だ。生きるために人の選り好みは激しくしてきた。私はあくまでオルゲルに渡したんだ。それだけは忘れるなよ。さあ、今日はもう部屋にいろ』

(うん)

 どんなに不思議な力を持っていたとしても、とてつもない歳月を生きていても、倶李は一本のか弱い木にすぎない。その気になればオルゲルの力でも倶李を死なせることはできる。それでもオルゲルは自分のポケットの中に神様がいるような気がした。


 一人になってから俱李はオルゲルとの会話を思い返していた。

(あいつとは寧寧との年月を更新したい)


 紗白に朝の一件を話しに行く前に、雲雀はゲンザのもとへ向かった。

「滝鶴め、相変わらずろくなことをしないな。従来の乗組員同士のいざこざならともかく、オルゲルが絡んだことにそのやり方ではだめだろう」

「私もそう思ったが、その理屈だと燕巣は爆発する」

「オルゲル一人の心も守れん燕巣なら、堕ちてくれて結構だ」

「私にもそういう気持ちがないわけではないが、さすがにそれは言いすぎだろう」

「これだけでかけりゃ行き届かないこともあるのは分かる。けどオルゲルはたった数日いるだけだぞ。それを……」

「ここのリーダーなんて十年もやってりゃ誰でもああなるさ。そもそも紗白はその前にも何度も何度も燃え尽きた。ゲンザだって分かっているだろ」

 ゲンザはうつろな目をしながら「そりゃあな」とつぶやいた。

 去年の月穹げっきゅうのテントでのできごとを思い出した。昔から無量寿用のスペースとして確保されていた席を、紗白はたまたま困っていたオルゲルとその友人にあげてしまった。結果として大きなトラブルは起こらなかったが、無量寿の場所に人間を一緒に泊まらせるなど、どんなに大雑把な性格でもまずやらないことである。ゲンザの知る限り、これまでの紗白はそんなことはしなかった。

 ゲンザは頭の中で数える。今年は三〇〇九年。梓紗が死んでから今年で八十二年。そして、三年後は時夫の失踪から百年になる。時夫はもし無量寿であれば今年で百十五歳だ。

 戦争が終わって五十年がすぎたころ、ゲンザの知り合いの中でもかなりの者たちが家族や友人を探すことに見切りをつけ、中身のない墓を作ったり、葬儀のようなことをしたものだった。百年後にあたった去年はさらに多くの無量寿がそういったことをした。

 愛した者たちを探し続ける歳月には虚しさがつきものだが、その歳月を断ち切る儀式を経た無量寿は、また別の虚しさとの戦いをしなければいけない。体を病むことがないように、無量寿は心も病むことがない。しかしだからといって苦痛を伴わないわけではないし、体力も気力も無限にあるわけではない。

 紗白の狂おしい内心を、ゲンザはただ想像するしかない。

 雲雀はこうも言った。

「まあ機長もそんな風だし、滝鶴みたいなのもいる。そりゃオルゲルも倶李とつるみたがるはずだ」

「比べたくもないが、思い出すな、晩年の……、という言い方になってしまうが、あのころの女王は倶李だけが話し相手だった」

「不吉なことを……」

「そのせいで寿命を縮めた」

 ゲンザが言っているのは、洪水の月崩れのことである。不実李の種とは別に、不実李の種を保護しつつ持ち運ぶための専用のカプセルがあった。寧寧は逃げる前にそのカプセルを素早く用意することができなかった。

『倶李だけは守らせてくれ、ゲンザ!』

 女王はそう言って家の中でカプセルを探し続けた。カプセルは見つかったが、一分一秒でも早い避難を争う中、それだけの時間を使ってしまった報いは大きかった。

 どちらかを選べと言われれば、ゲンザにとっては圧倒的に最後の不実李よりも寧寧であった。そして彼の腕力なら寧寧を無理矢理連れ出すこともできた。しかし彼はそれをせず、探すのを手伝った。

 カプセルは諦めてさっさと避難できていたらと、ゲンザはこれまで数えきれないほど悔やんだ。だがそれで本当に助かったかどうかは分からない。それにカプセルに入った状態だったから、倶李は谷底に沈みきることなく、命拾いをしたのだ。その俱李がいたからこそオルゲルも助かった。

 雲雀が言った。

「取り敢えず、オルゲルがこれ以上ひどい目に遭う前に機長殿のところだ」

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