第38話

 途中、静海市立病院に寄った。ミヤコに挨拶する段になると名残り惜しさが先に立って、オルゲルは少し泣いてしまった。

「ミヤコさん、帰るって言っておいてなんですけど、元気になってから、もっといろいろお話したかったです」

 竹子は気をきかせて、用事のふりをしてその場から離れた。

「月刻録、どうだった?」

「……ミヤコさんはどう思っているんです? なんで無量寿はこんな苦労ばかりって」

「私は無量寿としてはまだ若い方だけど、それでも二百年以上は生きている。その上で思うことは、今の私たちの状況は確かに不幸だけれど、それは無量寿が自ら作ってしまった状況でもあるということだよ」

 え、と言ったきり、オルゲルは表情がかたまってしまった。

「無量寿はずっと世界中の国で人間より上に立っていた。もちろん全ての無量寿が王侯貴族だったわけじゃない。たたそれでも、ほとんどの人間と比較して、ずっと暮らしを保障されていた。物事を考えるゆとりはいくらでもあった。全ての無量寿が人間をばかにしない、どんなに短くても人生があるという気持ちを強く持っていたら、こんな世界にならずに済んだんだ。無量寿は敵だという君が受けた教育は、ある意味間違ってはいない」

 もちろん竹子や君にはなんの責任もないことだよ。ミヤコはそう言い加えてはくれたが、オルゲルにとっては逃げどころのない理屈であった。オルゲルがどんな顔をしていいか分からないでいるとミヤコはにっこりと笑ってこう言った。

「でも矛盾するかもしれないけど、やられたらやり返していいんだ。一人でやり返せなかったら、誰かに協力してもらえばいい。もちろん私はいつだってオルゲルに加勢するつもりでいるよ」

 それを聞いてオルゲルの顔もわずかに緩んだ。

「それならできると思います」

「うん」


 その日は病院の一室に泊まり、翌日の朝日がのぼる前に病院を出た。

「私ね、竹子さん。いつかおばあちゃんやフリューを連れて珀花の温泉に行きたいなあって思ってるんですけど、それとは別に行きたい国があるんです。実はその……、オペラニアなんですけど」

「そうなんですか。またどうして?」

「よりによって、って感じですよね」

「いえ、そういう意味で言ったわけでは。あ、もしかして鉄枝の舞台を生で見るためですか?」

「うふふ、そうでーす! なーんて……。いつになることか。でもおばあちゃんもフリューも鉄枝は大好きだからいつかみんなで見れたらなあって」

 聞きながら竹子はどう返答したものかと一瞬悩んだ。しかし答えた。

「大丈夫ですよ。まだオルゲルさんは先がずーっと長いんですから。夢はいくら先延ばしにしても構いません」

「わーい! なら大丈夫ですね!」

「旅で行きたい所は、たくさん作っておいた方がいいですよ。それだけで少しは元気に日々をすごせますから」

 すっかり浮かれていたオルゲルだったが、竹子のその言葉に涙がにじんだ。オルゲルはそれを振り払うように「頑張って将来働きます!」と言った。

「ああ、そう言えば忘れていました、オルゲルさん。あなたに一度ぐらいトランペットをお聞かせしようと思っていたのに……」

「え、そんなことまでしてくださるんだったんですか?」

「ええまあ。厚かましくてすみません」

「とんでもない! 私、竹子さんのトランペットにはすごく感動したんです。あー、お願いできるんだったら言っちゃうんだった」

「畏れ入ります。では、いつかの機会に」

「きっと!」

「そうそう、オルゲルさんには剣がありますけど、何か習いたいことがあったら、なんでも習い始めたらいいですよ。私たちには時間はたっぷりありますから。私のトランペットはほとんど独学ですが、やっててよかったです」

「竹子さんはいつから楽器をやり始めたんですか?」

「いつだったかはもう忘れてしまいましたが、交番に落とし物としてトランペットが届けられたんですよ。それ自体はすぐに落とし主があらわれたんですけど、手元にある間に、なんとなくやってみたくなったんです。きっかけはそんなものでした」

「へえ。そんな偶然!」

 ピアノをやめたオルゲルにとってはどこか耳に痛い話でもあった。別に後悔はしていないが、竹子のように武道も音楽も極められるというのは、なんと素敵なことだろうと思った。

 車を降りると誰かがつけているような感じがした。竹子はオルゲルより先に気づいたが、ただ「このまま歩きましょう」と言っただけだった。燕巣が空港にいるとなれば無量寿の少女オルゲルがここへ来るかも、と勘を働かせたカメラマンが複数いたようだった。

 貨物用エリアの入口まで来ると、そこが別れであった。

 紗白の姿は遠目にも分かった。去年月穹のテントで会ったころ背中まであった髪は、肩の辺りまでになっていた。やっぱりこのかつらの髪は紗白のものなんだとオルゲルは変に興奮した。

 紗白を横に、竹子はオルゲルを抱きしめた。

「お元気で」

 それだけ言って、あとは紗白に「どうかよろしくお願いします」と言い、頭を下げた。

「この子の身は何に替えてもドリントへ届ける。お前も元気でな」

 竹子はただ「はい」と返事をするだけであった。オルゲルは紗白に挨拶をしたかったが、紗白と竹子の作る雰囲気にはそれを阻むものがあった。

 紗白は竹子をじっと見て言った。隣にはオルゲルがいる。

「ドリントまでついていきたいのか? 竹子」

「気持ちとしてはね」

「だったらお前、帯刀屋になってくれればよかったのに」

 今この場でわざわざそんなことを言う紗白に、竹子はいくらか感情を害された。この人はこういう人だから、という諦めと共に竹子は言った。

「私に帯刀屋はできない。今もこれからも」

 ごく自然にそう言った竹子に、紗白は面白くなさそうな目をしつつも、「また警察に戻ったら、連絡くれ」と言い、オルゲルに「では行こうか」と声をかけた。

 オルゲルは歩きながら竹子の方を振り返った。その辺りにカメラマンがたむろしているのは分かっていた。

「本当にありがとうございました! またお手紙します!」

 我ながらとてもいい声が出て、オルゲルは自分を誉めてやりたかった。

 一方、オルゲルからあまりにまっすぐに見られて、それが竹子には苦しかった。

「お気をつけて!」

 そう言って竹子はオルゲルに手を振った。


 地上で暮らすなら帯刀警察がいいのだと竹子は思う。

 地上でも彦郎剣を習っていた竹子だったが、月でもっと高度な鍛錬を施してくれたのは紗白と勘五郎である。ゲンザにも教わったが、それは勘五郎が月崩れで死んでしまった後の話だ。

 ただ帯刀警察になるためだけではない、彦郎剣は竹子にとって無量寿になるための手段であった。その中で、新しい命を授かってからの紗白と勘五郎を見ていた。梓紗が無量寿だと分かってからの二人のことも。

(梓紗は本当に……、かわいかった……)

 二人が梓紗を地上の人間に預けるという道も、なくはなかった。そうなりかけたこともある。

 だが結局実現しなかった。

 そして二九二七年の月崩れが全てを奪った。

 あの時の紗白の悲鳴。暴れる腕を摑んだ記憶。そして梓紗の最後の泣き声。竹子にとって全ては昨日のことであった。

 選ぶのは恐い。

 私たちは選んできた。これからも選び続ける。

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