第30話

 六か国の一つ、農業国である後常ごじょうでは、どこの物流でもとうもろこしと小麦の積みこみ作業に追われている。大量に積載できる骨翼ならなおのことだ。朝から晩まで、次から次へと空港にいる燕巣のところへトラックがやってきてはコンテナが燕巣えんそうの奥へ積みこまれていく。紗白さじろも機長としてそれぞれの作業の進行のチェックに余念がない。

 荷の積みこみにおいては、帯刀屋も出張ることになる。作業中に強盗まがいの連中に襲われるのを防ぐため、あるいは横流しなどが万が一ないか見張るためだ。オルゲルという新たな無量寿の発見もあり、乗組員たちの間にも緊張感がある。

だがそんな事情があっても人間側のトラックの運転手や作業員からは帯刀屋は決していい目で見られてはいない。人間の航空会社が銃を担いだ警備員を配置させたところでそう悪目立ちはしないが、腰に剣を提げた無量寿の帯刀屋は彼らの目には不気味に映るのだ。当の帯刀屋たちは、それもまた承知の上で見張りに立っている。

 ゲンザも普段こういった場にあらかじめシフトが組まれているはずなのだが、今回に限って彼の名前は入っていない。

 燕巣の中でゲンザは一応帯刀屋の一員ではあるのだが、それはあくまで形式上のことに近い。とは言え、忙しい時に入っていないのを、ニコライは不審がった。食事の時間にたまたま雲雀を見つけると、早速愚痴った。

「あいつめ、昼寝でもしているのか」

「さあな。まあ、他の連中から雑用でも頼まれているんじゃないのか」

 ゲンザは他の帯刀屋から好かれてはいない。しかしながらゲンザの悪口とあればテンポよく同調してくれる雲雀が、今回はそうでもないのでニコライとしては期待外れであった。

「シフト表は雲雀がチェックしたんだろう?」

「そうとも。ああ、いないなとは思ったが、まあそれだけのことだ。ま、サルザン人が細かいことを気にするな」

「ふん、何が起こるかもしれんというのに……」

「ゲンザは庭いじりにはまってるらしい」

「なんだそりゃあ」

「今ごろ公園にいるんじゃないのか。ニコライ、見にいってみたらいい」

「へっ、やなこったね」

 お茶をすすると雲雀は「お先に」と言ってその場からそそくさと去っていった。いつもならそのまま喫煙室にでも向かうところだが、それがなかったので珍しいこともあるもんだとニコライは思った。

 ニコライはまた、最近雲雀のゲンザに対する態度に昔ほどの険がないことも意外に思っていた。あの戦争の前に起こった暴動で刀を取らなかったゲンザのことを、帯刀屋ならば誰であれ快く思ってはいない。人間との戦争で踏燕とうえんを使う剣士がほとんど死に絶えた中、新たに剣士を志した者たちに踏燕を仕込んだのはゲンザだったが、彼に師事していても各々の腹の内はまた別で、それはいまだにそうなのだ。

(まっさか今さら惚れたとかじゃねえよなあ)

 やだやだと思いながらニコライは首を振った。

 ニコライにはあずかり知らないことだったが、このころ、あのトードルのカブトワリの鑑識結果がゲンザのもとに知らされたのである。結果はゼロ。過去のカブトワリの刃文の記録簿との合致もなかったという。かろうじて分かったことと言えば、比較的新しい年代に作られたものだということぐらいだった。こういった場合、敢えて捜索者たちにそうした事実が知らされることはない。切実に家族や仲間のかけらを求め続けている同胞たちをよそに、全ては雲雀とゲンザのうちにのみ届けられた。

 カブトワリは今ゲンザが慎重に所持している。ゲンザも雲雀も迷っている。こうなったら倶李ぐりに「鑑識」させてみようか。不実李の能力で何か手がかりが見つかるかもしれない。ただそれをやるには二人とも大きなためらいがある。


 骨翼は小さな町と言っていい。機内での暮らしが長くなりがちな乗組員たちの精神衛生のために、骨翼は大きな庭を持っているのが常だ。燕巣も一つの階の全域が庭になっている。そこはほぼ全ての足元に土が敷かれ、花と緑でおおわれた憩いの場だ。大木はさすがにないが、樹齢百年を越える藤が四か所にある。地上もまた必ずしも羽根をのばせる場とは言えない乗組員たちにとって、光を感じ、花や樹木を愛でることができる空間は、必要性において切実なものがあった。

 そして倶李は今ここにいた。

 去年の十月の涙の谷で、オルゲルと共に発見された倶李はその場で種子化し、ゲンザはそれを自分のポケットに入れた。種の大きさは直径四センチほどだったので、誰にも気づかれることはなかった。あのカブトワリがそうだったように、そのままゲンザと雲雀、二人だけの秘密となった。

 倶李の種をそのまま自室の引き出しにでもしまっておくこともできたし、それが一番無難だったのだが、そうはいかなかった。この燕巣の公園の土の匂いのせいだ。

 涙の谷で飢餓状態の長かった倶李は、本来なら養分の摂取を必要としない種の姿になっても匂いの誘惑に抗えなかったのである。ゲンザの住まう居住スペースにいても、倶李には公園の土の匂いが分かってしまう。倶李に何度も何度も『ツチ、ツチ……』とわめかれたゲンザは観念して公園の土に倶李を埋めてやったのであった。公園は乗組員がどこかの花屋で買ってきた花や小さな植木で昔から賑わっていたので、ゲンザのしたことも目立たなかった。土に埋めた以上、光と養分に飢えている倶李は芽を出し根を張ることになるわけだが、周囲の人に話しかけたりしなければ、このまま公園の植物の一つということでやりすごせる、などとゲンザは考えたのである。

 そうやって植えてから半年以上たったわけだが、今はまだ二十センチぐらいにしか成長していない。相変わらず警戒心のかたまりだ、とゲンザは思った。

 草むしりをしているふりをしながら、ゲンザは倶李に話しかけた。と言っても、返事をしてもらったことは一度もない。それでもゲンザは倶李に話しかける。

(久しぶりだな。まだそれっぽっちしか伸びてないのか。九十二年ぶりに地上の水と土を食って、腹でも壊したか?)

 倶李は今日も何も答えない。基本的にゲンザと言葉を交わす気がないのだ。少なくともゲンザのこうした軽口は倶李が最も反応したくない類の会話だった。

(埋めてやった途端に、ずっとだんまりとはな)

 ゲンザがため息をつくと、後ろから雲雀の声がした。

「どうせ話しかけているんだろうが、その木はお前とは話したくないだろうよ。私と代わってくれよ」

 出し抜けにそんなことを言われたものの、ゲンザは顔をしかめるでもなく、「いろんな意味で相変わらずさ」とだけ言って、どこかへ行ってしまった。

 ゲンザが行ってしまったのを確かめた後、雲雀は倶李の前に座りこんだ。ゲンザが公園に倶李を埋めたことは知っていたが、自分の足で倶李の前に行くのは今日が初めてだった。

 倶李の前に座りこんだ雲雀は、しばらく黙って小さな不実李を眺め、それから手で若葉に触れそうになりながらふとその手を止めた。

(なあ、触ってもいいのか?)

 しばしの沈黙があった。

『ちょっとだけならな。葉っぱを勝手にちぎるなよ』

(しないよ)

 雲雀はその声を聞いた後、倶李の葉にそっと触れた。ここに植わっているどんな植物よりも倶李の齢は長い。しかし新たに成長しだしたその葉は、すきとおるような瑞々しさを持っていた。

 長い沈黙があった。もしかしてこいつ泣いているのかと倶李は思ったが、湿度の変化は感じなかったのでそれはない。敵意がないのも分かっていたが、倶李はなんとなく気まずかった。

『何か言えよ。恐いじゃないか』

(いや、ごめん……。お前の姿と言えば、種の状態か、あとは王家に伝わっていた大昔のお前の落ち葉しか見たことなかったから、つい……)

『あれは落ち葉じゃないし、枯れ葉でもない。私から直接ちぎられた葉っぱのなれのはてだ。まあ、物持ちのいい王族だよ。でもそれしか見たことないって? お前は私が谷ででかくなってるとこ見ただろ?』

(そんなじっくり見ている余裕なんか、あそこであったか?)

『まあそれもそうだな』

(お前は知らないかもしれないが、私は月にいたころに女王から分けて頂いたんだ、わずかに残った葉の一枚を。不実李は葉っぱだけでも人と思いを伝え合えるという伝説がある。もちろんそれにそんな効力はなかったが、それでも私にとって長い間あれがわずかな心の杖だった。もうとうの昔になくしてしまったが)

『それを伝えたかったのか、私に』

(迷惑だったか? まあ、お前にとっては意味が分からないかもしれないけど)

『まあな。その葉っぱはもともとお前に渡した物ではない。だから言葉を交わすことができなかったんだ。あれはそういうものだ』

(そういうことだったのか。だけど本物の緑色の不実李の葉に触れたらもっと……、感情的になるかと思っていたが、そうでもなかった。時がたちすぎたのかな)

『ふん。みんな私に勝手な夢を抱く。昔からだ。どれもこれも私からすれば気色の悪い夢だったよ。理想郷を求めながら、いずれすぐ殺し合いになるのがお前たちだ。私はそういうものからいつもひと足早く逃げだすことで今日まで生き延びてきた』

(それは悪かったな。だけどこの目でお前を見られてうれしい。本当にうれしいよ。できればもっと大きく育って欲しいな。私が抱きつけるぐらいには)

 雲雀は倶李の葉から手を離した。

(あのころの生き残りも、大勢死んでしまったよ。今まだ残っている月の連中は、お前のことなんてとっくに頭から抜けている。ちょうどあの交流試合の時にみんなと久しぶりに話したもんだが、お前の話題はなかった。でももしお前がこんな風に芽を出しているなんて知ったら、また変わるかもな)

 倶李は何も言わなかった。

(何はともあれ、私たちはまだ細々と生きている)

 しばしの沈黙の後、雲雀は言った。

(私はもうベステミアじゃない。今の名前は雲雀だ。それは覚えておいてくれ。ここで帯刀屋という役目をしながら剣を振るっている。踏燕とうえんを会得して、この骨翼をもろから守っている)

『なるほど。どおりで血の匂いがする。ゲンザがまだ剣士でいるのも意外と言えば意外だったが、お前がそうなのはもっと意外だった。紗白も一緒か?』

(あの人はもう剣士じゃない)

『えっ』

(お前が消えた二九一六年の洪水の月崩れの後、息子の時夫が家出してそれっきりだ。いまだに行方が分からない。その後、勘五郎が死んだんだ、二九二七年の月崩れで。まあ話すと長くなるが、いろいろあってもう彦郎剣には関わらなくなった。その辺りのことは、またいつか教えるよ)

『ああそのうちにな。なあ、私のことは誰にも言うなよ!』

(言わないよ。今以上の人間が秘密を知れば、いずれミヤコにも届いてしまうからな。ゲンザから聞いてるだろ。新米医師だったあいつも今ではいっぱしに月の区長だ。だがあいつは人間と近すぎる。あいつに話せば、まあ、人間の偉い連中には知れ渡ってしまうだろうしな。紗白にも言わない。紗白も今ではここの機長で、何かとややこしい立場だ。知られると厄介だ)

『その感じだと、カブトワリの短刀のことも紗白に言ってないんだな』

(言う必要もないからな)

『ふん……。まあ私のことをいくら内緒にしてくれたって、私はここに長くいるつもりはないぞ』

(ははは、そうだろうな。お前、どうせゲンザから聞いてるだろ。八月にオルゲルを乗せるんだ)

『これに?』

(なんだ。ゲンザは言ってないのか)

『初めて聞いた。ゲンザめ。けど骨翼なんて他にもあるだろうに、一番でかくて野暮ったいこいつで行くのか』

(ここには私とゲンザがいるし、何より紗白とオルゲルは顔見知りだったようだからな。そうなると燕巣が一番好都合だ)

 オルゲルが燕巣に乗ってドリントに帰ることを、ゲンザが倶李に黙っていた理由について、雲雀は憶測を巡らせていた。と同時に今自分が倶李にそのことを話してしまったことは迂闊だったかもしれないとも思った。ゲンザは倶李がこの先オルゲルと行動を共にすることを危ぶんでいるのに違いなかった。燕巣の中は広大だ。オルゲルと倶李がお互い同じ空間にいることを気づかせないようにすることも、やろうと思えばできる。

(なあ倶李、お前オルゲルとまた会えたら、あの子にくっついて出ていくつもりなんだろう? そうすれば少なくともドリントへは行ける)

『そんな危なっかしい真似をするか、この私が』

(別に止めはしない)

『想像で話を進めないでくれ。私は何も言ってないぞ』

(じゃ、聞き流しておけよ。だけどねえ倶李、私が思うにあんたの安住の地はこの庭園ぐらいしかないと思ってるよ。オルゲルに罪はないが、庶と庶の間に無量寿が生まれてしまったとなると、今いる無量寿だってどうなるか分かったものじゃない。月だって安全とは言いきれないかもしれない。この上、伝説の不実李があったなんてばれたら、珀花だってまた荒れるかもしれないぞ)

 珀花の人々が月に無量寿がいることをどうにか認めているのは、まず珀花に骨翼が二機残存し、なおかつどちらも珀花の公社のもとで運営されていることから利があること、そして月に月崩れがあることが大きい。月崩れが不実李によってタイミングも内容も予測可能となったら、人間は月を無量寿から奪うかもしれなかった。

(とにかく悪いことは言わない、どんなに大地が恋しかろうと、一番いいのはここなんだ)

『ここには風がない。それに、こんな持ちこまれた土でできた場所なんか嫌いだ。私は地上最後の不実李だぞ! 相応の場というものがある』

 あくまでそう言い張る倶李に雲雀は(ふん、贅沢な奴め)と言ってため息をついた。そのまま(また適当な時に来る)とだけ言って雲雀は庭を去った。

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