第28話

 説明が終わった後はやはり疲れが出た。どんなに疲れていてもまだベッドにばたんと倒れこむような真似はできないので、あくまでそっと横たわる。

 一人天井を見つめながら、オルゲルは竹子の言葉を思い返していた。

『でも一番頑張ったのはオルゲルさんですから』

(あの時……、ゲンザさんと竹子さんだけに任せておけば、さっさとラウルを引っ張り上げて、ちょっとしたアクシデントだったってことで終わってはず。竹子さんがかわいそうだって、人間の私が何かしなきゃって出ていっちゃったけど、そんな必要全然なかった。こんな大ごとになっちゃって、もう迷惑なんてレベルじゃない。おばあちゃんとフリューだって……。エッカだってきっとラウルと私の板挟みになって、すごく傷ついてる)

 そんなオルゲルのことをミヤコも竹子も怒らない。責めるかのような物言いすら、これまで影も形もなかった。

(そりゃ怒らないよね)

 百年以上生きている人たちからすれば、自分なぞ三歳児のようなものだろう。三歳児のしたことをいちいち叱る大人はいない。オルゲルはそう噛みしめた。


 ミヤコは早速エッカの両親に連絡を取ってみた。しかし案の定、先方からの願いは娘とは関わらないで欲しいというものだった。ミヤコにしてみればこういったことは今に始まったことではない。

「ま、警察に聞けば済むことなんでね」

 そうひとりごとを言うと早速、ボリーバンで帯刀警察をしている無量寿に連絡を取り、ドリント市在住であったエッカが今どこにいるのか調査を依頼した。回答は翌日にはあった。ドリント市から百キロ離れたアルバハンという町の高等学校へ転校しており、実家からの通いではなく、親戚の家に住まわせてもらっているのだということだった。母親が時々訪ねてくるとも聞いた。

「ま、これなら手紙のやりとりぐらいはなんとかなるかな」

 ミヤコはエッカのことをオルゲルに伝えた。エッカの両親がとったスタンスについても同様に説明した。そしてメモを渡した。

「無量寿の社会では、無量寿と人間の手紙のやりとりをサポートする組織があります。まあ要は転送サービスですよ。オルゲルさんから手紙を出す時は、この宛先と名前を使ってください。エッカさんから手紙を出す時は、そのままこの住所あてに。で、エッカさんにはこの宛先がどういう組織かを知られないように気をつけてねって伝えておいてください」

 ミヤコがそう言うと、オルゲルは「ありがとうございます!」と言って、とても喜んだ。

 ミヤコがやったことはエッカの住まいを勝手に調べ、さらにオルゲルから手紙が届くことをよしとするかどうかエッカに確認もしていないという、全く誉められないことだったのだが、ボリーバン人も珀花人もそういうことは気にしない民族性があった。

 その上でミヤコはオルゲルに真顔でこう言った。

「手紙をやり取りする環境すら、こういう形でしか用意できなくて、申し訳ない。もしこの手も使えなくなったらすぐ言ってください。別の方法を考えます」

 それに対しオルゲルはただミヤコに感謝するばかりであった。その態度を見てミヤコの心は曇った。ああもうこの子は自分はこういうものだと受け入れ始めてしまっている。かと言って、どうしてエッカと普通に文通ができないんだと今この場でオルゲルが怒りをあらわしたとして、ミヤコがオルゲルにかけてやれる言葉はない。

 いまだにこのざまかと、ミヤコはただやるせなかった。


 数日後、オルゲルは退院した。竹子はこれをもってミヤコの護衛からは解かれ、オルゲルに付き添って月へ向かった。人目につくのを避けるために病院は夜に出発し、病院のライトバンにスタッフの運転で桂口まで向かった。

 定期点検のためと偽りの通行止めが張られたケーブルカーの駅は明かりこそあれ、一般人は皆無だった。オルゲルと竹子は改札からではなく、乗務員用の通用口を通ってホームに入る。通用口の簡素なドアに入るまで、オルゲルは自分の視界が奇妙に広がっていくのを感じた。これが自分が見る最後の地上の光景かもしれない、とも思った。しかし夜の駅はなんともすすけていて陰鬱でしかない。

 ヴァンダと最後に会ったのがいつだったか、フリューやエッカはどうしているか、そういったことは考えなかった。

ドアは竹子の手で閉ざされ、オルゲルの視界は駅構内のコンクリートだけになった。

 ほどなく二人を乗せたケーブルカーは動きだした。

(囚人みたいな気分になりそうだから、せめてと思って売店でキャラメルいっぱい買ってったけど、全然食べる気になれないや……)

 ぼんやりとしているオルゲルに竹子が言った。

「私はこのまま起きていますが、オルゲルさん、私のことは気にせず寝てくださいね。あなたは一応療養の身でもあるんですから」

「え、そんな、竹子さんこそ寝てください」

「これでも警官のはしくれでしたし、私は人間とは違うので、徹夜は苦ではありません」

「そうですか……。でもなんか冴えちゃって。眠くなったら言います」

「そうしてください」

 月へ向かう路線にいると、どうしても去年の十月のことが思い出された。まだ一年とたっていないのに、何十年も昔のことのようだった。

 父が死んだ時も、母が死んだ時も、自分の足元が崩れていくのを感じた。しかし今の自分に比べれば、なんてたくさんのものに守られていたのだろうと思える。

(今だってそりゃあ、守られているんだけど……)

 ケーブルカーのひたすらくだっていく感覚が、オルゲルの気持ちを同じように底へ底へと引きずっていくようだった。

「オルゲルさん、なんなら車内の電灯、消してもらいましょうか?」

「いえ、そんな。このくだる感じがする中で目をつむっていると、ちょっと感覚が……」

「ああ、なるほど。私はもうすっかり慣れてしまって、今は逆にケーブルカーの中は寝る時間ですよ。でも私も昔はオルゲルさんみたいでした。もう遠い昔のことですが」

「竹子さんがこれに初めて乗ったのって、小さいころとかですか?」

「いいえ、もう十八でした」

「そうなんですか」

「前に私は二九〇八年の、戦争が終わった年に生まれたと言いましたね。私はね、オルゲルさん。生まれてすぐに、人間の夫婦に預けられたんですよ」

「えっ……」

「私の両親の出会いは戦争がきっかけでした。そうでなければ一生会うこともなかったかもしれません。二人とも珀花人でしたが、父が国内在住だった一方で、母はボリーバンで暮らしていました。戦争も末期になってどこの国も無量寿による政府が倒され、無量寿にとって危険な状態になりました。父の一家はそれまでの暮らしを引き払って月へ逃げました。でもボリーバンにいた母は……。珀花には月がありますが、ボリーバンに逃げ場はありません。母は海を渡って珀花に行き、最終的に月へ行くしか生き延びる道はありませんでした。でもドリントの港へ辿り着くまでですら、命がけ。行く先々に無量寿を殺そうとする人々が待ち構えていたからです。母は自分の両親、祖父母と一緒に逃げていました。みんな足腰はしっかりしていたので、長時間の放浪にも耐えられるはずでした。でも……。詳しいことは母から聞いてはいませんが、結局月まで行くことができたのは、母一人でした」

 トンネル内のライトが、車内のオルゲルや竹子の顔をかわるがわる照らしていく。そのリズムのように竹子の口調は淡々としていた。

「そのころの桂口かつらのくち寧寧ねねの護衛係や親衛隊、志願した一般人によって堅固に守られていました。オルゲルさんは紗白さじろさんを知っていましたよね?」

「ええ」

「紗白さんと紗白さんの夫の勘五郎かんごろうさんは彦郎剣の剣士として、静海から桂口への守りに加わっていたんですよ。父の一家も母も、彼らのおかげで静海にさえ辿り着ければ、あとは間違いなく月に行けたんです。でも着いたら着いたで、ご存じのとおり月は何もない所です。家族と生き別れたり死に別れたりしてここまで来た人たちがたくさんいましたが、それでもなんでも生活はしていかないといけません。男の人たちのほとんどは戦闘員として戦地に赴くかすでにそれで死んでしまっていたので、女たちだけで家を建てたり、畑を作ったり、水路を作ったり、そのころはみんな必死でした。そんな中で私の母は、月の数少ない男の一人を射止めたというわけです」

 最後のひとことだけ、竹子は少し笑いながら言った。と、同時にオルゲルは大会で見た無量寿の剣士たちのうち岳仁がくじん以外は女性だったことを思い出した。

「竹子という名前は両親が考えたものでした。土地を拓くのに竹藪で苦労したそうで、それで私に竹のようにしぶとく生き抜いて欲しいと願ってつけたそうです。ただこの時両親は、私の出生を役所には届け出ませんでした。まあ一応、月には隠れ住んでいるわけですからね。そういう意味では私も他の人たちも、みんないないはずの存在であるわけです。……あ、すみません、さっきから私ばかりべらべら喋ってしまって」

「いえ、竹子さんのお話、聞きたいです」

 すみませんと言いながら竹子は話を続けた。

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