第24話

 雑音がひどかったが、紗白の耳にはっきりとオルゲルを発見したというゲンザの声が聞こえた。

「ミヤコ、オルゲルがいた。まだ生きている」

「なんだって?」

 クレーンで降りられる所までの間にオルゲルはいなかったと聞いていたので、ミヤコはオルゲルの生存については諦めていた。

「それで落ち着いて聞いてくれ。この子は、無量寿だ」

「え……」

「体の損壊からして即死以外有り得ない。だが心臓が動いている。意識もある……。そうだ、昔腐るほど見ただろう、死んでも死にきれない状態の奴を。まさにああいう感じだ」

 ミヤコの中で怒涛のような思考が同時に何通りも繰り広げられた。それでも今どうすればいいか。もちろん決まっている。

「救おう。体もきっと元に戻す」

 紗白さじろはミヤコの言葉に尋常ではないものを感じた。ほとんど動くことのない紗白の感情すら、少なくともこの時は揺さぶった。

「ミヤコ……、月脱出カプセルを使え。それと燕巣に連絡する。カプセルにオルゲルを入れて、病院まで一気に転送だ」

「それは……」

 桂口のケーブルカーは片道約二時間を要する。そこをものの数分で、しかも桂口の駅などではなく任意の位置に移動させることができるシステムが存在していた。無量寿による文明の遺物ではあるが、骨翼こつよくと脱出カプセルをシンクロさせて、カプセルを瞬間移動させるのである。カプセルは大人四人が乗ることができる。ただし月に一台しかないため、最も必要になるであろう月崩れの際には使えなかった。

 しかし今はこの場に記者たちがいる。このカプセルは公然の秘密でもあったので、無量寿の誰にとっても、大っぴらには使いたくない。

(いやもう、言い訳なんか後で考えればいい)

 ミヤコは腹をくくった。

「車庫から出しておくよう連絡する。オルゲルが上がってきたら、今ここにある車に乗せて車庫の前まで連れていこう。ああでもその前に……」

 ミヤコは小声で言った。

「ラウルはこの場にいてもらっては困るな。彼はもう警察の方で月の外へ行かせよう」


 カプセルにはオルゲルと共にミヤコと紗白が乗った。燕巣えんそうとのシンクロを行う操作のためにも、紗白がいなければならなかった。

 狭い空間はあっという間に血の匂いで満たされた。移動中のカプセルはとても静かだ。そのせいで虫の息のオルゲルのうめき声が二人の耳によく響く。しかしそれで今さら心を乱されるような二人ではない。

 今ミヤコがオルゲルにできることはない。オルゲルはそういう状態だった。その代わり、ミヤコは紗白に声をかけた。

「オルゲル、多分助かります」

「……きれいに治るのか」

「一年もすれば歩けるようにはなりますよ。歯も揃ってますし。今のありさまからは分かりづらいですが。そう、それに市立病院には無量寿用の麻酔のストックもあります。今はとてもつらいだろうけど、処置は間違えませんので」

 早口でそう説明した後、ミヤコは一度息をついてこう続けた。

「紗白さん、カプセルのこと言ってくれてありがとう。私はあの時咄嗟に思いつけなかった。ケーブルカーで運ぶことしか頭になかった。仮に思いついたとしても、いろいろなことを懸念して言えなかったです」

「まあ、そうだろう」

 紗白はただぽつりとそう言った。そもそもミヤコの言葉があまり頭に入ってないように見えた。紗白の目はオルゲルのずたずたの肉体だけにそそがれている。

「どうでもいいことだ」

「何がです?」

「ケーブルカーで連れていっても助かるだろう。私たちの体なら。私でも分かる。お前ならなおさら分かるだろう」

 紗白とミヤコにそういう命の加減を教えてくれたのは、百年前の戦争である。

「でも助かればいいというものでもない」

 紗白からその言葉が聞けて、ミヤコはほっとした。

「ミヤコ、細かいことは、後で考えればいい。でも……」

「なんですか」

「お前の思いつきにこの子は巻きこまれたんだと私は思っている。そうとしか考えられない」

 ミヤコは無言だった。

「だがお前の思いつきのおかげでこの子は無量寿として見つかった。いい見つけられ方だったとは到底思えないが、ましな方だと言うしかない。この子の今後については、私もいろいろ意見は言わせてもらうぞ」

「はい……」

 カプセル内に信号音のようなものが鳴った。目的地に着いた合図だ。ミヤコと紗白の会話はここでひとまず終わった。



 月での騒動とその後の様々な喧騒をよそに、ゲンザは一ヶ月ほど休暇を申し出、燕巣から降りていた。休息のためでも安息のためでもない、向かった先はボリーバンのドリントだった。

 訪問する相手はラウルの父、トードルである。ゲンザのこの行動について知っているのは雲雀だけだ。

 いっとき記者がたむろするなどして騒々しかったころもあったが、今では彼らの家の周囲も平生と変わらない風である。家には今、トードルと妻がいるだけだ。ラウルは教護院に送られており、エッカは転校して親戚の家から新しい学校に通っている。

 ドアのベルを鳴らすまでもなく、家の前にはトードルが立っていた。ゲンザは被っていた帽子を外し、軽く頭を下げた。

「女房にはこの時間しばらく外出させましたので、どうぞお気兼ねなく。お茶を今お持ちしますので」

「お気遣い、畏れ入ります」

 来客用と思わしき部屋に通され、ゲンザはトードルにすすめられるままに椅子に腰かけた。

 これから始まる話は決して楽しいものではない。しかし俺は人間の家に通され、こうやって一応客として遇されているらしい、などとゲンザは頭の片隅で思った。

 例のカブトワリを届けにいきたいと手紙を出した後、トードルから来た返信の内には、詫びの言葉がつづられていた。文面にやや芝居がかったものも感じたが、すでに彦郎剣の連盟に対しても彼が平身低頭してきたという話を耳にしている。彼が息子のしでかしを己のこととして心底恥じていることは真実なのだ。

 ゲンザとしてはトードルに対してもその息子に対しても、特に思うところはない。とにかく今日は聞きたいことを聞くだけだ、というつもりで来ている。

「こちらで間違いないでしょうか。どうぞ、手に取ってお確かめください」

 達人二人の間にあの因縁の刃物があった。外見だけを見ればトードルの方がゲンザの師に見える。実際に生きている年月は、ゲンザの方が遥かに長く、技量においては比ぶべくもない。

 トードルの脳裏に今もしこれで自ら喉を突いたらどうなるだろうか、などという想像がよぎった。死んで詫びるなどばかげているというのは百も承知だが、そういう考えがふと頭をかすめることだけはどうしようもなかった。もっともそんなことをしようとすれば、今目の前でなにごともなさそうに座っている男があっさりと自分の手から刃物を取り上げるだろう、とも思った。

 少年のころから伝説であった男と自分が実際に会えるだけでも不思議な感覚だったが、その技量の程をこういう形で実感するなど、さらに想像の外であった。

 新調した鞘から抜いて、ゆっくりと回すなどしてトードルは刃を確かめていた。ほどなく元の鞘に収めると、確かに私の物ですと落ち着いて答え、ゲンザの方に返した。

 ゲンザはどうもと言うと、トードルにこう言った。

「いや、さすがですね。失礼だが、本来の目的も忘れてトードルさんのカブトワリの持ち方に見入ってしまいました。まだこの物質をそのよう静かに手の内に収められる方がいらっしゃるとは」

「よしてください。私のような者が手に入れるべきではなかったのです。このようなものを所有して己の虚栄心をくすぐっていた、私のその浅はかさこそが全ての元凶です。ラウルは形の上では人殺しにならずに済みましたが、それはたまたま相手が無量寿だったという偶然に助けられただけのこと」

「トードルさん、もうその辺りのことはすぎたことですから……」

 その後の聞き取りと話し合いの中で、トードルは、ゲンザの方でカブトワリの調査が済んでしまえば、その後はこのカブトワリを所有する意志はないとゲンザに伝えた。

「まあ確かに本来なら所有自体が違法ですからね」

「いえ、あなた方に押しつけようという意味ではありません。ただもし本来の持ち主かそのお身内の方が存命であるなら、お返ししたいということです。あいにくながら誰もいらっしゃらなかったという場合はこれまでどおり私が持ちます。その時は今度こそ、何をおいても安全にしまいきるつもりです」

「そこまで仰っていただけるなら」

 トードル宅を辞した後、ゲンザは市内にある交番へと向かった。この日はある帯刀警察が番をしている日だった。さも拾得物を届けにきた風でゲンザは袋に入ったそれを渡した。あとは彼らが調べてくれる。

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