第23話

『まあ、ここへ人が来るかどうかはさておき、お前が痛みを感じないで済むように、お前が死ぬまで、それかあるいは上からの助けがここに来るまでは、今の状態を保ってやろう』

「できるの?」

『そこは感謝ぐらいしたらどうだ』

「……ありがとう」

『人間の苦痛を食って寿命が延びるのなら、こんなことはいちいちしないんだが』

 そう言いながらも不実李ならずのすももとしては、いずれオルゲルが死ぬのなら、できるだけ話をしていたいというのがある。

 オルゲルはふと思った。不実李が最後に言葉を交わした相手は寧寧なのだろう。溺れた寧寧と不実李は一体どんな会話をしたのだろうか。そして自分はここでどんな会話をしながら死んでいくのか。

「ここで死んだ人たち、溺れても無量寿なら、死ぬまで時間がかかって、苦しかっただろうね」

『それを私に言ってどうする』

「別に」

『お前の母親は水で死んだんだな』

 オルゲルは何も答えなかった。

『私は千年以上人の心を耳にしながらここまで来た。どんな変なことを考えたって、私は気にしないから、お前も気にするな』

「そう。ここで死ぬまであんたと二人きりなんて、話題に困りそう」

『なら黙ってりゃいい』

 相手の心が読めるのならある意味会話の必要もないのか、とオルゲルは思ったが、もうこの際どうでもいいとも思った。

「名前とかあるの? あ、私はねえ」

『お前のは知ってるから言わなくていい。私は……』

「名前、あるんだ!」

倶李ぐり

 倶李は親切にも珀花文字で伝えてくれたが、オルゲルにその字は分からないので、彼女に伝わったのはグリという響きだけだった。

「男なの? 女なの?」

『男も女もない。その辺の植物と同じだ。花が咲けばそこにおしべもめしべもある』

「不実李って、実がつかないって意味で、だから雄なんだと思っていた」

『実はなるさ。でも実がなるには同じ不実李の木が二、三本は近くにいないと。ただ一本ぽつんとあるだけでは実はつかない』

「そうなんだ」

『普通の梅やりんごだってそういう風に実ができる。私だってそうだ。遥か昔には不実李がたくさん生えていたこともあった。だが人同士の争いのたびにどんどん切られて、いつしかどこへ行っても一本だけの不実李という状態が当然になった。それで実がならなくなった。不実李という植物名はそのころに作られたのだ』

「人間が自分でそんな風にしてしまったの?」

『まあ、そういうことだ。ついでだから言うと、戦争とかで切られなくても、普段からひどいもんだった。不実李は、地域によってある所とない所で差が激しかった。林みたいにたくさんある所もあれば、全然ない所もある。たくさんある所は人との会話も賑やかで楽しげで、収穫も安定していて豊かだった。でも一本もはえていない村はその逆だ。予想外の天災には打つ手がない。そういう村はどうしても欲しければすでにある村から種か苗を買うしかない。だがそこで足元を見られることになる。私たちの実はたくさんなるのに、人間はみんなばかみたいに高い値で売りつけていた。苗木になるともっと高い値をつけて売った。貧しい村は種一つ買うのがやっとだ。種からだと芽が出なかったり育たないこともある。そもそもうまく育っても一本はえているだけじゃ実がつかないから、将来実を売って儲けることもできない。一本だけの不実李でも天変地異を教えてくれるだけありがたいが、一本しかない村はどう足掻いてもたくさん持ってる村のようにはなれない。そうした不満から貧しい村の中には同じような貧しい村と徒党を組んで、豊かな村を襲ったりした。はえている不実李が全て切られたり、焼かれたり……。そういった争いを防ぐために、全ての村一つにつき不実李は一本までというきまりができてしまった。だがそうなったらそうなったで、何か争いが起こった時、たった一本の不実李は見事に第一の標的にされてしまうようになった』

「何から何までうんざりする展開ね」

『暗い話で悪かったな』

 オルゲルには言わなかったが、倶李はこの時点で捜索者たちが崖をくだっていることに気づいていた。だがそのことをオルゲルに伝えてしまえば、彼女の関心は一気にそこに移ってしまう。それは倶李にとってはつまらなかった。オルゲルはもはや自分は死ぬものだと決めていて、その上話し相手は倶李しかいないからこのように聞いてくれる。倶李はそれをなるべく長引かせたかった。

『私は話が下手だからつい身の上話が長くなるんだ』

「それでも話したいんでしょ? だったら話せばいいじゃない。倶李は私が何を思っていようが気にしないって言ったんだから、私だって倶李の話を悪くは思わないよ」

 倶李にとっては予想外の返答だった。要は勝手にしろということなのだろう。もし死ぬとしても苦しまずに死ねると分かったから、この娘はこうなのだと倶李は思った。

「ああでも、一つ聞きたい。倶李たちは切られたり焼かれたりしたら、やっぱり痛いの?」

『別に。私たちは言葉を知ってはいるが、人と同じなのはそこだけだ。痛みとかそういう感覚はない』

「そうかあ。いいなあ」

『その代わり気持ちいいとかもない』

「ふうん。じゃあ木に戻っても体が楽だとか、種だと窮屈、とかはないんだね」

「ないね」

 オルゲルと話しながらも、人の気配がいよいよ近づいてくるのが倶李には分かった。

(有り得ない。ここまで来ているなんて。いや、でも確かに声が聞こえる。二人……、これは……、ゲンザとベステミアだ。二人ともまだ生きていたか。オルゲル、この二人が見つけてくれて運んでもらえるなら、もつかもしれない)

 いいやそれだけじゃない、私もこの暗闇を出られるんだ。かつてない高揚を覚えつつ俱李は思った。

『オルゲル、実はもうすぐ人が来る』

「えっ、そんな、さっきは無理だって」

『間違いない。私も信じられないが。運んでもらうためには私は種の姿に戻らないといけない。だが、お前の体から私の根を抜いたら、お前は元の本来の感覚に戻る羽目になる。そこは覚悟してくれ』

「そんな! もうあんな苦しい状態に戻るの無理だよ!」

『上に生きて帰るのと引き換えだ。そこは納得しろ』

「いやだよ。大体どうせ助かっても、こんなひどい顔や手足、どうせもう完全に元に戻るのなんて無理でしょ。ひどい姿で生きていたくないよ! おまけに無量寿だなんて、私もう家に帰れない!」

『私はここで死にたくはない。でもこのままだとお互い確実にそうなる。まあ、お前も私もそこにいるだけであれこれ言われる身の上なわけだ。上に行っても仲よくやっていこう』

「いやだ、いやだよ」

『お前の痛みのない状態はできるだけ長く引っ張ってやるから。それにおばあちゃんやフリューにも会いたいだろう。エッカにも』

「それは……」

『ラウルのこともぶん殴ってやらなくていいのか』

「それはどうでもいいけど、やれるもんなら……」

『痛みのない今のうちに、そういうことを考えていろ。私はしばらく黙る。上から来る奴らに声を届けないと』

「待って俱李!」

 呼びかけたが、もう返事はなかった。


 谷の調査用のヘッドライトを用いてもそれで照らせる範囲は限られていたが、二人で降りている分、多少光の範囲は広かった。自分たち以外の物音だけが響く中、その声が聞こえた時、二人は意識が飛びそうになった。二人にとって、オルゲル以上に到底会えるはずがない相手の声だった。

「俱李……! そんな……、おい雲雀!」

 聞こえてるよ、と雲雀はどこか上の空で返事をした。俱李が呼んだ彼女の古い名前は、ほんの一瞬、彼女に己が帯刀屋であることを忘れさせた。

 しかし眼下の光景を目にした時、二人はすぐに我に返った。

 何かの植物の細い根が、あるいは枝が、まるで大きな鳥の巣のように近辺の空間を埋めていた。

 その巣のようなものの一か所に大きな穴ができていた。そこに何かが落ちて突き破られたのだということが分かる。しかし突き破られた遥か下へ根が伸びていっている。ゲンザが視線を先端の方に向けると、肉塊を包むように絡み合った枝がぶらぶらと揺れていた。

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