第18話

 それから自由行動となった。オルゲルはもう遠慮なく竹子にくっついた。一方ミッツィはその辺を歩きたがったので、別の仲間たちの方へ行った。竹子に近づきたいと思っていた女の子たちは、オルゲルがあまりに竹子にべったりなので離れていった。最初で最後の自由行動とあって、みんなそれぞれ仲間同士で辺りの散策を楽しんだ。オルゲルは内心有頂天であった。

「竹子さんは月で暮らしているんですか」

「ええ。両親もここで暮らしています」

「あの、仕事とかここで何かやってらっしゃるんですか?」

「賃金をもらうような仕事は今はしていないです。私はもともと十八までは地上にいました。それから月に移ったんですが、一年とせずに月崩れが起こりました。二九二七年、さっき説明した水害の月崩れの次の月崩れです。その後は地上へ戻って警察学校に入って、帯刀警察になりました。前から彦郎剣を習っていたので、それが役に立ちましたね。そのあと五十年、いろんな所に赴任しました。まあほとんどが田舎でしたけど。無量寿の公務員の場合、五十年きっかり働いた後は三十年間、年金がもらえるので今は年金暮らしです。まあ、それももうすぐ終わるのでまた警察に戻るつもりですが」

 珀花もボリーバンも定年は六十歳である。それに比べ無量寿は年金が欲しければ公務員でも五十年も働かないといけないのかと、オルゲルはうんざりした。

岳仁がくじんさんも帯刀警察をやってたりしたんですか?」

「いえ、彼は一度も。彦郎剣の道場を開いていたんですが、今は身を引いてここで暮らしています。さっき教えた崖の網も、彼がほとんど張ってくれたんですよ。彼は本当に器用で、なんでもやってくれるので助かっています」

「ええっ、こんな網を皆さんの手で?」

「そうです。ここでは外から業者を呼ぶことはあんまりしないので」

「ここで暮らすのは大変なんですね。無量寿の人からしたら、十年なんてあっという間で、月崩れなんて『あれ、また?』って感じですよね」

「そうですねえ。でも大体十年前後、という点だけは一度もずれたことがないので、そこだけはありがたいですよ。もし本当にいつ起こるか分からなかったら、とてもこんなイベントはできません。実のところ、万が一皆さんがいる間に月崩れが起こるようなことがあったらどうするのかということで、反対する人たちはたくさんいましたから。特に皆さんの親御さんからそういう意見は多かったと聞いています」

「反対の声があったなんて、知りませんでした」

「オルゲルさんの保護者の方は、月へ行くことについて何か仰ってました?」

 親ではなく保護者という言い方をする竹子を、オルゲルは内心不思議に思った。実際には今回の学生たちの身上については、ここに参加した無量寿ならすでに知らされている。だからオルゲルに両親がいないことも、彼女が珀花の出身であることも、竹子は知っていた。

「うちはそういうの、なーんにも。行き先が月だからちょっと心配してたけど、でもそれだけでした」

 そうですかと言った後、竹子はちょっと迷うような表情をしながら、

「さっきは話題を変えてくれて、正直助かりました」

 と言った。オルゲルにとって最も欲しい言葉ではあったが、竹子がなんとも申し訳なさそうな顔をしていたので、かえって心苦しかった。

「いえ、私は何も……。竹子さんに教えられてここが悲しい場所だって分かったのは、かえってよかったです。後でもう一度、下の方を見ていきます」

「いやそんな、無理しなくていいですよ。恐いでしょう」

「そんなことないです。水害の話を聞いた時、お母さんのことをちょっと思い出しました。知ってますか、二年前にあったドリントと静海せいかいの定期船の遭難。お母さん、あれに乗ってたんです。月の人たちは月崩れのたびに人が死んでいろんなものが壊れて、つらいだろうなあって。大昔のことだからって、関係ないです」

「思い出させてしまって、ごめんなさい」

「そんな! やめてください! いいんですから!」

 オルゲルは気がつかなかったが、竹子はオルゲルと会話をしながらも時折ラウルの動きをうかがっていた。試合は無事終わり、彼らがここですごす時間もあとわずかとなった今、ロカスト・ブラザーズの一員である彼が何かしでかす可能性は消えつつある。それでも油断はできない。と言っても向こうがはっきりと何かしでかさない限り、竹子もゲンザもどうしようもない。

 ラウルは今は一人だった。竹藪の中にいる。彼を視界に入れておくために、竹子もまた竹藪の方へ少しずつ近づいていった。

 最初はそれだけの動きだったが、ラウルは竹藪の終わり、崖の端へ端へと近づいている。谷底から漂ってくる雰囲気はみんな気味悪がっていたし、いくら網が張ってあるからと言ってうっかり落ちたい者はいない。端に近づく学生はまずいない。中にはふざけて、竹に摑まりながらおっかなびっくり下を覗こうとする子もいたが、みんなそういうことは一瞬だけだったし、引率の教師も注意していた。しかしラウルはいたって静かに真面目な風で端に向かっていた。そのために教師や他の生徒たちの注意をすり抜けていた。

 竹子が、ゲンザが、その動きを怪訝に思って、ラウルにそれとなく近づきだしてほどなく、ラウルの足は端の端まで進み、それから彼の体は間をおかずに下へ落ちた。

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