第16話

 大会二日目、オルゲルは決勝でも勝って、上機嫌のまま男子の方の試合を応援した。高等学生の男子の決勝にはラウルが入っていて、相手は珀花の学生だった。互いにこれまで何度も対戦している間柄である。だがそれにしてもラウルはひどく強張った表情をしていた。

(なんだあいつ。世界選手権の決勝じゃないんだからさあ……)

 ラウルの気負いは今この試合によるものではなく、午後から始まる無量寿との試合を思ってのものだろう、とオルゲルは考えていた。実際のラウルはそんなことで気負っているわけではないのだが、それは彼にしか分からないことだ。

 嫌いな奴のことなのでオルゲルはラウルのことなど応援しなかったが、そのおかげかどうか、ラウルは決勝で勝った。

 それからほぼ間をおかずに無量寿同士の試合が始まった。学生たちは無量寿による本物の彦郎剣とやらを息をのんで見守った。

 名前を知らない二人の剣士がまずあらわれた。二人とも帯刀警察という、警察組織の中で銃の代わりに剣を携帯している無量寿のみで構成された組織の一員とのことだった。

 ――太刀なし、盾なし、ご照覧あれ!

 このいつもの前振りが終わるや、その後若者たちが見たのは、異次元の対戦だった。

(なんだこりゃ……)

(速すぎて目で追えないよ……)

(助走もなく人間があんなにジャンプできるもんなの……? 三メートルぐらい跳びのいてない?)

 オルゲルも含め、誰もがそう思った。これはもう見ていて楽しいとか面白いというものを越えている。むしろ恐い。一方で記者連中、中でもスポーツを扱う記者などは世界選手権などで無量寿の剣は散々見てきているので、それほど驚きはしない。

 この後、竹子や岳仁がくじんといった、学生たちが一番顔を知っている人物も登場したのだが、この二人はその前の穏当な物腰があっただけに、試合での容赦のなさがかえってまた学生たちに畏怖の念を抱かせた。人間じゃない、とはこのことか。が、この人たちとの手合わせはやっぱり経験しない手はない、と誰もが思った。

 無量寿同士の対戦で決勝まできたのは、竹子と岳仁であった。が、二人が持っている武器を見て落胆した。二人とも短刀をただ一本手にしているだけだ。それこそホルスターも含めて剣を満載してやるものと期待していたオルゲルは拍子抜けした。

 しかしこれが予想を越えて見応えがあった。武器が最低限である分、体の動きにより頼ることとなり、双方の身のこなしの程が強調されたのだ。また二人とも意識的に跳びはねることに頼らずに攻撃や防御を繰り返していた。

(岳仁さん、あんなに大柄なのに小回りがきくなあ。しかもずっと動きっぱなしでも平気みたいだ)

(竹子さんが俊敏なのは見るからにそうだから分かるけど、あの短刀の一閃、一閃がとんでもなく重そうだ。軽刀じゃなかったら、頭割られてるかも)

 土砂降りのような打ち合いの末、岳仁の面が外れた。その瞬間、学生たちは一斉に歓声をあげた。


 無量寿とオルゲルたちとの試合は、この交流試合に選ばれた学生のうち希望した者が参加する、ということになっていたのだが、結局全員が希望していた。午後、待ちに待ったものが始まり、オルゲルはうきうきしながらウォームアップをしていたのだが、その間にも学生たちはみんな無量寿相手にころころと負けていた。

「もうちょっと手加減してくれればいいのになあ」

 と苦笑いしつつも、みんな無量寿と直に剣を交えられたことにおおむね満足しているようだった。どちらにしても彼らにとって今回目の当たりにした無量寿の剣は、あまりにレベルが違いすぎて彼ら自身の参考にならない。ただ、対峙した時の、圧倒的な技術を持った相手が放つ空気の違い、それこそ一歩の踏みだしからして凡庸な選手とは何かが違う、ということこそが、彼らにとって重要だった。

 オルゲルが向かい合ったのは、葉室はむろという女性の剣士だった。普段は帯刀警察をしているとのことだが、このイベントのために特別休暇をもらって参加しているとのことだった。

(お母さんぐらいだなあ、見た目は)

 葉室は短刀一つを右手に構えている。

「太刀なし、盾なし、ご照覧あれ」

 二人が声を揃えてそう言った時間と、言い終わってからオルゲルの面が彼女の頭上高く舞い上がるまでの時間とに、大きな違いはなかったかもしれない。

「参りました!」

 彦郎剣では負けた方が敢えて宣言する必要はないのだが、オルゲルは思わず元気にそう答えてしまった。あと二回ぐらいはこういう手合わせをしたかったが、後にも人がつかえているので、オルゲルは礼を述べてその場から退いて、あとは他の学生たちの打たれっぷりを眺めていた。

(そう言えばラウルって、どうなったんだ)

 ラウルを含めた男子生徒のグループの相手は岳仁がこなしていた。岳仁は彼らをどういなすのか、オルゲルは興味深く眺めた。一見して(あれ、岳仁さん遅い?)などと思ったのだが、やはりそれは一瞬のことで、岳仁の方がぽかぽかと勝っていた。オルゲルの相手をしていた葉室と違い、岳仁は相手に速度を合わせて十秒ほどやり合いつつ、相手の問題点をさらりと言って、その上で面を払ってくるのであった。オルゲルは思わず「ああ、どうせなら私もこっちがよかった」とひとりごとを言ってしまった。

 肝心のラウルはと言えば、他の生徒と全く変わりなく見えた。日頃オルゲルに対する時の乱暴さはどこへやら、最初の唱和も真面目に声に出していたし、打ちこみにもごく普通の真剣味こそあれ、殺気がこもっているようには見えなかった。その後も岳仁がふと一歩引いて、

「ほら、今のところ。短刀でのフェイントはこの方向にやった方が、次の攻撃の視線の死角として機能しますよ」

 などと教えると、

「は、はい」

 と低姿勢で岳仁の指導を受け入れていた。結局最後までラウルは何も起こさなかった。オルゲルはそのことに胸をなでおろした。


 その日のスケジュールが終わると、女子学生たちの何人かが竹子を取り巻いていた。

「明日は竹子さん、どちらへ行かれるんですか?」

 自由行動での行き先は二通りあり、竹子がどちらへ付き添うのか、聞きだしているのだった。オルゲルももちろん確かめてみたかったが、彼女の場合はぼんやりそう思っていただけで、今竹子たちのそばにいる子たちのような積極さはなかった。

(いやいや、私も行かないと! この先も竹子さんと会える保証なんて、ないんだし!)

 というわけでオルゲルもしっかりその輪に入ることにした。

「涙の谷になります。あともう一人はバスの運転手さんでゲンザさんという方が行きます」

 こうしてオルゲルも含めて十人の女の子が明日は竹子について涙の谷へ行くこととなった。

 宿舎に帰ってからオルゲルは、中の売店で絵葉書を買った。景色や植物の写真やイラストのものがほとんどだったが、オルゲルはその中から光詰草の絵が描かれたものを選んだ。それから、大会は楽しかった、明日の自由時間は竹子さんという無量寿の剣士と一緒に月を回るのが楽しみでしょうがない、といったことを小さな字でびっしりと書き、売店の横にあるポストに投函した。

 しかしオルゲルは投函してから気がついた。ポストの横には「郵便物の回収は毎週水曜です」と書かれていたのだ。

(おばあちゃんの言ったとおりだ。これだと誰もが忘れたころに届いちゃうなあ……)


 自由行動の日と言ってもそれは名ばかりで、実際には大会側が用意したバスに乗って、指定された二か所のうちどちらかへ出かけるというものである。しかも、お昼の時間には宿舎に戻って昼食となり、その後もうケーブルカーに乗るという慌ただしさだ。

 オルゲルに限らず、誰もがもっといろんな所を見てみたかった。地下世界の端なども、どうなっているのかこの目で見てみたい。無量寿の住宅がある辺りなどもどんな様子かちょっと眺めてみたい。

 そんなようなことを引率の教師にも軽い気持ちで聞いてみたのだが、

「ばか! 物見遊山じゃないんだぞ。こんな大会ができること自体、大ごとなんだ!」

 と逆に叱られてしまった。無量寿の側が言うのならまだ分かるが、人間である先生からこんな風にたしなめられるのをオルゲルは意外に思った。

(まあでも、ガース先生もおんなじこと言いそう……)

 行き先は次の二か所である。

・二九〇八年の月崩れにおける巨大地震によってできた「涙の谷」という全長約五百メートルの崖。深さは測定不能。

・二九一六年の月崩れにおける洪水によってできた「こがいのひめみこ」。

 お菓子は持っていってもいいが、この二か所においては、絶対にごみを捨てたりはしないでくれと、くどいぐらいに念を押された。初等学生じゃあるまいしと内心思ったが、こういう世界では何気なく捨てたごみ一つさえ、何か重大なことに繋がるのかもしれない、とも思った。いろいろ制限があるとは言え、誰もが行けるわけではない月の自然を一つでもじっくり見られるのは、今回の珀花行きの締めくくりとしては悪くないものであった。ただ一つ、同じバスにラウルも乗っていることを除いては。

 竹子はバスの一番前の席に座った。彼女の隣に座りたいと思っている女の子は多かったし、男の子の中にも竹子にうっすらと魅かれている子はいた。が、抜け駆けの代償を払える者はいなかった。

 出発前、竹子はバスの運転手に「よろしくお願いします」とどこか親しげに声をかけていた。中年の運転手はやはり軽い調子で「おう、こちらこそ」などと答えていた。ここへ着いた最初の日にバスを運転していた人とは違う人だった。

(あの時の運転手さんも、今の運転手さんも無量寿なのかな。ここでバスを運転するぐらいだから、ここのことをよく知っている人なんだよね)

 今運転しているのはゲンザだった。彼は大会中ずっと給茶にいそしんでいた。学生のほとんどが何度もそこで顔を見ているはずだったが、誰もそのことに気がついていなかった

 他、引率で来ている珀花人の教師が同じバスに乗った。そこへさらに記者がいるマイクロバスが一台加わっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る