第14話

 試合当日の朝、朝食の後は午後十時まで宿舎とその敷地内に限って自由行動となった。交流試合は十一時開始である。もっと早い時刻から始めればいいのにとオルゲルたちは思っていたが、その理由はすぐに分かった。いつの間にどこからわいてきたのか、新聞や雑誌の記者が宿舎の周辺でうろうろしている。それも珀花の記者だけではない。ボリーバンの記者に、東のサルザンや南のラトゥーヤ、オペラニアからの記者までいた。

(すごい、こんなにいろんな国の記者が)

 宿舎に彼らはいなかった。つまり、早朝からケーブルカーに乗ってやってきたということになる。オルゲルたちが聞いたところでは、この日はケーブルカーも始発をいつもより早くに出したりしていたとのことである。それでも全員間に合うのか、なんとも言えない。

「やだなあ。私たちが無量寿相手にぼろ負けするところ、写真に撮られたりするわけでしょ。それが他の国に……」

「あー、それはいやかも」


 彦郎剣の試合は通常なら屋内なのだが、月に体育館のような施設がないため、交流試合は宿舎から歩いてすぐの場所にある広場で行われる。オルゲルたちがばらばらと広場へ向かうと、無量寿の参加者と思われる人たちはすでに軽刀けいとうを腰にさげた状態で揃っていた。

 記者たちは広場に急ごしらえされた客席に座らせられている。さっきは大勢いたように見えたが、今見るとなんだか少なく見えた。オルゲルは彼らの様子をしばらく眺めていたが、どうも連中が彦郎剣に興味があって見にきたようには見えなかった。彼らの目当ては無量寿と人間の絡み、ただそれのみなのだ。オルゲルには不満だった。

 オルゲルだってこの試合に何かを賭けて挑むわけではない。だが、やる気のない見物人の前で刀を振るいたくはなかった。


 試合の前に月の関係者二名の挨拶があった。うち一人は岳仁がくじんである。先にもう一人の方がマイクを取って挨拶をした。

(この女の人、子供のころ新聞で見たことがある。確かお医者さんだった)

「みなさんはじめまして。桂口かつらのくち月特別区区長、ミヤコと申します」

恰幅のいい岳仁の隣にいると、何の鍛錬もしていなさそうなミヤコは、女性であることも相まってことさら細く見える。髪も短く刈っている岳仁と違って、長い黒髪を後ろで一つに縛り、さらに顔には淡いブルーブラックのレンズがついたメガネをかけていた。岳仁との並びは、巨樹とススキのようであった。外見は三十代前半といったところだ。

 挨拶はじめの中でミヤコは溢れ出そうになる感情をこらえ、短いスピーチの中で居並ぶ全ての人に好印象を残すことに徹した。

「十数年生きてきた方も、数十年生きてきた方も、また百年以上生きてきた方も、今日はここにお集まりいただき、区長として感謝申し上げます。地上に比べればささやかな光のもとで日々を送っておりますが、選手一人一人が晴れがましい気持ちで試合に臨むことを願っております」

 広場から拍手が起こるや、ミヤコは気が抜けそうになった。彼女はそんな自分自身に言い聞かせた。

(おいおい、まだ終わったわけじゃないぞ。そもそもこの手の挨拶は、誰も聞いていないんだから)

 その後、また別の無量寿が前に出てきた。腰には軽刀をさげていたが、手にはトランペットを持っている。ミヤコがマイクを手にしたままその人物を紹介した。

「開催国への敬意を表し、今大会の選手の一人である竹子たけこ氏による国歌演奏をお聞きください」

 黒髪にショートカットの人物がその場にあらわれた。ミヤコよりは若そうな、ミヤコと同様ほっそりとした外見であった。顔立ちは一見少年のようだったが、喉仏のない首から女性だということはすぐに分かった。

 今のところ目にしたのはほんの数歩かそこらの動きだけだったがオルゲルは直感した。この人はかなり強い。しかし腕が立ちそうな岳仁や竹子の肌が生白いのに比べて、ミヤコの方がよく日を浴びたように見えるのはおかしかった。

 ほどなく竹子の吹くトランペットから、オルゲルにとっては懐かしいメロディが流れだした。彼女のトランペットの響きには、突き抜けるような晴れやかさがあり、地上に比べれば光の薄いこの地に、束の間の太陽をもたらすようであった。


 草も残らぬ焦土の底で 我らの先祖は春を待つ くれない色の花たちよ 聞かせておくれ ああ懐かしきあの声を

 さあ耕そう無限の大地を 黄金の穂が揺れる日を胸に 花は守りたもう 我らの祖国をとこしえに


 国歌ということもあって珀花の選手たちはもちろん、一応ボリーバンの選手であるオルゲルも口ずさんだが、竹子の音があまりによいので、そこに自分の声をわずかなりとも添えることを憚って、いつしか声はずいぶん小さくなった。

 珀花に来てよかった、月に来られてよかった、とこの時オルゲルは思った。そしてまた、すっかり竹子のファンになってしまった。もちろんそれはオルゲル一人に限らなかったが。

 そうしてふと観客席に視線を移した時だった。あれから少し増えた観客の中に、背中まで伸びた銀髪の女性の姿があった。


 人間側の参加者は中等学生の男女がそれぞれ八名ずつ、高等学生の男女がそれぞれ八名ずつである。無量寿からは四名がエントリーしていて、うち二名が岳仁と竹子であった。一日目は中等学生、高等学生の試合を準決勝まで行う。二日目は朝九時からそれぞれの決勝。十一時から昼の一時まで無量寿の選手たちの試合。昼食と休憩を挟んで午後から学生側から希望者のみの参加で無量寿との試合。翌日は午前中まで自由行動で、その語は帰路という次第である。


 ――太刀なし、盾なし、ご照覧あれ!

 彦郎剣では審判がそう告げてのちに対戦が始まる。

 大会参加者は少数なので、誰でも自分の出番はすぐやってくる。それが済んで選手用の客席に引っこむと、オルゲルの視線はつい紗白を追ってしまう。

紗白さじろさん、私には気づいてなさそう)

 ちょっと挨拶ぐらい、とも思っていたが、なんとなく反応が恐い。紗白たちのまわりには自分たちとは違う空気があった。それは月穹げっきゅうのテントで感じたものとほぼ変わらない。それでも紗白が一人でその辺にいれば話しかけることもできたが、そういう時がなかった。

 ただ、つい見てしまうということなら、竹子の方をこそ、よほどしっかりとオルゲルは見ていた。竹子は試合は熱心に観察しているようだった。

(気楽な大会だし、本来の彦郎剣らしく小刀と短刀でいこうかなって思ってたけど)

(やっぱやめた! 竹子さんに決勝までいくとこを見て欲しい! 両手とも小刀でいく!)

 誰にとっても武器は長い方が有利である。だから小刀二本というのが最も堅実な戦い方であるが、フェイントなどを駆使して小刀と短刀で勝つ者の方がより評価される。スタイルにこだわる者は後者でやり、とにかく結果が欲しい者は前者をとる、というのが大雑把な括りである。

 こうして大いに張り切って、オルゲルはしっかり決勝まで進んでしまった。

 戦った女の子たちからは後でからかわれた。

 竹子の出場は明日なので、今日は座っている彼女を見ているしかない。

 観客席での竹子は、知り合いらしい誰かとずっと隣りあって座っている。

(あの隣にいる人も素敵な人だわ)

 切れ長の目と、頭から背中、腰にかけてさらりと流れる赤銅色の髪。どういう人物なのかは分からない。身なりからして出場選手ではなさそうだったが、一般人とも思えない、何か近寄りがたい雰囲気を感じた。きれいな顔立ちをしていたが、肩や腕のたくましさは竹子を上回っているように見えた。竹子と恋人同士なのか、だとしたら男か女か気になった。

 月の空は基本的に淡い黄色で、地上で言えば曇りの空ぐらいの明るさなのだが、たまに一部の光詰草ひかりつめくさが他の光詰草より明るく光ることがある。そうしてふと明るくなった時、赤銅色の髪の人物の首に喉仏がないのが分かった。

(女の人かあ……)

 よく話していたが二人とも一応試合は見てくれているのでオルゲルはほっとした。

 記者たちの反応も時々は見た。一応、いろいろな角度で記者たちはカメラを構えていたりしたが、なんとなく関心が薄そうというオルゲルの予感は当たっているようで、彼らは試合そのものより、それを見ている無量寿の方の写真をよく撮っていた。

「ねえ、オルゲル」

 高等学生の子の一人で、同じボリーバン人のミッツィがにやにやしながら話しかけてきた。

「竹子さんってやっぱかっこいいよね」

「知ってる!」

 ミッツィはオルゲルの即答に面食らいながらも、隣の赤毛の人も素敵、恋人同士だったりしないかな、などと言った。

「あの人女だよ、ミッツィ」

「そうなんだ、男の人かと思った。うーん、ここはあんまり明るくないからよく分からないなあ。オルゲル、目がいいんだね」

「そんなことないよ。ここの空、確かにどんよりしているんだけど、たまーに部分的に明るくなったりしてるよ。それで見えたんだ」

「言われてみれば、たまに一部だけぱーっとしていることがあるね」

「それそれ」

「光を余分に吸いこんだのかなあ」

 そう言いながらミッツィは月の空を眺めた。

「本当に不思議な所だねえ」

「たまに旅行とかで行けたらいいのにね。ま、なんにもなさそうなとこだけど」

「観光なんて禁止されているからねえ。私だって珀花にいたころ、ここへ入るなんて思いもしなかったし」

 そのような往来が日常となるためには、様々なものを確保しなければならない。水道はもちろん、ごみ処理の問題もある。それらをまかなうための人手や金のことを考えると、月では採算がとれないというのが珀花の議会の言い分である。

 圧倒的な日照不足も問題だ。普通の人間が一ヶ月もいれば、ビタミンD不足になってしまうだろう。

「あ、ねえちょっと喉渇いたから、私お茶もらってくる。ミッツィは?」

「おねがーい」

 辺りに自販機もないので、敷地内には給茶コーナーが設けられていた。お茶は光詰草から作ったという月の特製で、食事の際でも出されたものだ。飲むと喉や鼻の奥がどことなくさわやかになる、独特の風味だ。オルゲルは好きな味だった。給茶コーナーはオルゲルのいる席からは少し遠回りだった。オルゲルがテーブルのそばに来ると、紗白がテーブルの前で立っていた。お茶係らしき男と何やら喋っている。

 一気に心臓がどきどきした。せめてこの間のお礼ぐらいはと思ったのだが、オルゲルが「こんにちは」と紗白に話しかけた時の彼女の顔は、明らかにオルゲルのことを覚えていない顔だった。オルゲルは恥ずかしくなってそれ以上の言葉を引っこめ、お茶だけ取ってすぐに席へ戻った。

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