第11話

 稽古が終わった後、その日はごみ当番だったのでオルゲルは道場のごみ箱を袋にまとめてごみ置き場へ持っていった。今日は雲一つない青空で、おかげで道場からごみ置き場へ行って戻るだけで汗をかいた。

 当番の日、みんなは先に帰ってしまうが、師匠のガースと喋るのがオルゲルの楽しみでもある。ガースはすでに七十を越えて髪は真っ白だったが、まだ両手で武器を振るうお手本を見せられる程度には、技を保っていた。

 話題は自然、月穹げっきゅうのことになった。ただガースは昔から、月穹は見ないと公言している人だ。

 彼の彦郎剣の師は津軽つがるといった。津軽は珀花はっかで生まれ育った人間で、無量寿から彦郎剣げんろうけんを伝授されたが、革命が終わった後、生国を去ってボリーバンへ渡り、この国で彦郎剣の普及につとめた。そして、百二歳という長寿を全うした。

 その弟子であるガースは、月穹の期間、自宅に引きこもるのが常である。どうして出かけたりしないんだと人に聞かれると、大抵「どこ行っても人が多いし、やかましい」と答えている。

 話しながらオルゲルは当日に席でトラブルがあったことも喋った。

 ガースはトラブルそのものより、月穹のテントに無量寿たちの席があるということに驚いた。

「あれをわざわざテントの椅子で見ようという無量寿がいるとはなあ……。そんなことがあるとは思いもよらなかった」

「私も初めて知りました」

「いや、知ってる人はほとんどいないんじゃないか。みんなああいう場では自分のグループ以外は気にしないだろうし」

 ガースは神妙な面持ちで目を伏せた。オルゲルが予想した以上にガースが衝撃を受けているので、いやあ私もびっくりしました、などと気軽に相槌を打つ気にもなれなかった。

「どういう人がくれたんだ、その切符」

「紗白っていう人でした。ご存知ですか?」

 サジロ、とガースの口から彼女の名前がこぼれた。

「紗白! 確かにそういう名前だったのか?」

 オルゲルはどきどきしながら「はい」と答えた。

「その名は津軽の師匠にあたる方だ。同じ名前の無量寿がいるとも思えん。まさかまだ地上にいたとは。しかも骨翼こつよくの機長など……」

 紗白と自分との間にそんな繋がりがあるとは思いもよらず、オルゲルの頭は真っ白になった。

「まあ骨翼ならこの時期にテントと仕事があってもおかしくはないな」

 骨翼もまた過去の破壊の嵐の中で多くが失われたが、世界にまだ四機だけ残っている。珀花に二機、後常に一機、南のサルザン王国も一機ある。珀花にある二機のうちの一つが燕巣えんそうだ。

 聞いていいものかどうか迷ったが、オルゲルはガースに話題を振ってみた。

「どちらの先生も革命のころは大変だったんでしょうね」

「まあそうだろうな。紗白先生は無量寿、津軽先生は人間。だがお二人とも同じ珀花人だった」

 お前も元は珀花人なら歴史として知っているだろうが、とガースは話を続けた。

「珀花政府は女王寧寧の命によって、革命の早い段階から自国他国を問わず、無量寿を月へ疎開させていた。珀花の無量寿たちもそれにならい、全員立場を越えて世界中の無量寿たちをできるだけ珀花に招こうとした。津軽先生はそういった無量寿の活動に人間の立場でありながら協力していたんだ。だがそのために津軽先生は人間たちから恨みを買った」

 オルゲルがそんなことを聞くのは初めてだった。もう少し詳しく知りたいとも思ったが、なんとなく言えなかった。

 彦郎剣を習っているわりには、オルゲルはこの武術と百年前の革命との関連をほとんど知らなかった。すでに百年の過去、今ではこの剣術は単なる一武術にすぎない。少なくとも表向きはそうだ。子供のころオルゲルが彦郎剣を習いたいと思った時に響平から「そもそも彦郎剣げんろうけんなんてのはな! 人間をいっぱい殺した無量寿の技だぞ」などと言われたことがあったが、オルゲルにはそれは極端な人間から発せられた極端な言葉という以外の解釈のしようがなかった。

「まあでも、革命を生き延びたんですよね、紗白さんも津軽先生も」

 あくまで津軽先生から聞いた話だが、とガースは前置いた。

「紗白先生はご夫君、ご子息ともども月へ逃れたと。津軽先生はボリーバンへやってこられた。紗白先生はそれから時々月から出て津軽先生に手紙を出すなどしておられたようだ。ただそれもそのうち途切れ途切れになって、いつしかすっぱりなくなった。昔は月に郵便が行くこともなかったから、人に頼んで運んでもらったりしていて、不便だったせいもあるが……」

 ガースはそう言ってふうと息を吐いた。

「紗白先生に会ったことはあるんですか?」

「ないな。会ってみたかったが。まあしかし、無量寿と手合わせしてもらったことならある。あの彦郎剣は俺たちのとはものが違いすぎるな。紗白先生もさぞかし素晴らしい使い手だったことだろう」

 オルゲルは思わず顔を輝かせた。やはりこういう話の方が好きだ。

「紗白さんは彦郎剣全体の中ではどのぐらいだったんでしょう。もっと強い人もいたんですか」

「俺も同じことを津軽先生に聞いたもんだ。まあ先生が仰っていたのは、技において一の剣士はゲンザで、あとはみな等しい腕だと。ただそのゲンザに剣を教えたのは紗白先生だったから、なかなか順番が難しいな」

「ゲンザ! 紗白さんはあのゲンザの師匠!」

 彦郎剣を習っている子供にとって、踏燕とうえんのゲンザはちょっとしたヒーローである。

 踏燕というのは彦郎剣の創始者である彦郎が使ったと言われる伝説の技だ。遥か昔、珀花がボリーバンの侵略を受けた際、彦郎は戦場で上空を飛ぶ鳥をそのまま踏み台にして敵の陣地に降り立ち、一人で何十人も切り捨てた、とのことである。敵の士気は一気に下がり、そこから珀花軍は盛り返したのだ。

 一方でゲンザという剣士は革命時代の剣士で、実在の無量寿である。彼は人間からも好意をもって思い出される数少ない無量寿だ。彼は寧寧の護衛の一人だったが、人間を踏燕で皆殺しにせよという寧寧からの命を断り、歴史の表舞台から姿を消した。

「紗白さんが今でも生きているんなら、ゲンザもどこかにいるのかもしれないですね!」

「まあな。実は無量寿だが素性を隠して生きている人は珍しくない、と師から聞いたことがある。まあそれだと無量寿四戒むりょうじゅしかいに違反することになるんだが。ただ、ゲンザほどの剣士がまだどこかにいるとなったら、オペラニアの血の気の多い連中が黙ってはいないだろう。生きていても、名乗り出ることはまずないだろうよ」

「……そうなんですね」


 思ったより長話になってしまい、時間がそろそろ気になってきたオルゲルは、礼を述べつつ道場をあとにした。

「まあ、交流試合が行われること自体、昔じゃ考えられんことだ。楽しんでこい」

「はーい」

 エッカから聞いたラウルがロカスト・ブラザーズのロープを持っている件は、さすがにオルゲルも最後まで口にすることはできなかった。


 オルゲルが出ていってから、ガースは無人の道場に足を踏み入れ、しばらくたたずんでいた。ただちに家に帰る気にはなれない。

(彦郎剣はただのスポーツだ。少なくとも、世間の大半の人にとっては。子供にとっては楽しいチャンバラの延長。しかしそれが大人の彦郎剣の世界になると、全く別のものになる。元々が無量寿の競技なだけに、必要以上にこの競技を人間のものにしようとする連中がいる。そいつらがこの競技を歪ませている。子供たちをどうにかそっちに行かせてなるものかと俺なりに頑張ってきた。交流試合は何がなんでも成功して欲しい)

(それにしても紗白先生がご存命だったとは。津軽先生が生前にご存知であれば、どれほど安堵されたことか。時夫君は見つかったんだろうか。仮にもし、まだ探し続けているということなら……)

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