第10話

 無量寿は自分たちを「無量寿」と呼んだりはしない。彼らは今の人間より先にこの地上に誕生したので、彼らにとっては自分たちこそが人間である。


 無量寿の平均寿命について語るのは難しい。

 今のところ老衰で死んだという無量寿の記録がないため、大体どのぐらい生きれば自然死するのか、分かっていない。

 人間は十代、二十代と、十歳ごとに世代を区切るものだが、これは無量寿の場合は百年から二百年にあたる。彼らは何百年とかけて成長し、青年となり、そして同じように何百年とかけて成熟しつつ老いていく。


 最初の人間は無量寿の男女の間に生まれた。たまたま生まれてきたその一人の子供は、たやすく不調に陥った。病気というものとは無縁の無量寿の夫婦にとってそれはひたすら不可解でやるせないことだった。

 しかしこのような脆弱な人間が生まれるケースが、その後全く別の夫婦のもとで数件発生した。

 体の弱い子供たちは成長の速度だけはなぜか異様に早かった。しかし成長しても体の弱さはおおむねそのままであった。

 何人かは病死し、何人かは子をなせるほどに成長した。すると彼らと同じような虚弱な子供が生まれた。

 こういった子供たちは生まれてから二、三十年もたつとそこを境に体がどんどん老いていき、生まれてから五、六十もするとすっかり老人となって、ばたばたと人生を終えていった。

 こうした特殊な子供たちの誕生はそれから相次いだ。やがて男女のうちとにかく片方が短命な人間であれば、必ず短命な子が生まれてくる、ということもはっきりした。


 無量寿は生殖可能な期間こそ百年以上あるが、その間に生まれる子供は一人きりがほとんどで、授からない男女も珍しくない。一方で短命者は子を何人も産んだ。もちろん、その全てが育つわけではなかったが、短命者の人口は、着実に増えていった。

 はじめのうち、親子や親戚であった非短命者と短命者の関係は、百年、二百年とたつうち縁も遠ざかっていった。さらに双方の人口格差が増していくにつれ、非短命者の短命者に対する当初の弱き者に対する同情は薄れていった。それどころかもろと呼び、「庶どもは鼠のように増える」と疎むようになっていった。

かつての庇護はやがて支配へと変わった。

 しかしそうした状況に数で勝る「人間」が甘んじているはずもない。庶と呼ばれた人間たちは、長命者たちのことを不朽くちずと呼ばわった。


 オペラニア共和国は、正確に言えば現在のオペラニア共和国は、そのような人間と無量寿の対立のはてに生まれた。

 オペラニアは現在世界の大国六か国の中で最も栄えている国だが、もともとは農作物の実り少ない、貧しい国だった。農地開発と天然資源発掘のために多くの人手が望まれたために、自国では何も手にできそうにない貧しい短命者たちが、食い扶持を求めてこの国へ大勢流れていった。移民たちの労働環境は過酷だったが、その上でなお生き残り、生活基盤を築き上げていった者たちは、無量寿の下にいることをよしとしなくなっていった。

 始めの変化は言語からだった。

 様々な国の移民たちが混じり合っていくうちに、元からあるオペラニア語とは別に彼らのオペラニア語ができていった。彼らは無量寿権力への反発から、昔ながらのオペラニア語を話すことを積極的に拒み、さらに、この新オペラニア語を公用語として認めるよう、運動を起こした。

 数で劣るオペラニアの無量寿たちには、移民たちの言語を矯正する術などなかった。結局、移民たちのオペラニア語は第二の公用語として認められた。そのことをきっかけとして新オペラニア語の話者はさらに増え、本来のオペラニア語は古語と化してしまった。

 そしてある年、オペラニアは大凶作に陥った。農民たちが役人を襲撃したのをきっかけに、オペラニアでは人間から無量寿への復讐が始まった。スローガンは「人には人の」。

 権力とは無関係の無量寿も標的とされていくうちに、オペラニアの無量寿たちは次々に他国へ逃げていった。


 やがて二九〇五年、オペラニアの全ての公職において無量寿がゼロとなった。この人間側の「勝利」はオペラニア国内のみならず、世界中の短命者たちを熱狂させ、人々は通りに繰り出してお祭り騒ぎをした。

 そのお祭り騒ぎがその年のうちに世界各地で短命者側の暴動へと発展し、後に「六か国同時革命」と名づけられる人間と無量寿の全面戦争へと発展した。

 全ての国の軍隊が無量寿側と人間側とに分かれ、内戦と国家間の戦争が世界各地で繰り広げられた。

 世界規模の争乱は、双方に多数の死者を出した。

 革命以前は全人口一千万人ほどだった無量寿は、三百人ほどが生き残った。

 大勢の無量寿が珀花はっかの女王寧寧ねねを頼りに月を目指した。移動の過程でまた多くの無量寿が人間に命を奪われたが、とにもかくにも月へ引きこもったことで無量寿たちは全滅だけは免れた。


 地上は今いる人間のものとなった。

 六か国革命の六か国、オペラニア、ボリーバン、珀花、サルザン、ラトゥーヤ、後常ごじょうでは無量寿に対していくつかの制限が法で定められた。不朽四戒くちずしかい、後年、無量寿四戒と呼ばれる定めは、

・無量寿は人間社会の発展に貢献することを最優先としなければならない。

・無量寿は無量寿であることを隠してはならない。

・無量寿は銃と火薬を所持、使用してはならない。

・無量寿は人に危害を加えてはならない。ただし自衛においてはこの限りではない。

 といったものである。

 勝利とは別に、戦争による国土の荒廃はいかんともしがたく、どこの国も再建が急務であり、それはオペラニアも同じことだった。しかし一応の勝者であるオペラニアの人間の中には、この際、地上にまだ残っている不朽くちずも皆殺しにし、さらには月さえも征服すべき、そこまでやり遂げてこそ革命は完成すると主張する層がいた。オペラニアの為政者たちは本心ではこのような過激な層を煙たく思っていた。地上で息をひそめて暮らしている生き残りの無量寿を探しだして殺していくなど、想像しただけでも途方もない労力を必要とする作戦である。その過程で大勢の普通の人間が間違って殺されるのが分かりきっている。だがそこまで見えていても、過激な連中の意見をある程度は汲まなければ、次に起こるであろう人間同士の争いが、為政者には恐ろしい。

 オペラニア政府は一応生物としての彼らを一掃することは将来に先延ばしにした。代わって、「人には人の」というスローガンを連呼しつつ、無量寿の遺物を地上から葬る事業を打ち立てた。

 そうして無量寿の科学によって築き上げられたものが次々に破壊され、捨てられていった。それらの開発や維持に必要な無量寿の科学者やエンジニアたちは先の戦禍ですでに大半が殺されていたので、どのみち持て余すしかなかったとも言える。

 他国もそれに追随した。破壊を惜しむ人間もいたが、無量寿がこの世に残したものが更地になっていくことを、悪くないと思う人間の方が多かった。

 言語もまた消えていった。それまで各国に存在した言語や文字もまた無量寿が生み出したものであるから変えるべきであるという論が世界の主流となった。人間の新しく正しい言語として選ばれたのは、やはりオペラニア語であった。


 六か国それぞれの国の年表では、革命は二九〇五年に勃発し、二九〇八年に終結したことになっている。今年は三〇〇八年、その終結から百年である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る