第8話

 骨翼こつよくは世界中の物流を担いながら飛び回っている。あれは珀花はっかの骨翼、燕巣えんそうだ。しかし骨翼を空に見つけるのは滅多にない。オルゲルが子供のころよくやったことがある。親指と人差し指で円を作って、空をゆく燕巣を囲む。しかし子供の手には大きすぎて、指の円からはほとんどはみ出してしまうのだ。今もまた、まるで空に巨大な穴が一つ空いて、その穴が移動していくかのようだ。

 無量寿たちは人間よりも高度な科学技術を持っていて、かつてはそうした文明の利器が世界には溢れていた。骨翼もその一つである。着陸すれば百メートル四方の土地がすっぽり埋まるので、飛行場にしか着陸できない。それほどの大きさの機体に物資を満載していても、最速でマッハ〇.九で飛行している。現時点で、人間はそのような航空機を作り出せていない。

 思いもかけない物体の登場に、テントの人々の関心は人影からそちらに移った。さっきまで人影を撮ろうと必死にカメラを取り出していた人々が、今は月穹げっきゅう中に骨翼が飛行していくという光景を収めようと、慌てふためいている。写真に撮った場合、本当に無量寿かどうか分からない豆粒のような影よりは、そちらの方が甲斐があるとも言える。

 エッカは相変わらずぐっすりと眠っていた。オルゲルはそんなエッカを横にして、ぼんやりと空を見ていた。近くにいる無量寿たちの声がまた聞こえてくる。

「あれ燕巣よ、紗白さじろの」

「なんでことだろ。あの子を庇うために飛んでいるのかしら」

「そんなタイミングとれるわけない。骨翼は離陸するのにすごく時間かかるんだもの」

「紗白からは見えないと思うわ、あの高さじゃね」

「燕巣を動かしているんだもの、外なんか見ないよ」

「それがいいのか、悪いのか……」

 仰向けになりながら、オルゲルは骨翼と月穹の中の人影とを交互に眺めた。影は動かない。こうして衆目に晒されるのが分かっているのに、この人物がなぜ外へ出ているのか、オルゲルには知る由もないことだ。そしてあの骨翼には紗白が乗っているのだという。骨翼の中で働くのは無量寿と決まっている。紗白も無量寿だというのはこれでもう間違いない。

 ――どうしてなんだろう。

 今はただそんな言葉ばかりがオルゲルの頭の中をぐるぐると回っている。

 この人たちはどうしてテントで椅子つきの切符を取ったのだろう。自分たちが見世物になっているこのお祭りで。

 紗白はどうして私たちに切符をくれたのだろう。この人たちにとって、私みたいなのはいて欲しくないはずなのに。


 時々薄目を開けながら、オルゲルはまわりの人たちの様子をうかがった。今ではみんなかたまって談笑している。

 珀花でもここでも、オルゲルにとって月穹の思い出はどれも懐かしく楽しいものばかりだった。

『お父さん、お母さん、今お空にお月様が見えたよーっ』

 母シュテフィが死んだのは、一昨年の三月のことだった。だから一昨年と去年の月穹はヴァンダ、フリューと家の窓から眺めた。

ただ今日はもう楽しめなかった。

 それでも来年この日が来たら、やはりテントに行ってしまうだろう。その時はエッカはもちろん、妹のフリューも一緒だろう。

(お母さんはいないけど、もう三回も月穹見ちゃったなあ……)

 この人たちは、そういう月穹、何回目だろう。


 テントは客の安全のため、大勢の係員が巡回してトラブルがないか注視している。係員は自分に割り当てられたパトロールが終わると、運営の方に気になったことを報告することになる。とは言え、中には書面で知らせるまでもないこともある。

「あの、実は。無量寿相手に配っている席に今年はそうじゃない子が座っていまして」

「え、確かか」

「ええ。顔に覚えがあったんですよ。ほら、あの椅子のことで予約が被っちまってて、抗議しにきた子たち」

 年配の上役は「ああ」と言って渋い顔をした。

「あすこ、紗白さんに毎年あげてる場所でしょう?」

「ああそうだ。うちはあの骨翼の燕巣とは長いつきあいだからな。燕巣なしじゃあ、テントはできねえ」

「こう言っちゃなんですけど、無量寿が月穹なんか見て面白いもんですかね」

「さあ、どうだろな。ただ、社長の親父さんのころから切符はああして回しているからなあ。まあ、それをどうしようが、紗白さんの勝手さ。ん、まさかトラブルでもあったのか?」

「いいえ」

「そんならいい。まあボリーバンのいいところだな。オペラニアじゃこうはいかない」

「そんなにやばいんですか、オペラニアって」

「あそこは無量寿と見りゃ棍棒持って殴りかかるような奴らが普通にいるぜ」

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