第4話『旅する蝶が見せた夢』


 衣緒いおが突然姿を見せなくなり、日にちだけが過ぎていく。


 以前のように、ポストに野菜と一緒に手紙でも入っていないかと毎日覗いてみたが、そんなことは一度もなかった。


 テスト期間が終わって通常授業が始まったにしても、毎日のように来ていた彼女がばったり来なくなると、俺としても心配だった。


 そうこうしているうちに祖父の家の片付けも目処めどがつき、明日には島を離れなければならなくなった。


 何も言わずお別れ……というのも気分が悪いし、俺は考えた末、以前聞いた衣緒の家に行ってみることにした。


「通りを一本入って、村長さんちの斜め向かい……」


 彼女の言葉を思い出しながら道を進むと、『谷崎』と書かれた表札が見えた。ちょうど、一人の男性が庭で作業をしている。


「あの、すみません。私、山羽やまばと申しますが」


 門扉の近くから声をかけると、男性は作業の手を止め、近づいてくる。


「……ああ、もしかして、山羽さんのお孫さんの」


「そうです。滞在期間中、ここの娘さんに大変お世話になりまして」


「え、娘……?」


 名刺を差し出しながらそう伝えるも……彼の表情が固まった。


「ええ、野菜をいただいて、料理まで……あの、どうかされましたか」


「いえね、娘は……いや、何か訳ありのご様子。どうぞ、上がってください」


「は、はぁ……失礼します」


 男性の言葉に妙な引っ掛かりを覚えたまま、俺は彼の家の敷居をまたぐ。


 そして通された先は、仏間だった。


「あなたの言う衣緒は、この子で合っていますか」


 男性が指し示す黒縁の写真には、確かに見覚えのある少女が写っていた。


「……はい。合っています」


「そうですか……衣緒は私の娘でしてね。今から5年前に、海の事故で……」


 続く彼の言葉に、俺は耳を疑う。


 それが事実なら、俺がこの島で出会った少女は一体何者だったのだろう。


 ……まさか、幽霊だったとでも言うのだろうか。


 困惑しながらもう一度写真を見るも、その中で微笑む少女は衣緒に間違いなかった。


「……信じてもらえないかもしれませんが、俺はこの島で、衣緒に会ったんです」


「……どういうことです?」


 わずかに目を見開いた彼に、俺は島に来てからの経緯を話して聞かせた。


「……なるほど。あなたが会ったのは、うちの娘に間違いなさそうですね」


「はい……でも、現実にはありえない話ですよね。中学生くらいの女の子なら他にもいるでしょうし、別の子と間違えている可能性もあるかもしれません」


「この島の中学校は二年前に閉校になりました。今は船で本土の学校に通っているので、平日の昼間に子どもたちが島にいることはまずありません。それに、その子はしっかりと名前を名乗ったのでしょう?」


「それは、そうですが」


「なにより、その子が口にした住所を頼りに、あなたはここにたどり着いた。それが、あなたが出会ったのが衣緒本人である何よりの証拠ですよ」


 うろたえる俺を前に、衣緒の父親は静かに言葉を紡ぐ。


「……そういえば、あの子が亡くなったのは蝶の巫女役に選ばれたすぐあとだったか。喜んでいたし、誰かに舞を見てもらいたかったんだろうな」


 その時、彼が小さく声を漏らした。


 話の流れから『蝶の巫女』とは、先日の祭りで舞を披露していた女性たちのことだろう。


「ところで、どうして衣緒は俺の前に姿を現したんでしょう」


「島に住む人間で、かつ衣緒のことを知らない人だったから……でしょうね。それこそ、衣緒も山羽さんにはよくしてもらっていましたし」


 彼の言う『山羽さん』は俺の祖父のことだろう。衣緒のあの話も、本当だったわけだ。


「……衣緒のやつ、どうせなら俺の前にも出てきてくれたらいいのになぁ」


 直後、彼は声を震わせながら天井を見上げ、目を覆った。


 それを見た俺は察し、彼に礼を言って足早に谷崎の家をあとにしたのだった。



 その後、俺はなんともいえない心境のまま、島の中をあてもなく歩く。


 気づけば、海辺にやってきていた。


 なんとなく視線を送ると、陽光を受けて輝く海と青い空の境目に、浅葱色のモヤが見える。


 目を凝らしてみると、それはアサギマダラの群れだった。


 島民いわく、例の祭りが終わってしばらくすると、蝶たちは次の休息地を目指して旅立っていくらしい。


 ――仏教における蝶は、極楽浄土に魂を運んでくれる神聖な存在らしいぞ。


 ――ちょっとやめてくださいよ。行き先は極楽ですが、まるで死に神じゃないですか。縁起でもない。


 その時ふと、衣緒との会話が思い起こされた。


 俺の前に突然現れた少女は、自分に残された時間が少ないことを悟っていたのかもしれない。


 そして俺に舞を見せて、満足して、消えた。


 今頃はあの蝶たちのように、長い旅に出ているのだろうか。


 しばらくその様子を眺めていた時、足元に気配を感じて視線を向ける。


 そこには、一羽のアサギマダラが飛んでいた。


 行き遅れたのか。行く気がないのか。俺の周りをくるくると回っている。


 ……それはまるで、舞を踊っているようだった。


「……踊り、上手だったぞ」


 その蝶に向けて、俺はそう言葉をかける。


 ――でしょー。涼介さんには、絶対見てほしかったんです!


 ……潮風に混ざって、そんな衣緒の声が聞こえた気がした。


 やがて蝶は満足したように、青い海の彼方へと飛び去ってく。


 その姿が見えなくなるまで、俺はいつまでも海を眺めていたのだった。



                      蝶の舞う島と、大根の少女・完


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蝶の舞う島、大根の少女 川上 とむ @198601113

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