§4
ナパイアが運んで来たティーセットから芳しい香りが漂い、鼻腔をくすぐった。ランスロットも思わず恍惚となるその香りは、王室内でも滅多にお目に掛かれない高級茶葉の醸し出す芳香であった。
「良いお茶だ。天界でもお茶は人間界と同じものを用いるのですか?」
「いいや、これは儂の好みで取り寄せている物じゃ。茶はやはりウーノ産に限る」
「だとすると、これはニュードミニオンのハイ・グロウンですね?」
「良い嗅覚をしているな。正解じゃ」
これを飲めるのは、ごく限られた特権階級の人間のみ。ズィーロから持ち込まれた原種をそのまま栽培している産地は、ウーノでもごく僅かである。原産地と同じ気候でなければ同じ香りを持つ茶葉には育たない。そういった理由によって産地も限られて来るのだが、この『ニュードミニオン』は、嘗てのイギリス系移民が大半を占めるマーキュリー王国に於いては人気の高い品種で、絶滅前のズィーロでは主にスリランカで生産されていた品種である。中でもハイ・グロウンは高山品種の為に栽培が難しく、生産量も少ない為、超高級品として扱われているのだ。
「美味しい……この強い渋みを、複雑な香り成分が上手く包み込んでいるんだ。これは淹れ方も良いのですね、下手に淹れたら渋みだけが浮き立ってしまい、香りが台無しになってしまう」
「見事じゃな。そこまで深くこの香りを楽しめる者は、このエレクティオンにも滅多に居らんぞ。ナパイアよ、良かったのう」
「……畏れ入ります」
ナパイアの回答はやはり抑揚の乏しい声での返礼であったが、先程とは僅かに声のトーンが違う。やや上ずった感じだ。見ると、ほんの少し頬が紅潮していた。これはガイアからの賛辞に喜んでいるのか、それとも単にお茶の淹れ方を褒められたのが嬉しいだけなのか、そこまでは分からなかったが……とにかく彼女も喜びを表す事はあるのだなという、またもどうでも良い事にランスロットは感心していた。
「この庭園が星空を消さずに表現されているのも、ガイア様のお好みなのですか?」
「そうじゃ。石庭や芝生も良いものじゃが、儂は星空をこよなく愛する嗜好を持っておってな。ならばそこに浮いているような雰囲気を作りたいと思っての。本当ならこのテーブルセットも無色透明にしたかったのじゃが……」
「それでは私ども従者が困ります。テーブルも見えないようでは、お茶の支度も儘なりませぬ故」
「……分かります。見えない場所に物を置くのは、極めて難しいですからね」
その回答に、ナパイアも思わず笑みを零した。その様を見て、ランスロットは『やはりこの人、仕事熱心なだけなんだ。笑う時はちゃんと笑う人なんだな』と思っていた。彼としてはその鉄面皮がどうにも気になっていたらしい。
「おや、どうしたねランスロット。ナパイアが気に入ったのかな?」
「え? ……あ、いや! た、確かにお美しい方ですが、私には高貴すぎます」
「だそうじゃぞ、ナパイア」
「……ご、御冗談は……お控えください、ランスロット様」
「ほっほっほ! お安くないのぅ」
若者をからかって笑うその姿は、本当に何処からどう見ても普通の好々爺にしか見えなかった。本当にこれが神の中の神・ガイアなのか? と、ランスロットは些か気の抜けた感じになってしまった。が……
「……安心せい、ランスロット。儂は雑談と会談を混同するような真似はせん」
「……!!」
見透かされた……? と、ランスロットは思わず戦慄した。しかし、考えてみれば当然の事であった。相手は神々を束ねる長、相手の表情から内心を読むぐらい造作も無い事だろう。これは相当締めて掛からないといけないな……と、彼は先程とは違う意味で緊張し、キリッと表情を引き締めた。
「では、改めてお訊き致します。私を此処にお呼びになったその訳を、お聞かせいただきたく存じます」
「む……良かろう」
ガイアも、頃合いであろうという表情になり、漸く本題に入る事となった。先ずはガイアの方から、ランスロットへの質疑を行うところから会談は始まった。ウーノの現状、蟲化の被害、彼自身の置かれている環境、そして愛娘ノアの事……と、質問は多岐に亘ったが、それらを余す事無く、ランスロットは一つ一つ丁寧に、且つ正確に回答して行った。
「では……サザーランドは、そなたから搾取した血を、民には分け与えず、限られた階級の者のみで独占している、と……?」
「限られた者にしか血が行き渡らないのは、その価格の所為であるかと。かなりの高値を付けていると耳に致しました故」
「おのれサザーランドめ! ノアを弄び、慰み者にしただけでなく、その息子すらも私腹を肥やすための道具として扱うとは! これは厳しい仕置きが必要じゃな……オーケアノス! これへ!」
ガイアがその名を呼び、手を叩くと、瞬時に音も無く彼の傍に巨大な体躯を持つ神が跪いた格好で姿を現した。嘗て、ノアの脱走を手引きした際に追っ手を阻み、散っていったティターン族の中で、唯一難を逃れたオーケアノスである。
「貴公の揮下にあるテーテュース師団をウーノに向かわせよ。マーキュリー全土を掌握し、サザーランドの地位を貶めるのだ」
「畏れながら、ガイア様! テーテュースは我が揮下でも最大の規模を持つ師団、その数は三千に及びます! 人間の、しかも一国家のみを制圧するに当たっては過剰なる戦力かと……」
「サザーランドめは、この儂に二度ならず三度までも怒りを覚えさせたのだぞ! 構わぬ、直ぐに出陣を……」
「ま、待って下さい! お祖父様!!」
ランスロットが、ほぼ無意識に放ったその一言は、一瞬にしてその場の空気を凍り付かせた……いや、まさかこの場で、この雰囲気の中で、その呼称が出て来るとは誰も思わなかったのだ。そう、ランスロット本人ですらも。
「お……祖父……?」
「あ……あ……! ご、ご無礼をお許し下さい!! つ、つい夢中になり、立場を忘れて……申し訳ありません!!」
「良い、儂はそなたの祖父である事に相違は無いのじゃからな。しかし……ほっほっほ! お祖父様、か。悪くは無いのぅ!! ほっほっほ!!」
「あ、あの……?」
それまでの怒りも忘れ、喜びに浸るガイアに弁明しようとして声を掛けたランスロットだったが、その声は届かなかったようだ。余程嬉しかったらしい。しかし、このままの状態では会談が進まない。それを危惧した彼は再度、声掛けを行おうとしたが、それをオーケアノスが阻止した。ランスロットの倍はあろうかと云う巨躯を折り曲げて、密談をしようとするその様は、滑稽ですらあった。
「……お怒りを忘れておられる、今が好機だ。この雰囲気が流れてしまわぬうちに、折衷案を出すのだ。何かないか?」
「な、何か、って言われても……」
「聞こえておるぞ、オーケアノス! その図体では、如何に小声で喋ろうと無駄じゃ」
「う……お、畏れ入りまして御座います」
その巨躯を小さくすぼめるようにして、オーケアノスはランスロットの隣で委縮していた。武神が小さく縮こまる姿は、何とも滑稽である。しかしガイアは先程の『お祖父様』発言ですっかり毒気を抜かれたか、先程見せた怒りの表情は何処へやら、柔和な表情で二人を前にして話をしていた。
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