§2
星空に、直接床を張ったような……何とも不思議な風景。そんな場所を、ランスロットは歩いていた。先導役のナパイアは、終始ムッツリと口を閉ざしたままだ。不機嫌そうではないが、気さくなタイプでもない。これはオンとオフのスイッチをキチッと切り替えられる性格なんだな……等と考えながら、ふと彼は彼女の長い髪を束ねているバレッタに目をやった。
「趣味の良いバレッタですね」
「……ありがとう、ございます」
一言だけ、しかも呟くような声で礼の言葉が返って来た。やはり神の長が遣いに寄越すだけあって、仕事に厳しい人なのだなと納得し、彼は再び黙って彼女の後に付いて歩いて行った。
「……着きました。この先が神殿になっております」
「着きました、って……何もないじゃないですか」
そう、道は確かにそこで終わっているが、目の前は見わたす限りの星空。神殿など何処にもありはしない。ランスロットは頻りに周囲を手探りしてみるが、その手は何にも触れる事無く、虚空を掻くばかりであった。そして石廊から一歩足を踏み出そうとした刹那、ナパイアが背後から彼の腕を掴んでそれを制止した。
「……ランスロット様、貴方はノア様の血を引くお方ではありますが、人間との混血。完全なる神ではありません。その石廊を一歩でも踏み外すと……時空の狭間に落ちてしまい、二度と抜け出す事は出来なくなります」
「そ、そういう事は先に言って欲しかったなぁ」
冷や汗を拭いながら、ランスロットはいま来た道を振り返った。石廊は両腕を広げた程度の幅しかない細い道。それを見た瞬間、彼は思わずその場にへたり込んでしまった。
「どうなさいました?」
「……腰が抜けたんですよ。どんな楽天家でも、知らぬ間にタイトロープを渡って来たのだと知らされたらこうなります」
「断っておきますが、その程度で腰が砕けるようでは……これからお会いする方の目線だけで心臓が止まってしまいますよ」
(そ、そんなお方が……僕に一体何の用があると云うんだ?)
勿論、ランスロットもただ漠然と状況に流されて付いて来た訳では無い。彼には彼なりの目論見があったからこそ、ここまで付いて来たのだ。しかし、門前でこんなに脅されたら目論見など消し飛んでしまう。彼は今、恐らく人生で初めて『真の恐怖』を味わっているのだろう。
「では、門を開きます」
漸く立ち上がったランスロットがまた驚いて道を踏み外したりせぬよう、今度はしっかりと腕を組んで……ナパイアは残った右腕を肩の高さまで掲げ、スッと真横に引くような動作を行った。すると、何もなかった空間から光が漏れて、その光は徐々に広がって行った。そう、まるで扉が開くかのように。
「大丈夫ですか?」
「うん。もう多分、余程の事が無い限りは驚かないと思いますよ」
気丈を装ってはみたが、その声は震えていた。然もありなん、生まれてからずっと人界で育てられ、人間と同様に暮らしてきた彼が、初めて本物の神の世界への入り口に立ったのだ。普通の人間であれば拝む事すら叶わぬ光景が、目の前に広がっているのである。
「あ、この先は石廊の外側を歩いても大丈夫ですから」
「……さっきまでの空間と、何処がどう違うです?」
「門の外は人界と天界の狭間。異空間なのです。純粋な神であればその経路も省略できるのですが、貴方様は半神。時空の捻れを潜っていただく必要があったのです。が、この扉の先は天界。完全なる別の世界です」
想像の斜め上を行く回答に、ランスロットはもう『開き直るしかない』と覚悟を決めたのか、スゥッと深呼吸をしてから目を大きく見開いて、堂々たる態度で歩み進んでいった。そう、自分は招かれてやって来た客人。何を恐れるものか、と。
「あの……まだ、ガイア様のお部屋をご案内しておりませんが」
「……気の抜けるような事を、真顔で言わないでくれないかなぁ」
ボケたつもりは無いのだろう、ナパイアは至って冷静な表情のままであった。出端を挫かれたランスロットはその顔を見て、苦笑いを作るしかなかった。
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