§5
「……ここまで来れば、もう擬態は解いても良いでしょう」
エレクティオンの監視網が届かない位置まで『潜って』移動して来たノアの姿が、星空に浮かび上がった。彼女は自らの身体を粒子化し、監視の網を難なく擦り抜け、ここまで泳いで来たのだ。ゲートを開けば一瞬で移動できるが、その時に発する念波を捉える事は下級の神や天使ですらも出来るので、その時点で発見されてしまう。だから移動時間と引き換えに、確実な結果が得られる手段を選んだのだ。
「急いだつもりですが、それでも結構な時間が経過している筈ですね……」
エレクティオンは人間界とは違う次元に存在する為、物理的な移動時間は基本的に発生しない。時空間を捻じ曲げて目的地の目の前まで『エレクティオンの方から』接近するので、ゲートを開けばそこが目的地となるのだ。だが彼女はそれをせず、時空の波間を泳いでやって来た為、エレクティオンの外郭を抜けてから此処に到達するまでに、人間界の時間に換算して約100年の時を費やしてしまったのだ。
「此処からなら一気に飛んで行ける……急がなくては!」
「お待ちください、ノア様」
「……!! まさか、待ち伏せを!?」
先程のノアのように、姿を消して待機していたヒュペリーオーン達の姿が次々と浮かび上がった。そして彼らは瞬く間にノアを包囲してしまった。
「如何に姿を晦まそうと、入れ替わった後の侍女を見れば何が起こったかは直ぐに分かります。そして、何の為にそうなさったのかも……」
ここまで来て……と、ノアは唇を噛んだ。しかし、ウーノを救えるのは自分のみ。ここは力ずくでも突破せねば! と、彼女は胸元に手をかざし、印を結び始めた。波動を繰り出し、強引に道を開くつもりなのだろう。
「ノア様、それには及びません。我々は決して、邪魔立てをする為に此処に潜っていたのではないのです」
「……え?」
「失礼……御覧を」
「これは……いつの間に!」
「失礼ながら、ノア様は戦いに関しては素人でいらっしゃいます。このように『紐』を付けられても、お気付きにならない」
まさか、完全に姿を晦ました筈……と、ノアは戦慄した。いつ、何処でマークされたのか。背中にしっかりとマーカーを付けられていたのだった。
「迂闊でした……しかし、こうして居所が知れていながら、追っ手が来ないのは何故なのです?」
「……クレイオス隊長が、自ら盾となって……」
「……!!」
無念の涙を浮かべるヒュペリーオーンが、絞り出すようにそう答えた。そして、それを聞いたノアは、なんという事を……と顔を青ざめさせた。しかし……
「ノア様! 立ち止まっているお暇は無い筈です。追っ手は間もなく此処に到達します。我らが壁となっている間に、お早く!」
「しかし、それでは!」
「クレイオス隊長のお気持ちを、無駄になさるおつもりですか!!」
「……!! 分かりました、必ずウーノは救ってみせます」
「行ってらっしゃいませ、ノア様」
ニコリと笑うヒュペリーオーンと、4名のティターン達。ノアは彼ら全員と握手を交わすと、コクリと頷いた。それは自分がゲートを開く間、念派で隠してくれと云う無言の願いだった。やがて開いたトンネルの向こう側にウーノの青い輝きが見えると、ノアはその中を潜って姿を消した。彼ら5人のティターンがその後どうなったのか、それを知る者は誰も居なかった。
**********
雲の合間から下を覗くと、そこは城の上だった。以前来た時とは場所が違うのか、見覚えの無い景色だった。相変わらずなのは、逃げ惑う人々とそれを追う蟲たちだけ。その蟲に、剣を携えた騎士たちが斬り掛かり、進行を食い止めていた。
「衣服の作りも、だいぶ変わっている。やはり永い時が経ってしまったのね」
哀しげな顔を一瞬だけ見せた後、ノアは天界と人界の狭間で戦っているティターン達の事を思い出し、表情を引き締めて両の手首を自ら傷付け、鮮血を掌に溜めた。それを金色に輝く風に乗せ、城を中心とした広範囲に拡散させた。すると、騎士たちと対峙していた蟲たちが、瞬く間に元の人間へと戻って行った。それをノアは、やはりあの時見た事は幻ではなかったのだ……と、使命感に燃えた瞳で見ていた。
「い、今のは何だ?」
「蟲どもが、元の姿に……お、おい! あれを見ろ!」
「あ……あ!? 飛んでいる……いや、降りて来ているんだ! 女神様が助けてくださったんだ!!」
騎士たちは空を見上げ、金色に輝くノアの姿を見て一斉に跪いた。それもその筈、ここウーノでは神への信仰が極めて強く、どのような貧しい家にも神像だけは必ずあるという徹底ぶりだったのだ。そんな世界へ本物の女神が降臨したのだから堪らない。人々の興奮は一気に頂点へと達し、ノアを称賛する叫びが地上に溢れた。が、それを邪な目で見詰める一団があった。
「今のを御覧になられましたか!? 陛下!」
「……直ぐに捕えるのだ。但し民の目がある、誘拐に見える素振りは避けよ」
「ハッ! 直ちに!」
城のバルコニーから一部始終を見ていた、豪奢な衣服に身を包んだ口髭の男性。見た目は穏やかな紳士なのだが、歪んだ口許がそれを否定していた。かくて、彼の指示で組織された近衛隊と、それに護られた大臣を乗せた馬車が騒ぎの中心へと向かっていった。蟲化から解放され、体力を消耗していた民に力を与えていたノアがその一団と共に姿を消したのは、それから間もなくの事だった。
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