§4
「……迂闊だった。塩水は乾燥するとベタ付くのだな」
海から上がって、今度は船上で日光浴を楽しんでいた彼女が、ふと気づいたのがそれだった。生まれたままの姿で、夢心地に浸っていたところを、急に現実に引き戻された瞬間だった。
「これはたまらん、真水で洗い流さなくては服も着られない」
彼女は放置してあった服を掴むと、急いで船内に戻ってシャワールームに直行した。ベタ付きが気になるというだけでなく、放置すれば髪や機械化された体内機構に悪影響を与えると気付いたからだった。無論、数日間でどうなるというものでも無いのだが、このベタ付きは生理的に不快だった。女性であれば尚更だろう。
「ふぅ……少々ふざけが過ぎたな。さて、人里を探さなくては」
このシャトルのコンピュータが探知した生命反応が正しければ、必ず人間が居る筈。しかし、このような外洋に人が住むとは考えられない。彼女はレーダーサテライトを打ち上げ、現在位置から最も近い陸地を探した。すると、60キロほど北方に大陸がある事が分かったので、まずそちらに向かう事にした。
シャトルの操縦系を空間操縦用から大気圏内用に切り替え、再び外翼を展開して海面すれすれをホバークラフトのように推進し始めた。船舶と違って水の抵抗を受けないので、高速を得る事が出来る。惜しむらくは、翼を展開できても大気圏内では飛行する事が出来ない点だった。搭載してあるロケットエンジンは宇宙用の物であり、ジェットエンジンは搭載されていないのである。しかしそれでも、32ノット(約60km/h)の速度が得られれば、大陸までは1時間あれば到着できる。太陽は西に傾き始めていたが、日暮れまでには上陸できるだろう。そして人間とコンタクトを取らなくてはならない。彼女ははやる気持ちを抑えつつ、陸へと向かってシャトルを走らせた。
**********
「と、父ちゃん! あ、あれ……」
「何だ、騒がし……い!?」
地元の漁師の親子であろうか。小さな舟をはしけに繋ぎながら獲物を陸揚げしている大人の男と、その傍らで網を畳んでいた男の子が、沖からもの凄い速度で接近して来る得体の知れない乗り物を見て驚いていた。その乗り物は陸に近付くと急に速度を落とし、今度は低速で岸辺をウロウロし始めた。
「わ、わっ! こっち来るよ!」
「あ、慌てるでねぇ!」
狼狽する親子を見付けたのか、その乗り物は徐々にはしけに接近し、その少し沖で停止した。そして天蓋のハッチが開いたかと思ったら、中からはこれまた見慣れぬ衣装を纏った少女が顔を出した。
「おーい! この近くに、空港はないか?」
「クウコウ……って、何だ? 父ちゃん」
「お、おらに訊くな! おらだって知らねぇよ!」
その声が聞こえたのか、少女は『意味が通じなかったのか?』と思い、ハッチ付近からタラップを出してはしけの脇までそれを伸ばし、コンベアに乗って親子に接近した。が、その様を見て親子は更に驚いてしまった。
「すまないが、訪ねたい。この辺にこのシャトルを置ける場所……何をしているのだ?」
「ど、どういう仕掛けになってるだ!?」
「ゆ、床が勝手に動いてるだよ……」
はぁ? と少女は首を傾げた。ただのベルトコンベアではないか、何をそんなに驚いているのだ? と。
「そなた達は、地元の者か?」
「ん、んだ」
「なら地理には明るかろう。このシャトルをこのままにはして置けんのでな、何処かに格納したいのだが」
「あげな馬鹿でかいモン、仕舞える納屋なんかねぇだよ!」
「な、納屋!?」
どうも話が通じていないようだ……と、少女はポケットから電子端末を取り出し、上空に打ち上げたレーダーサテライトから近辺の地図を受信して表示してみせた。どうやら、場所を指差して貰おうと思ったらしい。だが……
「ひええぇぇ! こ、こんな小さな板に絵が!」
「しかも、動いとる! な、何じゃこれは!?」
本気で驚いている……これはまさか? と思い、少女は腕に付けられたライトを点灯させてみせた。すると、またしても親子は仰天してしまった。
「うわっ! 光っただ!」
「信じらんねぇ……火も焚いてねぇのに、あんなに明るく光るなんて」
「まさか、電気を知らないのか!?」
「デン……キ?」
そんな馬鹿な! と、今度は逆に少女の方が驚いてしまった。まさか、此処は自分たちの居たノーヴェより数百年以上も早く開拓の始まった星の筈だろう、と。しかし、現実に目の前の親子は、たかだかライトを点灯させただけで腰を抜かしている。これは一体どういう事なのだ? と、少女は不思議に思った。
ただ一つ分かった事は、ここウーノは自然豊かな美しい星だが、文明はかなり遅れているという事である。そうなると、あのシャトルでの移動は住民を徒に怯えさせる恐れがあるし、自分自身が異端の目で見られてしまう。それはまずい。
(仕方が無い、あのシャトルは自動操縦で宇宙へ……ダメだ、ブースターが無いと成層圏を脱出できない。となると……)
暫し考えた後、少女は一旦シャトルに戻り、コックピットに何やら指示して戻って来た。すると暫くして、無人のシャトルが沖に向かって走り出し、肉眼で見えなくなる距離に達したところで海中へと潜って行った。
(私は、今からこの星の住人になるのだ。郷に入れば郷に従え……装備も護身用のものを除いて、皆捨てた。後は服だが、やむをえない。何処かで調達するとしよう)
少女は、未だ夢でも見ているかのように放心している親子に背を向け、一人旅立って行った。
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