§3

 重々しい音を立てながら、大きな扉が開かれた。広く静かなその部屋に、豊かな白髭を蓄えた老人が一人、静かに座していた。

「お父様、只今戻りました」

「……ノアか」

 ドアから長く伸びた一本の石廊。その奥に設えられた大きな椅子に、老人――ガイアは座していた。傍らにあるベルを鳴らすと、スッと白いローブを纏った若い男性がガイアの傍らに姿を現した。彼の側近を務める、夢を司る神・オネイロスである。

「状況をお伺いします。ノーヴェはどのような状態でしたか?」

「街並は、そのままの姿で残っておりました。生存者が一名……ただ、異様な雰囲気を纏っておりました。曰く、『この星は死んだ』と」

「原因等について、何か分かった事は?」

「大気中に、生物にとって非常に有害な細菌が舞っておりました。情報として聞いてはおりましたが、想像を絶するものでした」

 淡々と答えるノアの回答を、オネイロスが残らず書き留めた。その傍らで、ガイアが髭を弄びながら話を聞いていた。

「生存者の一名は、どうしたのですか?」

「脱出を希望しなかったので、そのまま意に添う形に致しました。ただ、私の到着と入れ違いで脱出した一団があったようです。宇宙船が飛び立つのを目撃しました」

「大儀であった。ゆっくり休むが良い」

「有難うございます」

 ガイアの一言により、報告はそこで終わりになった。ノアとしてもそれ以上報告すべき事は無かったので、そのまま退室し、室内は再び静寂に包まれた。

「如何なさいますか?」

「……星ひとつ滅ぼしてしまう細菌が充満した大気の中で生きられる者の存在も気になるが、大勢に影響はあるまい。細菌も、よもや成層圏を越えて他の星に影響を与える事もなかろう。捨て置いて宜しい」

「御意」

 そう短く返答すると、オネイロスは音もなくその場から姿を消し、ガイアはまた一人になった。


**********


 静寂が全てを支配する死の星となったノーヴェから飛び立った、一隻の連絡用シャトル。10人乗りのキャビンには、少女が一人、ポツンと座っている。彼女がコックピットの自動操縦装置に指示した内容はただ一つ。『人類の生命反応をキャッチしたら、その星に接近せよ』、それだけである。

「あれから、もう500年も経ったのか。止まらぬ心臓と劣化しない細胞を持つお蔭で、未だ生き長らえているが……寂しさは募るばかり。皮肉なものだな……」

 少女は、そう言いながら窓の外に目を向けた。宇宙と云う大海原に飛び出して、早500年。ノーヴェの科学力によって不老不死の身体を与えられた彼女は、あの細菌漏れ事故に於いても無傷であり、何人もの人間が命を落とすのをその目でしっかりと見ていたのだ。阿鼻叫喚、白衣姿の研究員たちが次々と息絶える様は、まさに地獄絵図。それでも自分は何ともなく、こうして生きている。それが自分をこのような身体に変えた、この者たちのお蔭かと思うと、複雑な気持ちにならざるを得なかった。

『生命反応あり。二時の方向、仰角マイナス35度。距離50光分』

 コックピットからアナウンスがあったのは、丁度そんな時だった。彼女はそれを、人工生成水と合成蛋白で出来た食事を摂りながら聞いていた。

(この退屈な日常に、漸く終止符が打てるか……)

 アナウンスを聞いた彼女が、最初に思ったのがそれだった。感動でも、歓喜でもない。単なる『報告の受諾』でしかなかった。彼女の心はそこまで乾き切っていたのだ。

「……生命反応を追って接近、海があればそこに着水せよ」

『了解』

 人間の女性のそれを模して造られた電子音声が無機質に応答し、幾つかの操縦装置が反応した。スラスターが作動し、機体が回頭を始める。そして正面に、明るく光る恒星が目に入った。恐らくあれが、目指す惑星の太陽だろう。

「生命反応は、人間の物か? 惑星の情報は?」

『はい。惑星ウーノ、人類が外宇宙にて初めて移民に成功した星です』

 ふぅん、とその回答を聞いて、少女は頷いた。どのような所かは知らないが、とにかく人間が住んでいる惑星に辿り着けたのだ。これで寂しくはなくなる、今度こそ自由に生きられる。それだけで充分だったのだ。

 やがて太陽の脇を通り過ぎ、惑星の衛星軌道に乗った。そして外周を数回まわった後、大気圏に突入した。この際の緊張感は、いつの時代も変わらぬようだ。機体の外装にダメージは無いか、進入角は合っているか……それらをチェックした後、シャトルは一気に降下を開始した。次第に大気との摩擦熱で機体の外装が赤熱を始め、窓には防護シャッターが掛かった。高度計が作動し始め、地表を感知した事を知らせた。その数値はもの凄い勢いで減じられて行き、かなりの高速で降下しているという事を物語っていた。

「……重力圏を脱出する時も相当なプレッシャーだったが、重力圏に突入する時もプレッシャーは感じるのだな」

 我ながら妙な事に感心するものだ、と一人笑いながら、少女はコックピットのシートに身を預けたまま瞑目した。そして窓のシャッターが開き、エンジンノズルの間からパラシュートが展開され、急減速によって逆Gが掛かり、少女は一瞬気が遠くなった。が、それも束の間。窓から漏れる明るい光に思わず目を覆った。500年ぶりに見た青空。ノーヴェの空も青かったが、それよりも更に青さが鮮やかな気がした。空気が綺麗なのだろう。

「ノーヴェよりも太陽が大きく見える。恒星からの距離が近いのかも知れないな」

 そう感じたのは気のせいでは無かった。ノーヴェは太陽となる恒星からの距離が人類の生存に適するギリギリのレベルだったので、星全体を空調装置で温めなければならないという酷く劣悪な環境にあり、空は薄暗く、自然も少なかった。しかし、このウーノは明るく澄んだ自然の星。太陽との距離も適正で、その気候は伝説の星・ズィーロに極めて近いものであった。

「海だ……何と青く綺麗なんだ。水が澄んでいる。ノーヴェの緑色の海とはまるで違うぞ」

 海面が近付き、シャトルが機体下部のスラスターで姿勢制御を行った。これらはオートパイロットにより操作されるので、着水に失敗する事はまず無いだろう。そして外翼を機体内に収納し、船舶に近い形状へと変形すると、いよいよ着水。ショックを和らげる為にスラスターを最大に吹かし、ゆっくりと降下した。高度計がゼロを指し、今まで縦方向に強く感じていたプレッシャーが消えた。穏やかな揺れが心地よい。

「着いたか……」

 少女は上部ハッチを開き、外へ出た。宇宙船なので船舶のような甲板は無いが、機体上部は平坦に作られているので上に立つ事は出来るのだ。ただし柵が無いので、あまり縁に近付くと落下してしまう。尤も、下は水なので落ちても怪我をする事は無いであろうが。

「綺麗な空気だ。マスクなしでも大丈夫だ。それに、温かい。これが太陽の温かさか」

 彼女にとっては500年ぶりの外気。しかも、これほど綺麗な空気を胸に吸い込んだ事は未だ嘗てない。船内で作られる人工酸素は清潔ではあるが、それとは違う爽やかさがあった。

「……!! 何だ、あれは!?」

 シャトルの脇を、クジラの群れが通過して行った。それを見た彼女は、そのあまりの巨大さに驚いていた。無論、ノーヴェにクジラなど居ない。いや、海水が強いアルカリ分を含む為、海洋生物そのものが存在しないのだ。

「色々と、ノーヴェとは違うようだが……住みやすい星のようだ。生き物がいるという事は、泳げるのかも知れないな」

 強い好奇心に駆られた彼女は、後部の安定翼に掴まって、まず手を水に付けてみた。ノーヴェの海と違い、皮膚がただれてしまうという事はなさそうだ。ここで彼女の好奇心は一気に頂点に達した。

「誰も見てはいないし……いいだろう!」

 彼女は着けていた衣服を全て脱ぎ去り、素裸になって海に飛び込んだ。が、彼女は不用意に飛び込んだ為、海水を思い切り口に含んでしまい、その味に驚いた。

「し、塩辛い!! ……そうか、ここの海は塩水で出来ているのか。しかし、冷たくて気持ちがいい!」

 驚いたのは一瞬だけで直ぐに慣れてしまった彼女は、そのまま海中へと潜ってみた。そこで見たものは、色鮮やかな魚の群れ。銀色に輝く鱗を持つもの、原色の体表を持つもの……様々な魚が、群れを成して泳いでいた。彼女はそれに混じって泳いでみたが、外洋の為か、魚も彼女を恐れない。人間に襲われた経験が無いのだろう。

(美しい……なんて美しい星なんだ。ここなら好きになれそうだ)

 これが自然というものか……彼女はそう感じていた。全てが機械化された科学の星ノーヴェ。そこで生まれ育ち、あまつさえ改造まで施された彼女が、本能的に憧れていたもの……それが此処にはある。彼女は体に染みついた穢れを清めるかのように、魚たちと戯れて暫しの休息を満喫していた。

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