ズボンが引き裂かれました

 日々斗は右利きである、それは特に不思議はない。人類の9割は右利きと言われており、ハサミも基本的に右利き用に作られていたり、地下鉄のICをかざす機器も基本的に右利き用に作られている。

 だからということではないが、スマホは勿論、日々斗はハンカチを右後ろポケットに仕舞っていた。「だからということではない」のだとするならば、では何故日々斗は左ポケットを使っていないのか。その理由は、USBメモリが消失した理由と同義だった。


 ハンカチを穴空きポケットに入れてもハンカチそのものは穴に落ちることはない、だから左ポケットに入れることもできた。しかしそれを繰り返していくうちに穴がどんどんと大きくなり、やがてはポケットから底なし沼に変貌を遂げたのである。以降、日々斗は左ポケットを使っていなかった。そんなポケットにUSBメモリのような小さな物体が入ったなら……。


(あ、ヤバイ、さっきのUSBメモリ、ポケットの穴に落ちた……)


 もう一度右後ろポケットのハンカチを取り出して冷や汗を拭いたかったけれど、一挙手一投足が、どういう行動だと相手に判断されたものか分かったものではない以上、迂闊な行動が出来なかった。下手をすると拳銃を取り出そうと誤解される恐れもある、と、そういう嫌な予感を抱いていた。


 目的の物を出し渋っている日々斗を見て、その一瞬で百合音は考えを巡らせる。確かにマックスに仕事を任せても良いのだけれど、万が一マックスが敵だった場合。自分が勘違いをしていた場合を想像する。それは、日本という平和な国の平穏を揺るがせる大事件の芽をみすみす見過ごすということではないのか。ならば、自分の目が黒いうちに自身の手で問題を解決させた方がいいのでは。

(そうすればパパも褒めてくれるし、きっともっと良いお洋服が買ってもらえるかもしれないわね、まさに一挙両得だわ)

 百合音はマックスを余所に、日々斗の前に上目遣いで迫ろうとする。しかし、そこで一陣の風が吹き荒れる。


『お待たせいたしました。終点おわりてん行きの電車が予定よりも遅れておりましたが、ただいま到着しました。皆様にはご迷惑をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます』


 響き渡るアナウンスと共に、暗く閑散としていたホームに電車の照明がチカチカと照らす。それを見て反射的に日々斗は線路の方に振り向いた。

 しかしそれに反応しない二人ではない。百合音は超人的な観察能力を買われて孤児院から裏警察に抜擢された、まさに人間レーダー。マックスはエメラリアでの要人警護や軍人としての精神鍛錬によって、鋼の肉体とメンタルが一切の迷いのない素早い行動を可能にしていた。なので電車が停止するよりも前に、日々斗の両手は彼らによって掴まれた。お菓子の入った袋ががさりと揺れる。


「黄色の線の外側には出ちゃいけないのよ? 危ないんだからつい止めちゃったわ」


「少年、下手に首を突っ込む前に渡すのだ」


「ダメなんだって! 今ポケットに穴が空いてて――」


 釈明し終わるよりも先に、電車の扉が開く。電車には夜遅いためか、ほとんどの人が入っておらず、出る人間もいなかった。だが止まった駅でゴタゴタしている三人を見て、乗客の一人、安酒に酔って顔を赤らめているネクタイを頭に巻いたサラリーマンが、三人と一番近い扉に近づいた。


「おいおい~、こ~んな夜中に三角関係の修羅場とはお熱いねぇ~!」


 ふらふらとした足取りを手すりにつかまって支えつつ、もう片方の手で指をさす。


「おいクソガキ、そんな大男になんて負けんなよ! 大和魂見せろ大和魂! 宇宙戦艦や~ま~と~! なんつって!」


(うぜぇ。)


 電車を乗り過ごしたくなる気持ちを必死にこらえ、歩みを進めようとするのだが、しかし日々斗の先ほどの言葉をしっかりと耳にした二人は、日々斗の学校指定のズボンに手をかけた。


「逃げないでさっさと脱ぎなさい!」


「逃げることはないだろう、食ってかかるわけではない」


 一人の男子高校生のズボンを奪おうと争う、美少女と欧州男性の姿がそこにはあった。

 その光景を見て、酔いが冷めたように真っ赤な顔を引きつらせるサラリーマン。


「え、三角関係ってそういうこと? まぁ多様性が大事っていうけどさぁ、隅に置けないねぇガキだぜったく」


「気持ち悪い誤解してんじゃねぇ! ぶっ飛ばすぞ酔いどれが――」


 突っ込みが聞こえたかどうか分からないタイミングで、プシュー、という扉の閉じる音がした。電車はそのまま去っていく。


「あああ、うう、」

 

 日々斗はその電車の背中を涙混じりに眺めるしかなかった。伸ばした右手が空しく落ち、左手に提げた紙袋ががさりと地面に落ちる。

 それを余所に百合音とマックスは、四つん這いにうなだれる日々斗のズボンを引っ張り、脱がすことに成功した。夜中の駅のホームでパンツを丸出しにする男子高校生がそこにはあった。


「ねぇ、そろそろズボンを離してくれない?」


「君こそ離したまえ、君が持って良いものではない」


 ちなみに左足を百合音、右足をマックスが持ってズボンを引っ張っている。股が引き裂けそうだった。

 引っ張りながらズボンのすそを触っていると、百合音は手の感触に違和感があることに気が付いた。にやりと微笑み、破れる事も恐れずズボンを引っ張る!


「止めてくれ! 後生だ! せめてズボンを履いて帰らせてくれ!」


 日々斗の叫びもむなしく、引っ張られるズボンは股からビリビリと引き裂かれていく。


「よし!」


 大事そうにズボンのすそを握りしめる百合音を見て、マックスはUSBメモリが百合音の元へ渡ってしまったと理解する。

 そしてそれに気づいた時、既にマックスは地面を蹴っていた。伸ばされる腕が百合音に伸びる。


「返してもらうぞ、我が祖国の民のために」

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