本物のスパイ仲間が現れた

(何? 彼から感じられるこの圧力、何か大切なモノを守るためなら、どんな犠牲もはばからないような、そんな覚悟を感じる)

 百合音が想起したのは、育ての親である警察官の父が自身に語り掛けた時のことだった。


『百合音、私は日本が好きだ。世界に負けない技術、経済力、美味しいご飯、しかしそれ以上に、自国を愛する国民たちが大好きなんだ。だがその国民を害する者が現れている。……もしかすると、仕事柄早々にパパは死ぬかもしれない。けれどこれだけは覚えておいてほしい、たとえ死んでも、日本のために死ねてパパは満足だと』


 かつての父と同様の目をしていると感じた百合音は、目の前の男が、大きさは違えど同じく何かを背負っている男であることを、今認めた。その正義が自身と相対したとしても、きっと彼の、大切なモノを守るその心に敬意を表することができるだろうと。


 日々斗は目を閉じて、大切なモノを思い出していた。決して失ってはならないと、心に刻みつけるように。


(いつも明るい笑顔で元気づけてくれる美桜有紀ちゃん、クールだけどピンクのビキニが良く似合う華咲美優ちゃん、いつも際どい水着で元気づけてくれる美月未来ちゃん、胸の谷間とカメラ目線が挑発的な紗夢千佳ちゃん、お腹が超綺麗な葵愛美香ちゃん。彼女たちの命は俺が帰らなければ帰らぬ命になってしまう。たとえ手足が千切れようとも帰宅するんだ!)


 決意を新たに目を見開く。もう百合音の美しさには動じなくなっていた。


「俺には守らなきゃならないモノがあるんです、だからここで立ち止まることはできません」


 百合音は生唾を飲み込んで、呼吸を整えていた。

(……ひるむな、例え彼らにも彼らの正義があったとしても、例え彼らの家族が悲しむ結果になったとしても、私には私の正義がある。負けてたまるか!)


 自分のたずなを決して離さないように、百合音は拳を強く握りしめた。そして微笑み口を開く。


「……あなたが何を受け渡されたのかは知らないけれど、それがのかは分かっているのよ!」


 言った瞬間、本当に一瞬だった。日々斗が瞬きで目を閉じ、開いたころには、視界の下に百合音が飛びかかっていた! たまらず日々斗は左ポケットに手を伸ばす。

 しかし。


「「え?」」


 二人ともが固まった。いや、二人だけではなかった。さながら百人一首の如く左ポケットに伸ばされた手は、三本だった。


 一本が綺麗な白い手、もう一本が少年ながら高校生らしい力強さのある手。

 そして最後の一本は、二人の手よりももっと大きく、まるでグローブをはめているんじゃないかというよな、そんな手が伸ばされていた。



「そこにあったのか、さっさと渡すんだ少年」



 渋い声が震える。百合音は一瞬で二、三歩跳び退き、その男を細めで観察した。

 体躯は日々斗と話していた男よりも大きく、ふわりと黒いパーカーを羽織っているものの、体積からして相当な肉体が隠されていることが分かる。加えて跳び退いた百合音を目で追った時の視線がとても冷ややかで、百合音は歯噛みする。


(ったく、ベンチに腰掛けて待っていたのにも関わらず、見知らぬ少年にちょっかいを掛けたかと思えば、俺と勘違いしてブツを渡しやがって。こんなひょろガキに変装できるわけなかろうが)

 仕事仲間の杜撰さに、または自分の変装技術への過大な信頼に頭痛を覚えながら、男は百合音に語り掛けた。


「そこの少女、その年齢でその身のこなし、大したものだ。君なら言わずとも分かるだろう?」


 実力の差が。


 言外に示されたそのメッセージは、その男から発せられる僅かな殺気で表されていた。これ以上踏み込んだらただじゃ済まないぞと。

 我々の国と日本の闇の問題だから。と。

 男の名はマックス・サンダーソン。遠い遠いエメラリアという国の軍に所属する兵士である。日々斗に話しかけていた男も同業で、ジャクソン・ストーンといい、彼らはある目的を持って日本に潜入していた。

 それは、日本で今起こっている外国人の誘拐事件を止めるため。この事件による被害者の中にエメラリアの民も含まれている。彼らの救出と事件再発を防ぐために事件の元締めを終わらせることがミッションなのだ。

 そのためならば、変装だろうが、潜入だろうが、盗みだろうが、暗殺だろうが、何でもする。


 そんな国に忠誠を誓ったプロフェッショナルを見て、百合音は彼の正体に気が付いた。


(そうか! 彼も裏警察なんだわ!)

 ※違います。


(裏警察は孤児の中から選別されるけど、保護した外国人もその中に含まれるとかパパが言ってたわね、この前も優秀な後輩が来たけど彼女も彼と同じで金髪だったし。彼もそうってことなのね)


 と盛大な勘違いをした百合音は、しかし同業であっても素性を明かしてはならないことを念頭に置いて、にやりと微笑んだ。


「ええ、貴方を見れば十二分によく分かるわ、私も同じだもの」


「……同じ?」


 マックスは堀の深い眉間に更に皺を作って訝しみ考えた。そして合点がいったのか、少しだけ目を見開く。


(なるほど、私と同じスパイ、か。他の国も考えることは同じというわけだ)

 ※違います。


(しかし標的が例え同じだとしても、他国の被害者を気に掛けるほどの余裕はない、エメラリアの国民が助かれば他など知ったことではない)


 仏頂面は緩むことはなく、少しだけため息をついてからマックスは百合音に向き直った。


「ならばなおの事邪魔立てはしないでいただきたい、目的が同じならばお互い見なかったことにすれば丸く収まる話だ」

 マックスは日々斗の方を見て、仏頂面でうず高いところから見下ろした。

「少年、貴様が奴から受け取った物を大人しく渡してくれさえすればそれでいい。理解したなら渡すんだ」


「……わかり、ました」

 マックスは手袋を五重ほどつけているんじゃないかというような大きな手を差し出す。(渡せばOK、この場を素早くやり過ごせる)という安堵感を胸に、日々斗は左手をポケットへ伸ばす。

 渡せば、終わり。全てが丸く収まる。機密事項も漏れず、万事解決。

 そのはずだった。


「……あれ、ない?」


 日々斗の左ポケットには、何も入っていなかった。

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