59話、雪と豚肉のカツレツ

「リリア、見て! 窓の外!」


 宿屋で借りた部屋の中で手慰みに編み物をしていた時、ライラが突然そう叫んだ。


 私は編み物をする手を休め、窓から外を眺めてみる。


「うわっ、雪降ってる」


 窓の外に広がる薄暗い町中に、ちらほらと小さな雪が舞い落ちている。先ほどから寒い寒いと思っていたが、まさか雪が降り始めるとは思ってもいなかったので、私も大きな声を出して驚いてしまった。


 ここはテルミネスで借りた宿屋の一室。お昼ごはんを食べた後、曇り空で薄暗くなりつつあるテルミネスの町を一通り見て回った私とライラは、夕方には宿を借りて休んでいたのだ。


「すごい……雪も照明の光で輝いているわ」


 ライラは顔が付くんじゃないかというほど窓に近づき、振り落ちる雪をじっと眺めていた。


「……本当だ。雪が輝いてる」


 ライラが言う通り、空から落ちる雪はテルミネスの町のあちらこちらにある照明の光を浴び、まるで自らが輝いているように見えた。


 その幻想的な光景に、私もライラに並んで窓に顔を近づけ食い入るように見てしまう。


「リリア、せっかくだから外に出ましょうよ! 雪降る町をあらためて観光よ!」

「ええ……絶対寒いよ……」


 雪を見て楽しくなっているのか、ライラは喜色満面だ。対して私は外に出る事を想像しただけで体が震えてしまう。


 雪が降っているということはつまり、外はそれだけ気温が低くなっているということ。雪を見ただけで自然とそのことが頭に浮かんでしまう私は、さすがにライラほどテンションを上げることはできない。


 宿の外に出て輝く雪を真下から眺めたら、それはもう綺麗な光景なのだろうけど……でも寒いのは確実だしなぁ。


 舞い散る雪の光景と体を襲う寒さを交互に思い浮かべ、私はため息をついた。


「リリア、枯れてるわね」


 さすがのライラも私の態度に呆れるしかなかったようだ。さきほどまでの笑顔はどこへやら、白い目で私を見つめている。


「か、枯れてないから……私だって確かに見たいよ? テルミネスの町の照明に彩られた雪景色……うん、きっと想像の数倍も綺麗なんだと思う。でもね、ライラ……」


 私はもったいぶるように言葉を区切った。


「外の寒さも想像以上なんだよ。雪が降るくらいの気温って、思っている以上に寒いんだから」


 仮に外が零度だとして、風を浴びたりすることを考えると体感温度はもっと下がる。


 旅をしている最中に寒い目を味わうのはしかたがない。それも旅の一環だと思えば受け入れられる。


 だけど、こうして宿屋の暖かい部屋で落ちついてしまった今、寒い外に出るなんて考えられなかった。


 寒さに怯える私を見て、ライラは肩を落として深く息を吐く。動きに合わせてライラの赤い髪がゆらりと揺れる。


「寒くても綺麗な景色が見られるなら、十分おつりがでるじゃない」

「そんな風に言われると……返す言葉がないかも……」


 私だって分かっている。きっと今外に出て雪を間近で見たら、寒さというデメリット以上に満足できるということを。


 でも……この暖かい部屋から寒い外に出るというのは……。


「もう、だったら私一人で見てくるわ」


 決心がつかない私に焦れたのか、ライラが窓を開けて外に飛び出そうとする。


「ま、待って! ライラ!」

「……なに? やっぱり行く気になった?」


 私が引き留めると、ライラは振り返って期待するような目をした。


「……窓開けたら寒いから開けないで」

「……」


 私を見つめるライラの目は、もう白いを通り越して灰色になっていた。


「今のは本当に呆れちゃったわ」


 ライラが小さく呟き、窓をがばっと開け放つ。温かかった部屋に冷気が差し込んできた。


「ああっ、寒い!」

「ほらほら、もう窓を開けたら外も中も一緒よ。こうなったら私と一緒に外へ出た方がいいんじゃないかしら?」


 言いながらくすくすと笑うライラ。窓から入りこむ風が彼女の赤い髪を揺らし、まるで悪いイタズラをする妖精のようだ。いや、ライラはまさに妖精だった。


「おふざけはこのあたりにして……リリアが行かないならそれで構わないわ。私一人で雪降る町を見てくるから」


 ライラは開けられた窓から今度こそ空に羽ばたこうとする。私はその背に声を投げかけた。


「待ってライラ、私も行くよ」

「あら? 行く気になったのね」


 驚くライラに私は頷きを返した。


 確かにライラの言う通り。窓を開けたことによって部屋の中は寒くなってしまったのだから、こうなったら外に出て降りゆく雪を見てしまった方がいい。


 それに一緒に旅をしているのに別行動というのもちょっとさみしかった。


 でも、その前に……。


「雪を見るのはいいんだけど、一度ごはん食べていかない?」

「……え、なんで?」

「ごはん食べて寒さに負けない気合を入れたいから」

「……なにその理由」


 ライラが呆れるのもしかたないが、それは私の本心だった。


 もう夜ごはん頃だし、しっかり食べて体を温めてから外に出たい。


 私の目を見て、本気で言ってるのだと理解したらしいライラは、一度窓の外を見た。


 ちらほら舞い落ちる雪は、先ほどよりも勢いを増している。


「この様子ならしばらく雪も止まなそうだし、いいわ、ごはんを食べてから外に出ましょう」


 私もお腹空いてるし、とライラは付け加え、窓を閉めて私のそばへと飛んできた。


「でもどこで食べるの? どうせ外で食べるなら、どっちが後でも先でも一緒じゃない?」

「ああ、それなら大丈夫。この宿屋、料理店もくっついてるから」


 大体の宿屋はそこまで立派では無いものの、料理を提供するお店がくっついてるものだ。宿に泊まる旅人に食事を提供できれば稼ぎにもなって都合が良い。そう考えるのはどこも一緒ということだろう。


 そしてこのテルミネスの町の宿屋は、結構しっかりした料理店が経営されている。


 私はライラを連れ、宿屋の玄関ホールへと向かった。そこに併設するような形で料理店はくっついている。


 そのお店はテイクアウト系の簡単な料理も売ってるけど、席に座って食べることもできて、しっかりとした料理も提供されている。


 私はテーブル席へと座ってメニューを眺め、気合を入れるという意味を込めて選んだ料理を注文した。


 ほどなくして、注文した料理がやってくる。平たくて薄い皿に、狐色に焼かれた平べったいお肉が乗っていた。


 注文したのは豚肉のカツレツだ。カツレツはお肉にパン粉をつけて焼き上げる料理で、狐色に揚げ焼きされたことでお肉はしっとりと肉汁が込められ、食感はサクサクとしている。


 お皿の中央に大きなカツレツが乗り、そこに彩り良い温野菜も盛りつけられ、カットされたレモンが皿の隅に乗っていた。ボリュームもあってとてもおいしそうだ。


 カツレツの他に、主食としてガーリックトーストも注文しておいた。ボリュームあるお肉料理にガーリックが効いたパンを合わせて、寒さに負けない気合をつけるのだ。


 ……これを食べて本当に気合がつくかは正直分からないけど。


 私は早速カツレツへと手をつけることにした。ナイフで一口大にカットし、ライラの分を取り分ける。


 そしてまずはそのまま何もつけずに、ライラと一緒にカツレツを口に運んだ。


 一口噛むと、揚げ焼きされたパン粉のサクっとした食感が口の中に響く。そして肉汁がこもったお肉のジューシーな味わいが口の中いっぱいに広がる。


 そのまま食べても塩気が効いていて、十分おいしい。カツレツは粉チーズをよく使うので、結構濃厚な味わいになっている。


「うん、おいしい」


 思わずそう呟いてしまうほどに、ここのカツレツはおいしかった。


 お肉の味が口の中に残っているうちに、誘われるようにガーリックトーストへと手を伸ばす。


 ガーリックトーストはその名の通り、ペースト状のガーリックをつけて焼かれたパンだ。ここのは輪切りにしたバゲットを使っているらしく、バゲットの断面にバターとガーリックが塗られているのが分かる。


 カリカリに焼かれたガーリックトーストにかじりつく。カツレツはサクサクとした食感だが、このガーリックトーストは噛んだとたんバリバリと軽い音が響き、サクっとした食感とはまた違う。


 表面はパリパリで、バターとガーリックが塗られた部分はしっとりとしている。そしてガーリックとバターの塩気に二つの良い匂いが混ざって、カツレツのジューシーさに負けないインパクトがあった。


「パンにガーリックを塗ってあるのは、私初めて食べたかも。こんなにおいしいのね」


 新しいおいしさを発見したとばかりに、ライラは声をはずませた。


 そういえばガーリックを使った料理は何度か食べたり作ったりしたけど、パンに直接合わせたのは無かったっけ。


 カツレツに続いてガーリックトーストも濃厚な味わいなので、立て続けに食べると口の中を一度さっぱりさせたくなる。私はカツレツに付け合わせてあった温野菜をいくつか食べることにした。


 小さくてそれ自体がまるで森のような形をしたブロッコリーに、赤い色合いが可愛いニンジン、それとこれは茹でられてないけど新鮮なプチトマト。


 ブロッコリーとニンジンは塩ゆでされてあるのか、塩気がある。ニンジンはそれ自体の甘さが塩気で強調され、ブロッコリーはなんというか大地っぽい味。苦みがそこそこあって、でもえぐみは無く食べやすい。プチトマトは甘酸っぱくて口の中が一気に爽やかになった。


 付け合わせの温野菜もこれまたおいしくて、思わず全部一気に食べきってしまった。残るはカツレツとガーリックトースト。


 どちらもとてもおいしいのだけど、二つとも味が濃いという特徴がある。そこで私は、皿の端にあったレモンを手に取り、カツレツにレモン汁をかけていった。これで濃厚な味のカツレツがさっぱりとするはずだ。


 その予想は当たっていて、レモンをかけただけでカツレツの口当たりはさっぱりとした。粉チーズの風味や揚げ焼きされたパン粉にお肉の味。それらをほのかな酸味とレモンの匂いが包み込み、油っぽさと濃厚な味を中和してくれる。


 レモンのおかげでさっぱりとしたカツレツは次々と口に運べ、あっという間に食べ終わる。そして最後にガーリックトーストを食べて締め、お水を飲んで口の中に残る味と油分を洗い流した。


「ふぅ……おいしかった」

「これで気合入ったの?」


 そういえばそういう話だった。途中から夢中で食べてたから失念していた。


 濃厚なカツレツとガーリックトーストを食べたことによって、きっと私の中に活力というものが今みなぎっているはず。そういうことになっているのだ。


 ちらりと遠くにある窓を見ると、その先に広がる町中は先ほどよりも勢いを増した雪に彩られていた。


「……よし、行こう、行くぞ、私は行く、外に行く」


 ぶつぶつと呟きながらお店を後にし、宿屋の扉を開けて思い切って外へと繰りだす。


 降り落ちる雪が私の魔女帽子や肩にぽつぽつと当たり、強く冷たい風が吹き抜けた。


「さ、寒い……!」


 やっぱり、寒いのは気合でどうこうなる問題ではない。慌てて周囲の気温を維持する魔術をより強くかけ、寒さを紛らわす。


 それでも周りの気温が低ければ低いほど、魔術の効果はいまいちになっていくのだ。


「もう外に出ちゃったんだから、今更戻るのはダメよ」


 ライラは楽しそうに雪が降る空を舞い飛び、くるりと私に振り返る。


 照明に彩られて輝くような雪も綺麗だったが、雪の中を舞うライラもそれに負けず劣らず幻想的だった。

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