46話、おでん売りの少女

 卵がわく泉を後にして、再度街道に戻り歩き続けること数時間。気がつけば空は茜色に染まり始めていた。


 こうして街道を歩き続けて、あらためて分かったことがある。旅をする時は基本的に、整備された街道を歩くべきだ。


 そんなことは当たり前なのだけど、ここ最近森の中に迷い込んだこともあったので、ここでもう一度それを正しく認識することにする。


 街道は、とにかく歩きやすい。それに街道は交通路なので、その先には間違いなく大きな町が待っている。


 街道から外れなければいずれちゃんとした町に着く。その安心感はやっぱり大きいのだ。


 今日は正直野宿を避けられないだろうけど、おそらく明日には町に着くはずだ。そうしたら暖かいベッドで眠れるし手間暇かけた料理を楽しむこともできる。


 暮れはじめている空を眺めながら、今私は中々明るい気分だった。


 そんな時、街道に佇む一人の女性に気づき、私の足が止まる。


 街道に人がいるのは別に変なことではない。事実これまでも何人かとすれ違ってきた。


 しかし、そこにいたのは明らかに見覚えのある女性だったのだ。


 品の良い眼鏡をかけ、白衣を着用し、旅行用バッグを足元においたその立ち姿。彼女のことを私は知っている。


「……カナデさん?」


 その名を思い出しつつ彼女に近づいて話しかける。すると彼女は振り向いて、驚いた顔を見せた。


「おや、リリアさんにライラさん。奇遇ですね、いつぞやの砂漠以来ですか」


 白衣をかけたその女性は、私だけでなく私のそばを飛ぶライラをはっきりと認識し、ぺこりとお辞儀をした。


「あ、思い出したわ、カニの人!」


 ライラはようやく彼女のことを思いだしたのか、大きな声を出した。それにしてもカニの人って思い出し方は失礼じゃない? 妖精に言ってもしかたないけど。


 そう、カナデさんとは以前、デスクラブが生息する砂漠で出会ったのだ。何の縁かそこで一緒にデスクラブの鍋をつついた仲だ。そういえば、ライラがなぜかカニでテンションを上げると知ったのはあの時だったっけ。


 今思い出してみても、カニでテンション上げてるライラに熱い砂漠のど真ん中で取れたてデスクラブを茹でるカナデさんという状況は、異様な光景だった。


「カナデさん、どうしてここに? もしかしてまた何らかの研究ですか?」


 私はちょっと警戒しながらそう聞いた。カナデさんは研究者らしいのだが、なぜかデスクラブを研究したりとその方向性が私には理解できないのだ。


「いえ、今回は完全プライベートです。ちょっとした噂を耳にしたもので、ここでその噂を検証しようとしているのですよ」


 ……プライベートでそんなことしてるのかこの人。やっぱり変な人。


 しかしこんな街道の道端で検証できる噂とはいったいなんなのだろう?


 聞こうかどうか迷ったものの、私は少しばかりの好奇心に負け、頭が痛くなりそうな変な話に発展しなければいいなぁ、と思いながら問いかける。


「その噂ってどういうものですか?」

「なんでも、夜になるとこの辺りに妙な少女が現れるらしいのです」

「……妙?」


 妙な少女と言われても、私にはちょっとピンとこない。


「ええ、その少女はこの辺りでは食べられない料理を売っているとのことです。確かおでんという名の食べ物だったかと」

「へえ……おでんですか」


 なにそれ。名前から料理が全く想像できないんですけど。


「つまりカナデさんは、そのおでんという料理が何なのか気になってわざわざここまでやって来たってことですか?」

「そうなります」


 カナデさんはものすごく満足げに頷いた。何でそんな表情できるの?


「良ければリリアさんもご一緒にどうですか? そろそろ夜ですし、この辺りで野宿する算段でしょう? 私も夜通し待とうと思っていまして、野営の覚悟はばっちりです」


 ……どうしよう。確かにそろそろ野宿する場所を決めるつもりだったし、カナデさんは一応知人だから一緒に野宿するのもやぶさかでもない。


 それに私もおでんとやらにはちょっと興味がある。噂が真実か嘘かは分からないけど、もし本当におでんを売る少女が現れたのなら、夕食にありつけて言うこと無しだ。


「いいじゃないリリア、このままおでんを食べましょうよ」


 ライラはカナデさんがお気に入りなのか、綺麗な羽根をパタパタと羽ばたかせて彼女の肩に止まった。


「そうだね、ここで野宿の準備しながら待ってみよっか」


 これも何かの縁だろう。それにカナデさんの話は変ながらも結構興味深い。彼女と共に野宿をするのも楽しそうだ。


 ひとまずいつ来るともしれない謎の少女を待つため、私とカナデさんは野宿の準備に取り掛かった。


 といってもそうそうすることもない。私はいつも通り魔法で火を起こしたくらいで、カナデさんは寝袋を引っ張り出していつでも寝られるようにしたくらいだ。


「研究のために遠出をする時はテントを持っていったりもするのですが、この辺りはまだ温かい地域なのもあって今日は寝袋しか持ってきていません。テントがあればリリアさんもお泊めできたのですが……」

「あはは、最近野宿にも慣れ出したのでお構いなく」


 それにしても寝袋か。暖かそうだし寝心地もよさそうだし、私も次の町に着いたら買ってしまおうかな。


 私は魔女ということもあって、魔法で暖を取ったり風から身を守ったり、更には虫よけもできたりと、結構野宿であっても快適に過ごすことができていた。


 だからあまり野宿に使う用品に目がいかなかったが、荷物になるテントはともかく寝袋を一つ所持しておくのは良いかもしれない。寝起きに体がバキバキになっているのをある程度は緩和できそうだし。


 ひとまず野宿の準備を終えた私とカナデさんは、お湯を沸かして紅茶を飲みながら軽く会話をし、噂の屋台が来るのを待ち続ける。


 そのうちに夕日は完全に沈み、辺りはとっぷりと闇に包まれていた。


 本当にこんなところにおでんを売る少女なんて来るのだろうか。いくらなんでも暗すぎるし……そもそもこんな時間に少女が食べ物を売りに来るというのも考えてみれば変だ。


 そんな不安を覚え始めていた時、闇夜に凛とした音が響いた。


 ちりん、と。鈴を鳴らすような綺麗な音が断続的に聞こえてくる。


「……おや、もしかして噂の少女が現れたのでしょうか」


 なぜかカナデさんは鈴のような音を聞いてぽつりとそんなことを呟いていた。


 不思議に思ってカナデさんを見つめていた私だけど、鈴の音がどんどん近づいてくることに気づいて慌てて周囲を見回してみる。


 ちりん、ちりん、と。確かに鈴の音を慣らして何かがこっちに近づいてくる。それは意外なことに街道の先からではなく、街道の端から広がる木々の中から聞こえてくるのだ。


 そのうちに鈴の音は近づいてこなくなった。私たちから一定の距離を保って、ちりんちりんと断続的に鳴っている。音の出どころは、すぐそこの木々の中だ。


 するとカナデさんは立ち上がり、音のする木々の方へゆっくり歩きはじめる。


「行ってみましょうか、リリアさん。噂の少女は多分この先ですよ」

「え、ええー……なんか怖いんですけど……」


 もう奇妙を通り越して恐怖に近い感情を抱いていた私だけど、しかたなくカナデさんについていくことにした。


 木々に入って少し歩いた頃。ぼんやりとした明かりが灯っているのに気付く。


 そこに近づいていくと、薄ぼんやりとした視界の中に一人の少女がうつりこんだ。


 少女は褐色肌で一見健康的に見えたが、どことなく暗い顔つきがその印象をすぐに否定してくれる。手足は細く、鈴をあしらったチョーカーが細い首に映えていた。あの鈴の音はこのチョーカーのせいか。


「……いらっしゃい」


 少女は私たちを見て、軽く会釈をした。その際にまたちりんと鈴の音が鳴る。


「なににしますか……?」


 少女にそう問われて、私は彼女が両手で鍋を持っていることにようやく気付いた。


 少女が鍋の蓋を開けると、薄い黄金色のスープとそこに沈んだ様々な具材が現れた。


 これが噂のおでんという奴だろうか。


 この妙な少女に心の中でびびり倒していた私だけど、このおでんとやらを見た瞬間すぐにお腹が空いていることを思いだして恐怖心が薄らいでしまった。我ながら現金すぎる。


「お安くしておきますよ……気になったのがありましたら注文してください」


 やはり少女はこのおでんとやらを売っているようだ。ちゃんとお金を取る気があるらしく、現実味を感じてしまう。


 とりあえずこの子は妙だしこんなところで料理を売っているのも変だけど、ちゃんと商売をしているのなら問題ないだろう。


「ふむ……なるほど。おでんとはスープで具材を煮込んだ料理なのですね。どういう味か気になります。リリアさんは何を頼みますか?」

「え? ああー……そうですね、じゃあなんか三つくらい適当におすすめを」


 おでんとやらが入った鍋を見ると色々具材があったので、決めきれなかった私は謎の少女に身を任せることにした。


「私もリリアさんと同じくおすすめをいくつかください」

「では……お二人には適当に……見繕います。そちらの妖精さんは何にしますか?」

「……え? ライラが見えるんだ……」


 さも当然のように言われて私は驚きを通り越して呆気にとられた。


 妖精の姿は普通の人には見えないはずだけど……この子もカナデさんのように生まれつき魔力の感知に優れているのだろうか。


「ええ、まあ……妖精ならば、この辺りにも結構いますので……」


 気取るでもなく謙遜するでもなく、少女はごく当然とばかりに頷いた。


 ……確かに妙だ。妙な少女だ。どんどん妙な部分が積もってもうほとんど少女よりも妙の部分が強い。何だこの子。


「私の姿が見えるなら話が早くていいじゃない。おすすめは何かしら?」


 ライラは自分の姿が見えていても気にしないのか、それともおいしそうな料理を前にして気分が上がっているのか、うきうきと鍋の中を見つめていた。多分後者だろうな。


「……大根、じゃがいも、卵などは味が染みてておいしいですよ」

「卵はパスよ。お昼にいっぱい食べたもの」

「では……豆腐を油で揚げた厚揚げにしておきましょう……それと、具材は妖精さん用サイズに取り分けましょうか……?」

「あ、私とライラでわけあうので、そのままで大丈夫です」

「分かりました……」


 少女は鍋を地面におき、腰掛けのバッグから取り皿を出して具材を乗せていく。そして、大根にじゃがいも、厚揚げが乗った取り皿を私に渡してくれた。


「お箸は妖精サイズの物もありますので……お使いください」


 どうやらおでんとやらは箸で食べるものらしい。さすがにそろそろ箸の扱いに慣れた私は、よどみなくライラの分を取り分けていく。


 しかし妖精サイズの箸を持っているとは用意が良い。見ると渡された箸はどうもお手製のようだ。妖精が食べに来るのも想定していたのだろうか……?


 そんな考え事はいったん頭の隅に追いやり、この未知のおでんとやらを食べることにした。


 まずは……大根を食べてみよう。


 大根は根菜の一種だ。私もあまり食べたことがない中々珍しい品種だが、地域によっては当然のように食べられているらしい。


 私の記憶だと大根は白っぽい色だったはずだけど、薄い色合いのスープで煮られているためか色味はスープと同じく黄金色になっていた。


 さっき取り分けた時に分かったが、根菜とは思えないくらい柔らかくなっていた。どうやらかなりじっくりと煮られているようだ。


 大根を一口サイズに切り分け、早速食べてみる。


 大根を一口かじると、その部分からホロホロと崩れていった。野菜特有の自然な甘みに、染み込んだスープの味だろうか、何とも言えない旨みがじわじわと溢れてくる。


 大根自体がおいしいのもあるけど、このスープの味は何だろうか。私が普段好むかぼちゃのスープ系統とはベースが全く別物のように感じる。


 この味は……どことなく、以前食べた魚のごった煮ごはんに似ている。正確には魚の煮汁に。


 つまりこれは魚の出汁なのだろうか。しかしあの時食べた物よりかなり味がまとまっているし、やや薄めで上品な感じもする。


 私の隣でおでんを食べ始めたカナデさんも、その不思議な味わいに少し動きを止めていた。彼女は考え込むように唇に手を当て、やがて口を開いた。


「これは……魚の出汁ですね。おでんとは魚の出汁で煮込む料理でしたか」

「……正確には魚の他、海藻の出汁も含まれています。それを塩で軽くまとめた後は……ただ煮込むだけですよ」

「なるほど。しかしこれはあまりこの辺りで食べられるような料理とは思えません。どちらかというと、海が近くて農耕を営んでいる町や村の伝統料理に感じられます」


 カナデさんの言葉を聞いて、妙な少女は少し押し黙った。彼女の鈴のチョーカーだけが、ちりんと乾いた音を奏でる。


「……もともと私は、海辺に住んでいましたので……今はこの辺りで暮らしていますが、これは故郷の味といえます」


 ふと、彼女は憂いを帯びた目をした。


「そう……故郷を忘れられない私は、わざわざ魚と海藻を買い求めてまでこのおでんを何度も作って食べていました。そのうちこの匂いにつられたのか、妖精が私のところに群がってきたのです……もともと妖精が見える性質の私は、気まぐれで妖精におでんを分け与えました……そうしたら彼女たちは、それから事あるごとにおでんをねだり始めたのです」


 段々とその少女は遠い目をし始めた。あれ……? いったい何を聞かされているんだ、これ。


「しかたなく妖精のためにおでんを作っていた私ですが……タダで食べさせるのは割に合わないと思い、妖精と物々交換を始めました。そうしているうちに……妙な噂が立ち始めたのです。おでん売りの少女がこの辺りに現れると……そう、夜な夜な妖精におでんを食べさせている私のことです。そして人々は噂を確かめるためこの地を訪れ、私のことを見つけるやおでんを買い始めるのです……もう私は引っ込みがつかなくなり……こうして妖精と人におでんを売り歩いています……」


 なんだか妙な身の上話を聞かされているなぁ、と思いながら、じゃがいもを食べてみる。


 じゃがいももしっかり煮込まれていて、噛むと簡単に崩れて染み込んだ出汁の味わいが一気に溢れてきた。


 大根とはやはり別の食材なので、じゃがいも本来のほっこりした味わいと薄いながらも旨みが立った出汁が混じって深みがある。


「ふむ……そういうことでしたか……あ、この卵味が染みていて大変おいしい」


 カナデさんはしみじみと呟きながらおでんを突ついている。……でもこの人もしかして、途中から食べるのに夢中で少女の話を聞いてなかったりしない?


 妙な人は妙な人を引き寄せるのか、カナデさんに会ってたった数時間しか経ってないのに、引っ込みがつかなくなっておでんを売り歩く少女に出会うなんて。


 何なんだろうこれ……この木々に囲まれる中でおでんを売る少女と食べる私たち。もうこの空間そのものが妙だ。


 そんなことを思いつつ、私は厚揚げに箸を伸ばした。


「……! お、おいしい……!?」


 一口食べた時、私は衝撃を味わって箸をぴたりと止める。


 この厚揚げ、衝撃的なおいしさだ。揚げていることによって衣に包まれた豆腐が、じっくりとおでん出汁を吸っている。


 噛むとおでん出汁がじゅわっと染みだしてきて、しかもそこに豆腐本来の味も上乗せされている。揚げられたことによって豆腐の表面は香ばしく、じっくり煮られていてもそのちょっと固めのカリっとした食感がどことなく残っていた。


 あっれ、なんだこれ、おいしいな。豆腐ってこんなにおいしいんだ。


 豆腐も大根と同じく、一部農耕に力を入れている地域でよく食べられているらしい。だからこれまで旅をしたところではあんまり見なかった食材だ。


 しかし今まで知らなかったのが惜しいくらいおいしい。豆腐いいじゃん。豆ってすごい。


 次からこういうマイナーな食材を使った料理も色々探してみよう。まだまだ私の知らないおいしいごはんは世の中にいっぱいある。


 横を見ればライラもご満悦の様子で食べ進めていた。


 カナデさんと今日偶然出会わなければこのおでんと出会うことはなかった。そう思うと妙な人が妙な人を引き寄せる気運に感謝しないといけない。


 ありがとうカナデさん。ありがとう妙なおでん売りの少女。


「……そして私はこうなったら自分だけの最高のおでんを作ろうと、改良に改良を重ね今日に至るというわけです……あの……聞いてます……?」


 すっかり夢中でおでんを食べている私たちにようやく少女は気づいたのか、呆けたような顔をしていた。


 夜はゆっくりと更けていくが、おでんを食べる私たちの手はしばらく休まることを知らなかった。

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