45話、卵がわく泉と卵づくし料理

 私とライラは、椅子代わりにちょうどいい手ごろな大きさの石に腰かけ、とある泉を黙って眺めていた。


 その泉の周りには、私たちと同じく固唾を飲んで見守る人々がいる。


 彼らは棒の先端に網を取り付けた道具を持っていて、今か今かと鋭い目をしていた。


 やや小さめの泉に群がる人々という異様な光景の中、突然泉の底から気泡が立ち昇る。


 それを見て人々は小さく声をあげ、食い入るように泉を眺めつづける。


 そのうちに、ぽこりと、泉の底から卵が浮かび上がってきた。


 一個だけではない。普通に売られているにわとりの卵と見た目が全く同じ卵が、泉から次々と湧き上がってくる。


 最初は一個だけだったのがあっという間に十個わき、それでもまだまだわき続け二十個、三十個、と更に増えていく。


 その異様な光景を目の当たりにして、人々は怯えるどころか率先して網のついた道具で卵をかき寄せていく。


「ねえリリア……」

「……ん?」

「これ、なに?」

「……卵がわく泉、らしいよ。看板に書いてあったじゃん」

「それは分かるけど……普通は泉から卵はわかない。それくらい妖精の私でも知ってる」

「私も魔女の前に一人の人間だから知ってるよ。卵は泉からわかない」

「……じゃあ、なんなのよ、これ」


 ライラに問われて、私はしばし無言を返した。


 これは卵がわく泉……らしい。今まさに卵がわく瞬間を目にしても信じられないのだけど、その名称に嘘偽りはないようだ。


 この泉を発見できたのは、単なる偶然という訳ではなかった。


 ほんの少し、時間をさかのぼる。私とライラが次の町を目指して街道を歩いていた時のことだ。


 街道の端に不思議な立て看板を発見したのがことの始まり。そこには、この先卵がわく泉、という文字と方向を示す矢印が書いてあったのだ。


 街道の端から先は整備されていない獣道が続き、木々も結構生えている。看板の矢印はその先を示していた。


 この看板に従って獣道に迷い込むのは、正直よくない判断だ。


 しかし私とライラは、卵がわく泉、という謎のフレーズをどうしても無視できず、こうなったら危険を承知で見に行ってやろうじゃんか、と矢印に従い歩き続けたのだ。


 そうして発見したのが、この卵がわく泉。まさか本当に卵がそのままわき上がってくるとは想像にもしなかった。看板に偽りはなかったのだ。


 私たちが泉にたどり着いた時には、すでに多くの人々がここに集まっていた。話を聞いてみると、この泉からは定期的に卵がわき、泉近くに住む村人たちが収穫しているらしい。


 泉の周囲には簡易的な屋台がいくつもあって、どうやらそこで取れたての卵を料理して売っているらしい。卵なのに取れたてというのも変だけど、泉からわいて出たので産みたてではなくそう言うほかないだろう。


 おそらくここは、以前のオアシスと同じく何らかの魔術遺産なのだと思う。ただなにがどうなって泉から卵がわく事態に発展したのかは想像もできない。正直常人の発想ではない。卵は産むものだ。


 泉から次々とわき上がる卵の数々。それをわいわいと収穫する人々の群れ。


 ……なんだこの光景。変な夢を見ているようで頭痛くなってきた。


「ねえ、リリア。そろそろ行かない? ここに居るとなんだか頭痛がするわ」


 ライラもこの訳がわからない光景に頭を痛ませているようだ。


「うん……もう行ってもいいんだけど……」


 言いながら、横目で屋台を見つめる。


「そろそろお昼だしお腹空いてきたなぁって」

「まさかここの卵を食べる気なの!? ないないない! ありえないわっ!」


 私の意図を察したライラが大慌てで首を振った。


「いやでもさぁ、屋台から結構良い匂いするし、お腹空いてこない?」

「……た、確かに空いてはくるけど……でもここの卵を食べるなんてありえないわっ。何の卵かも分からないし、得体が知れないわよ!」

「多分にわとりの卵でしょ。色も大きさも市販のと変わらないし。蛇とかの卵は繭見たいにぶよぶよしてるけど、あれはちゃんと固い殻に覆われてたでしょ? それに普通に屋台で売るってことは食べられるやつだって」

「……そう、かもしれないけど……一見普通だからこそ不気味なのよぉ……」


 いやいやと首を振るライラだが、彼女は漂ってくる匂いを嗅いだのか、突然ぴたりと動きを止める。そして可愛らしいお腹の音が聞こえてきた。


「ほら、ライラもお腹空いてるじゃん。食べよう食べよう。大丈夫、死にはしないって」

「……それ、リリアは死ぬ以外のことが起きるかもしれないって覚悟してるわけ……?」


 気が乗らないらしいライラだが、私が屋台を物色し始めるとしぶしぶ一緒に眺め出した。


「言っておくけど、変な料理は買わないでよね」

「さすがに屋台で卵を使った変な料理なんてないでしょ」


 色々見て回ると、結構様々な卵料理が売られていた。


 だいたいの屋台は熱した鉄板を使って料理をしているのだが、中には沸かしたお湯で卵を茹でていたり、事前に作っていただろうスープの中に溶き卵を入れているところもあった。


 こうなるとせっかくだから色々な卵料理を味わいところだ。なので気になったのを色々買ってみることにする。いっぱい買いすぎて残ってしまっても、途中途中で間食がてらつまんでいけば大丈夫でしょ。


 そうして色々な卵料理を買った私は、腰を落ち着けて食べようともう一度泉の近くに座りなおした。


 買ってきたのはゆで卵に卵焼き、粉チーズを混ぜた卵液を鶏肉に纏わせて焼いたピカタ、デザート代わりの甘めに味付けされたフレンチトーストだ。


 ……正直買いすぎた気がする。お腹が空いている時はやはり冷静じゃないのか、全部食べられると思って買っちゃうのだけど、いざ食べる段階になると量が多すぎることに気づくことがままある。


 とりあえず食べられるだけ食べておこう。残ったのは後で食べればいいんだし。


 ライラの分を取り分け、早速いただきます。


 まず私が口にしたのは、ゆで卵だ。これは塩で簡単に味付けされていて、白身の部分は淡泊ながらも塩気が効いていて悪くない。


 黄身の部分は半熟になっていて、やや固まったところにとろりとした黄身が絡んで濃厚だった。ここは塩がなくても十分おいしい。


 しかしいざ食べてみると普通の卵だ。市販されているにわとりの卵そのもの。ゆで卵という素材そのままの味で食べたから分かる。おいしいと言えばおいしいのだけど、どこまでも普通だ。


 泉から取れた卵なのだからちょっとくらい特別なところがあるんじゃないか、と薄々期待してたのに、ちょっと期待を裏切られた気分。


 むしろこうなるとわざわざ泉からわく意味があるのかと問いたくなる。まあ魔術遺産に意味を問いかけても、それこそ無意味だと思うけど。


 次に食べたのは卵焼き。かき混ぜた卵に塩コショウで味付けし、そのまま焼いて形を整えたというシンプルな料理だ。


 地域によっては砂糖を入れたり、あるいは出汁を加えたりと色々特色があるらしい。しかし今回のはごくごくシンプル。


 卵焼きは、正直想像通りの味としか言いようがない。ちょっと半熟気味に焼き上げられた卵は、塩とコショウのおかげでまろやかな味わいながらも淡泊になっていなかった。これはパンとかに挟んで食べたらおいしいだろうな。


 卵焼きは半分だけ食べて残りは後に食べることにした。そうしないとメインである鶏肉のピカタとデザート代わりのフレンチトーストが入りそうにない。ゆで卵が意外と胃を圧迫してくれているのだ。


 鶏肉のピカタは、鶏肉に粉チーズを混ぜた卵液を纏わせて焼く料理だ。


 こうすることによって鶏肉に卵の衣がつき、肉をそのまま焼くソテーとは違ったふんわりとした食感とまろやかな味わいになる。


 鶏肉のピカタを一口食べる。先ほどまでの卵だけの料理とは違って鶏肉の旨みが加わり、肉汁と卵が絡んだおいしさを味わえた。


 しかも粉チーズが混ぜてあるから結構濃厚な味がする。それでいて鶏肉の旨みはチーズと卵の濃厚さに負けていないので、噛むたびに染み出る肉汁と卵の衣が絡み、とてもおいしかった。


 最後に食べるのはフレンチトーストだ。


 フレンチトーストは、以前弟子たちと住んでいた時にも自分で何度か作ったことがある。食べきれずに古くなったパンを再利用できるから中々お気に入りの料理だった。


 溶いた卵に牛乳と砂糖を混ぜて卵液を作り、そこにしばらくパンをひたしてバターで焼き上げるのが一般的な作り方だろうか。


 この時一晩ほど卵液を染み込ませ、焼く際にバニラビーンズを使うと更においしくなる、とリネットに教えられたことがある。私は面倒でやらなかったけど、リネットが作る時はこうして手間をかけてたからかすごくおいしかったな。


 そんな思い出に浸りながらフレンチトーストを噛じる。


「……ん、ん……甘い」


 思い出のフレンチトーストはおろか、想像していた普通のフレンチトースト以上に甘すぎる。よく見てみると、表面に砂糖がびっしりとまぶしてあった。


 どうやらこの地域のフレンチトーストは、焼き上げた後に粉砂糖をかけて甘く仕上げるらしい。


 これはデザート代わりどころか完全にデザートだ。卵の風味とか関係ないぞこれ。甘すぎる。


 とはいえこういう物かと受け入れると違和感なくおいしく食べられはする。


 黙々と食べる私はライラのことを思いだして、彼女の方をちらりと見てみた。


 ライラはどこか納得いかない顔をしながらも、卵料理を食べ続けていた。


「どうしたの? おいしくない?」

「……おいしいわ。違和感なくおいしい。だから不気味なの……」


 ライラは卵がわき続ける泉をじっと見ながら、釈然としないとばかりに首を傾げた。


「本当に……なんなのあの泉。それとこの普通の卵。卵自体は普通すぎてむしろ回り回って普通じゃないわ」

「……確かにね。なんだろうこの泉」


 私たちの疑問に明確な答えなどない。


 魔術遺産は理屈で理解できる存在ではないのだ。


 しかし、それが特に悪影響を及ぼさないというのなら……このまま放っておいても問題ないだろう。


 私とライラは、卵がわく泉を眺めながら黙々と卵料理を食べ続けた。


 この泉はこれから先、きっと何年も、何十年も、卵をわかせ続けるんだろうなぁ。


 本当、意味分かんない。

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