36話、ゆでたデスクラブ
「見てリリア、カニー!」
午後三時を過ぎた頃、箒で砂漠の空を飛んでいると、私の魔女帽子に座っていたライラが突然そう叫んだ。
「……は? カニ?」
こんな砂漠のど真ん中でカニなんているはずない。
そう思った私だが、下を見てみると確かに数匹の大きいカニが砂漠をさまよっていた。
そのカニの最も特徴的なのは大きなハサミ。そうだ、忘れていた。あれはデスクラブと呼ばれる砂漠に生息するカニだ。前にフェリクスの町で食べたことあるやつだ。
デスクラブは結構危険な生物らしく、人を襲うこともある。どうやらここら一帯はデスクラブの生息地のようだ。
……箒で飛んでて良かった。やっぱり砂漠は歩くものじゃない。
「カニがいっぱい! カニー!」
砂漠をうごめく数匹のデスクラブを見て肝を冷やした私に対して、なぜかライラはテンションが高かった。アホみたいにカニー! と叫んでいる。
「……ライラ、なんでそんなに楽しそうなの?」
デスクラブを発見するたびに、カニ、カニ、と指さすライラがあまりにもアホっぽすぎたので、私はそう聞いてみた。
「さあ、どうしてかしら? あのカニの姿を見るとなんだか楽しくなってくるのよね。多分私はカニでテンションが上がるタイプの妖精なのよ。あ、ほらまたカニー!」
……カニでテンションが上がるタイプの妖精ってどういうことだよ。他のタイプもあったりするの?
訳が分からなすぎて二の句を告げない私をよそに、ライラはすごく楽しそうにデスクラブを指さしていた。
デスクラブを見ただけでテンションが上がっているライラは完全にアホ妖精だったが、すごく楽しそうなのでそれはそれでいいのかもしれない。完全にアホだけど。
戸惑い半分、呆れ半分でライラの様子を見ていたら、彼女は急に私の帽子を引っ張りだした。興奮しすぎて奇行にはしりだしたのかな?
「ちょっと、帽子引っ張らないでよ。あんなデスクラブがうろつく砂漠に落ちたら面倒になるでしょ」
「そんなことを言っている場合じゃないわ。リリア、あれを見て!」
「あれ?」
先ほどまで楽しそうにカニを指さしていたライラだが、どうも剣幕が違う。
ライラが指さす方を見ると、そこには砂漠の真ん中でぽつんとたたずむ女性と、彼女を取り囲む三匹のデスクラブがいた。
……あれ、やばい状況だったりしない?
デスクラブに襲われて命を落とす人は珍しくないと聞く。つまり今あそこにいる女性は完全にスプラッタ一歩手前な状況で……。
「や、やばいやばい、助けなきゃ!」
さすがに目の前で猟奇的なことが起こるのは嫌なので、私はすぐに箒を翻して彼女の元へ向かう。
距離はやや遠い。が、魔術の射程圏内はすぐだ。
女性を取り囲むデスクラブは、威嚇するように大きなハサミを突きつけてジリジリと近づいていく。
女性が襲われるのは時間の問題だ。しかし、私はすでにデスクラブたちを射程内に収めていた。
呼吸を整え、体内の魔力を調整していく。使うのは風を操る魔術。瞬間的に強風を引き起こし、カマイタチを発生させるのだ。
私の魔力が風をとらえた瞬間、魔術を行使する。
狙いは……女性の周囲。下手にデスクラブに攻撃を加えたりしたら、余計興奮させてしまうかもしれない。ここはデスクラブを驚かせて逃げるように仕向ける方がいいと判断した。
風の刃がデスクラブと女性の間に着弾する。
鋭い風切り音と共に砂が吹き飛び、それが威嚇になったのか、デスクラブたちは驚いて逃げて行った。
「……ふぅ、なんとかなったか」
どうやら猟奇的瞬間は避けられたようで、私はほっと胸をなでおろした。
「……リリアって、結構すごいのね。ちょっと見直したわ」
ライラは今起こったことが信じられないのか、目を丸くしていた。
……今見直したって言ったけど、私ライラの中でどういう評価されてたんだろう。
ちょっとライラに問いただしたいところだったが、今はデスクラブに囲まれていた女性がちゃんと無事か確かめるのが先だった。
箒から降り、先ほどの女性の元に走り寄る。
近くに寄ってみて気づいたが、かなり若い女性だった。品のいい眼鏡をかけ、砂漠の砂で少し汚れた白衣を着用している。
目鼻立ちがくっきりしていて、一見して美人さんと言える。しかしその美貌よりも、どことなく神秘的な雰囲気の方が印象深かった。
足元には大きな旅行用バッグ。ひょっとして旅行者だろうか。
「あの、大丈夫でしたか?」
ぽつんと佇む彼女の様子になんだかちょっと気後れして、私は小さな声で聞いた。
すると彼女は深々と一礼する。
「先ほど助けていただいたのはあなたでしたか。ありがとうございます、魔女の方」
「ちょっと慌ててしまったので乱暴な助け方でしたが……怪我はありませんか?」
「……見たところ私に怪我はないようです」
女性は自分の体を見回してそう言った。
……なんだかちょっと変というか、とらえどころの無い女性だ。
「私はカナデと言います。魔女の方、あなたのお名前は?」
「私はリリアです。えっと、よろしく、カナデさん」
突然握手を求められたので、私は戸惑いながら彼女の手を握り返した。
カナデ、とはあまり聞いたことが無い響きの名だ。もしかしたら私が行ったことが無い地域出身の人なのかもしれない。
「ええと、カナデさん。この辺りはデスクラブが生息しているようなので、一人で歩いていると危険だと思いますよ?」
「ええ、承知しております。しかし私の研究のためには、少々のリスクは享受しなければいけません」
「……研究?」
なんだろう、このバカみたいに暑い砂漠の中、白衣を着けたこの女性が口にした研究という言葉。
こう、色々な状況が私にささやいてくるようだ。絶対ろくでもないことを聞かされるぞ、と。
「私はしがない研究者で、ここ最近デスクラブを研究しているのです。妙だと思いませんか? カニは本来水辺に生息するものです。なのにこんな砂漠の中に生息するデスクラブとはいったい? そこには生物の神秘が隠されているような気がしてなりません。なので私は生のデスクラブを観察するため単身砂漠に来た次第です」
……うわぁ、やっぱり変な人だった彼女。
「デスクラブは特定の花の香りを嫌う性質があります。なのでその花を使った香水を使い遠方からデスクラブを観察していたのですが……香りが弱かったせいで近づいてくるデスクラブがいたのは誤算でした。高級な香水だからとケチったのがいけなかったようです。安全のため今の倍はつけないといけないようですね」
やだ、どうしよう。すごく喋ってくるこの人。しかも香水すっごく振りまいてる。
「ええっと……あの……い、一応デスクラブ対策はしていたんですね。なら一人でも大丈夫そうですので、私はこれで……」
なんだか関わるとかなり面倒そうな人だったので、私はそそくさと退散することにした。デスクラブへの対策もあるようだし、さすがにもう襲われることはないだろう。
しかし逃げようとする私の腕を彼女はがしりと掴み止めた。
「お待ちください、リリアさん。ささやかながら助けていただいたお礼をさせてください」
「いや……お礼なんてそんな、大丈夫ですよ」
「いえいえ、遠慮なさらずに。実は小さ目のデスクラブを一匹捕まえているのです。そろそろ夕暮れ時。これを一緒に食べましょう」
離れようとすると彼女はぐいぐいと腕を引っ張ってくる。ああ、この人我が強いタイプだ。
「いいじゃないリリア。ごちそうになりましょうよ」
嫌がる私とは違って、ライラは嬉しそうに声を弾ませていた。
……そういえばこの妖精、カニでテンション上がるタイプだったっけ。さっき話していたことなのに、なんかすっかり忘れていた。
「……今、誰かの声がしませんでしたか?」
カナデさんが不思議そうに首を傾げて周囲をきょろきょろと見回した。
あれ……? もしかしてライラの声が聞こえたのだろうか。妖精の声や姿は普通の人間には聞こえも見えもしないはずなのに……。
きょろきょろとしていたカナデさんは、やがて私の魔女帽子に座るライラの姿を目にとらえ、また小首を傾げた。
「……まさか、これは本物の妖精ですか?」
カナデさんが指先でライラに触れようとする。するとライラはすぐに羽ばたいて指先から逃れた。
「あら珍しい。私の姿が見えるのね」
ライラが話しかけると、カナデさんはびっくりしたように口元を抑えた。
「おお、本物の妖精を見たのは子供以来です。てっきりリリアさんの帽子の飾りかと思っていましたが、まさか本物とは」
魔女としての鍛錬を積んでいないのに妖精を見ることができるのは、かなり珍しい。
子供の頃に妖精を見たというのが本当なら、カナデさんは生まれつき魔力の感知に長けているのだろう。
「妖精さん、あなたのお名前は?」
「私はライラよ」
「ライラ……花のように可憐でステキなお名前ですね」
「あら、意外と一人前のレディーとしての感性を持っているのね」
「レディーであらずとも、お名前の持つ可憐さは感じ取れるかと」
……ライラとカナデさんはなぜか妙に馬が合っているようだ。謎だ。
「ところで、カニを食べさせてくれるというのは本当かしら?」
「ああ、デスクラブのことですね。もちろんです。ライラさんも共に食べましょう」
カナデさんは足元の砂を少し掘り、紐で縛られたデスクラブを取り出した。
「デスクラブは砂の中で寝るので、砂の中に埋めると本能的におとなしくなるのです」
なんで砂に埋めてたんだろ……という私の疑問を先読みしていたのか、カナデさんはそう説明した。
「カニー!」
ライラは取り出されたデスクラブを見て楽しそうに叫んでいた。
「ライラさん、カニはお好きですか?」
「カニー☆」
「なるほど」
なにがなるほどなのか分からないが、カナデさんはしたり顔で頷いていた。
カナデさんは持っていた旅行用の大きいバッグを開き、そこから鍋を取り出した。
「カニはゆでるのが一番です。元々とらえたデスクラブは食べてみるつもりだったので、鍋を持ってきていました」
なんで鍋持ってるの、という私の疑問はまた先読みされたらしい。なんかちょっと怖い。
……というか、元々食べるつもりだったのか。
「リリアさん、魔術で火を起こせませんか?」
「ええ、できますけど……」
カナデさんが水筒を取り出し、手際よく鍋に水を注いでいく。私はそれを横目にしながら、砂で作ったくぼみの中に魔術で火を起こした。
ゆでるとのことなのでちょっと火力は強めにしておく。
火を起こした砂のくぼみの上に鍋を置いてしばらく待つと、水がふつふつと沸騰した。
カナデさんは全く戸惑いを見せずに、紐で縛られた生きているデスクラブを鍋に放り込んだ。無残。
「カニー!」
ライラはゆでられるデスクラブを見て今日何度聞いたか分からない明るい声を響かせた。無邪気って一番残酷かも。
夕暮れ時とはいえまだ熱がこもる砂漠のど真ん中で、デスクラブをゆでている。
しかも生きながらゆでられるデスクラブを見つめるのは、デスクラブ研究者にカニでテンション上がるタイプの妖精、そしてこの状況に引いてる魔女の私。
……ああもう、めちゃくちゃだよこの状況。
訳が分からなすぎて頭を抱えたくなる。その衝動をこらえているうちに、デスクラブはしっかりとゆで上がった。
カナデさんはゆでたデスクラブを取り出し、軽く冷ましてから手足をもぎ取っていく。
「では殻を剥ぎ取りましょうか」
取り分けられたデスクラブの手足を持ち、殻を剥いて中の身を取り出していく。これが結構面倒くさい。
殻剥きの傍ら、カナデさんがぽつりとつぶやいた。
「そういえば、デスクラブは襲った人間の数が多いほどおいしいという噂を聞いたことがありますか?」
確か、フェリクスの町のデスクラブ専門店の店員がそんなことを言っていたような。冗談って言ってたけど。
「私の研究によると、デスクラブは興奮した状態だと身の旨み成分が増えるようです。あの噂は現地人の冗談のようですが、あながち間違ってはいないのが不思議ですね。……意外と経験則による噂だったのかもしれません」
なんかしれっと怖いことを言うカナデさんだった。
ようやく殻を剥き終え、ゆでたデスクラブの身を食べてみる。
……以前フェリクスで食べた時と同じで、なんか普通だ。普通のゆでガニ。それ以上言うことは何もない。
「……味は普通のカニですね、これ。もっとこう、砂漠味かと思ってました」
普通すぎる味が期待外れだったのか、カナデさんは残念そうな顔をしていた。砂漠味ってなんだろう。全くピンとこない。
「カニー☆」
私たちと違ってライラはかなりご満悦のようだ。彼女はカニ、カニ、と甘ったるい声を出しながらデスクラブの身を貪り続ける。
……本当、なんなんだこの状況。夢に出そう。
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