32話、卵とチーズとベーコンの燻製

 早起きをして早朝から歩くこと数時間。


 そろそろお昼になろうかという頃合いに、ようやく立ち寄れそうな町を発見した。


 立ち並ぶ石造りの家に、整備されていない土そのままな道路。


 その道路を歩く人に紛れて、牛やヤギなどの動物たちが悠々と闊歩している。なんだか少し不思議な風景の町だ。


 石造りの家が一様に薄く黄色がかっているのは、風に舞い上がった黄土色の土が付着しているからだろうか。空気も少しばかり濁っているように思える。


 乾燥地帯の途中にあるこの町はちょうど乾燥地帯と砂漠地帯の境目にあるらしく、町の高台から遠くを見渡すと、波状の砂漠を薄ら見ることができた。


 まだお昼だが、この先目ぼしい町もなさそうなので、ひとまずこの町で一泊することにする。


 荷物を置くため宿を借りた私は、部屋に入るなりベッドに寝転んだ。


「あー、やっぱりベッドは柔らかい」


 昨日野宿をしたせいで凝り固まった体が、柔らかいベッドに軽く沈み込む。ゆったりと沈むようなこの感覚が非情にたまらない。


「ベッドってそんなに気持ちいいものなの?」


 私のだらしない様子を見てか、ライラは呆れたように肩をすくめていた。


 妖精のライラの姿は、基本的に魔力の感知に長けた生物だけにしか見えない。


 つまり普通の人間にはまず見えないので、人目が多い町に来ても騒ぎになることはないのだ。


 柔らかいベッドに体を預ける至福は、妖精には分からないのだろう。そもそも妖精の体の感覚ってどうなってるのだろうか。


 妖精は、普段寝るときは草花に体を預けるらしい。特に花びらをベッド代わりにして寝るのが妖精たちのお気に入りのようで、ライラも昨日は適当な花の上で睡眠を取っていた。全く優雅な物だ。


「それにしてもリリア、この町ちょっと変だと思わない?」

「え、なんで?」

「なんだかちょっと煙いもの」


 閉めきった窓から外を眺めて、ライラはそう言った。窓の外の大気は薄らと煙で曇っている。


 ライラの言う通り、この町は確かにちょっと煙いかもしれない。


 私は最初、この町に来てすぐに空気が濁っていると感じたが、正確にはなんだか変な煙が漂っているというところだ。


 そして不思議なことに、その空気を濁らせる煙はどことなく良い匂いがする。


 ライラが変だと思ったのは、きっとそのことなのだろう。


「確かに、この煙が何なのかちょっと気になるね。ちょうどお昼時だし、お昼ごはんを探しがてら町を探索してみよっか」

「変な成分の煙だったりしてね」

「いやー、さすがに無いでしょ。多分」


 魔法薬にはいくつか危険な物もあり、飲むと幻覚作用を引き起こす薬も珍しくない。


 それを考えると、煙自体に何らかの危ない成分が含まれているというのも割と冗談ではないのだが……さすがに町中でそんなことは無いだろう。


 というかあったら困る。トラブルはごめんだ。


 ライラと共に町に繰りだし、より煙の匂いが濃い方向へ向かっていく。


 妙なことに煙の濃いところへ向かえば向かうほど人気が増え、気がつくと町の中心部とも言える広場付近にやってきてしまった。


 広場にはテント式の露店がいくつも並び、どこのお店からも煙がもくもくと立ち上っていた。


「うわっ、煙い」


 思わず手で鼻を覆うが、煙が目に染みて涙目になる。


 ライラも煙そうに数度咳き込んでいた。


「リリア、これはいったい何なの?」


 煙が湧き上がる露店を指さして、ライラはなぜか私に抗議するように言った。


 私に言われても……正直よく分からない。


 煙の正体を確かめるために一つの露店に近づき、店の中を伺ってみる。


 店の中には簡易的なコンロと鍋、それといくつかの食材があり、火にかけられた鍋は蓋がされていて、鍋と蓋の隙間からもくもくと煙が出ている。


 露店の店主らしき者が蓋を開けると一気に煙が湧き上がり、視界を覆い尽くした。


 涙目になりながらも鍋の中を覗き込んでみる。


 鍋の中には網が入っていて、その上に置かれていた食材を店主が次々と取り出していく。網の下、つまりなべ底には何やら木くずのようなものがいくつも置かれていた。


 それを見てこの煙の正体を知った私は、ひとまず露店から離れて遠くで見守っていたライラのところへ戻った。


「多分だけど、これ燻製を作ってるんだよ」


 私が達した結論を聞いて、ライラは首を傾げた。


「燻製って……何なの?」

「私も聞いたことがあるだけで見るのは初めてだけど、木材を熱して出る煙で食材をいぶす料理だったはずだよ」


 三番目の弟子で料理好きのリネットは、よく料理関係の本を読んでいた。結構前になるが、世界にはこんな料理があると彼女に料理本を見せられながら教えられた記憶がある。


「どうして食べ物にわざわざ煙を浴びせるのか、私にはちょっとよく分からないわ」

「木の中には焼くと良い匂いがする物もあって、燻製にはそういう木材が使われるんだよ。食材に風味づけが出来ておいしくなる……のだと思う。よく知らないけど」


 どうやらこの乾燥地帯でまばらに生えていた木々は、ちょうど燻製に適した木だったようだ。


 この町はおそらく、燻製料理を伝統的に作っているのだろう。周辺に生える木々が燻製に適していると言うのなら納得だ。


 石造りの家がちょっと黄色がかっていたのは、長年燻製する際の煙を浴びたせいなのかもしれない。


「とりあえずお昼は適当に燻製料理でも買って宿で食べることにしよう」


 さすがにこの煙が充満した広場では食事どころではない。なんかせきも出始めてきたし。


 この町に住んでいる人たちは耐性があるからか、この煙の中でも平然としている。でも外部の人間である私はもう限界だった。目も鼻も喉も痛い。


「じゃあ私宿で待ってるから、リリアはごはん買ってきてねっ!」

「ああっ、待ってライラっ! 逃げるなぁっ!」


 ライラは耐え切れなくなったのか、一気に羽ばたいて宿の方へと一直線に飛んでいった。


 あっという間に消えていったライラを目の当たりにした衝撃で少し固まっていた私だが、すぐにこれ以上ここにいると危険だと思い直し、適当な露店へ寄って燻製された食材を買うことにした。


 とにかくもう、粘膜へのダメージがすごい。十を超える露店が燻製をして煙を出しているのだから、とても耐えられるどころの煙さではない。


 私は適当に燻製された食材を買った後、一直線に宿へ向かった。荷物を宿に置いて来たので箒を持っていないのが悔やまれる。箒があればひとっ飛びできたのに……。


「おかえりリリア。無事だったようね」


 私が宿に戻ると、悪気が一切ないライラに出迎えられた。


「あんたね……よくあんな見事に私を置いて行けたよね……」

「だってしかたないじゃない。あのままあそこにいたら、きっと私も燻製になってたわ」

「……想像したらかなりえぐいから、発言には気を付けてよね?」


 溜息を一つ、私は食材の入った袋を置いてベッドに座りこんだ。


 宿屋は町の中心部から大分離れたところにあるので、ちょっと煙いだけで空気は大分ましだ。多分外部の人間のためにここに宿屋を設けたのだろう。正しい。


「それで、何を買って来たの?」


 ライラは小さい体で袋を引っ張るが、全く動く気配が無い。


 ライラの代わりに私は袋を持ち上げ、パックに詰められた食材を一つずつ出していった。


「えっと、買って来たのは卵にチーズ、ベーコンだね」


 とにかく煙くて息をしているのも辛かったので、店主におすすめされるままに買ってきてしまった燻製食材たちだ。


 まあ、おすすめってことは普通においしいはずだろう。


「とりあえず分けるか」


 バッグから携帯用の箸を取り出して、ライラの分を取り分けていく。


 一つの食材だけで結構量があるので、三種類だけでもお昼には十分だろう。


 ライラに取り分けた分を渡し、さっそく食べてみることに。


 まずは卵から食べることにした。卵は味付けされたゆで卵を燻製にしたようで、見た目が真っ黒だ。


 正直消し炭かなにか? と思わないでもない。割ってみると中の黄身までもがくすんだ色になっていた。やっぱり消し炭かなにか?


 だが食べてみるとこれが意外にもおいしい。見た目が黒いので苦そうなイメージがあったが、濃い味付け卵といった塩梅の味だ。あと、ちょっと酸味がある。


 燻製されているので、あの広場で嗅いだ煙の何倍も濃い匂いがする。ちょっと煙くも感じるが、煙そのものよりは大分マシだ。


 ほのかに感じる酸味は、燻製されたことによるものだろうか。そこまで酸っぱくないので、割りと悪くない。


 ちなみに食感は結構硬い。きっと温度が入って水分が抜けてしまったからだろう。私的には食感はいまいち。


 次に食べたのはチーズだ。燻製のことは詳しく知らないが、それなりに高い温度の煙を浴びているはずなのにチーズは溶けずに原型を保っていた。不思議だ。


 買って来たときは丸くて大きい一個のチーズの塊だったが、ライラと分けるために八等分にしておいた。


 燻製チーズの表面は茶色がかっていた。元々は黄色味が強いチーズだと思うので、燻製にされた時の違いは見た目ではっきりとわかる。


 見た目で言うならばこの燻製チーズは本当においしそうだ。なんかちょっと、クッキーと見違えてしまいそうなほど香ばしい見た目になっている。


 香ばしそうな見た目からちょっと硬くなってそうなチーズだと思ってたが、一口食べてみると食感はしっとりとしていて、簡単にとろけていく。


 燻製されたことで匂いは香ばしくなっているが、味自体はチーズのクリーミーさが濃くなっていた。


 ちょっと癖になる味だ。ビスケットと一緒に食べてもおいしいかもしれない。


 ベーコンの方はというと、食べて思わずびっくりするくらいにおいしい。


 燻製の香ばしい匂いと油が薄ら浮き出て塩気のある肉の味と非常に合っていて、歯ごたえも悪くない。


 先ほど食べた燻製チーズと合わせて食べてみると、ベーコンの塩気とチーズのまろやかが合わさって更においしくなった。


 煙いのを我慢して買って来ただけあって、燻製食材は満足いくものだった。


 ライラの方はと言うと、黙々と食材を全て平らげていた。


「おいしかったけど、私煙いのは苦手みたい」


 ライラはそう言って、けほけほとせきをした。


 燻製料理は煙でいぶしてあるので、当然煙の匂いがする。


 私はともかく、体が小さいライラには煙の匂いがちょっと強かったのかもしれない。


 そもそもライラは自然と共生する妖精なので、木材を燃やした煙で作った料理というのは、もしかしたら受け入れがたい物だった可能性があった。


 だとすると燻製料理を食べさせたのはちょっと悪かった気がする。ライラは買ってきてくれた私に気を使って文句も言わず食べたのかもしれない。


「ねえライラ……」


 私が神妙に口を開くと、ライラは突然声を弾ませた。


「リリア、その残ったチーズ食べていいかしら?」

「……え?」

「この燻製というのは煙いけど、割とおいしいと思えるわ。特にチーズは絶品ね!」


 ライラは私のチーズをスプーンで器用に掬い取り、ちまちまと食べていく。なんだかすごく嬉しそうにチーズを食べていた。


 ……ちょっと待って。


「あー……ライラさん」

「なに? リリア、チーズを食べないなら全部食べちゃうわよ?」

「いや、あのね……あれ? 燻製料理は結構お気に召した感じ?」

「食材によるわね。卵とベーコンはちょっと煙すぎて私には合わなかったわ、硬かったし。でもチーズの方は文句なくおいしいわよ?」

「……そう。一応聞いておくけどさ、妖精的には木を燃やして作る燻製料理ってのは有りなの?」

「……? 質問の意味が分からないわ」

「いやほら、ちょっと妖精的には自然に反するかなって」


 私がそう言うと、ライラはなにを言ってるの? とばかりに首を傾げた。


「別にいいと思うけど? 必要なら木なんてバンバン燃やせばいいじゃない。おかげでこうしておいしいチーズにありつけているんだし」


 ライラはまたチーズを一口食べた。


「おいしいー!」


 ……ああ、やっぱり妖精って頭の中お花畑なのかもしれない。


 本当にこの子は知的フェアリーなのだろうか……? そもそも知的フェアリーとはいったい何なのだろう。


 私は色々な疑念を飲みこんで燻製されたベーコンの残りを食べた。


 ……まあおいしいから細かいことはいいか。

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