31話、川魚の干物
ヘレンの町を出発して初日の夜。
残念ながら次の町にたどりつくことができなかったので、今日は野宿をしなければいけない。
すでに日は落ちて、辺りはすっかり暗闇に包まれていた。
乾燥地帯に入ったせいもあり、木々はまばらにしか生えていない。だから夜なのになんだか妙な開放感を感じていた。
以前森の中で野宿をしたことがあるが、あの時は木々が密集していたので閉塞感があった。
夜闇の中での閉塞感は意外と落ち着くものがあったが、今回は違う。
今感じている暗闇の中での開放感は、なんだか落ち着かなくて不安な物がある。
それはきっと、誰か、あるいは何かが遠くから私を見ているんじゃないかと思わず想像してしまうからだろう。
この落ち着かない中での野宿は疲れが取れそうにないので辟易とする。私は思わずため息をついた。
「リリアったら、何をそんなに落ち込んでいるの?」
そんな夜闇の中でひときわ明るい声を出したのは、妖精のライラだった。
彼女の体は少しだけ淡い光を放ち、夜を照らしている。
妖精の体は魔力で形成されていて、妖精の意思でその体から淡い光を放つことができるらしい。
「落ち込んでるっていうか、ちょっと気だるいだけよ。今日は野宿をしないといけないから、気分が暗くなっちゃうの」
「人間は野宿が嫌なのね」
「当然でしょ。ベッドで寝ないと疲れが取れないし、体がバキバキになるんだよ」
「バキバキ?」
「バキバキ」
ライラはよく分からないとばかりに小首を傾げた。まあ妖精に体が凝る感覚は分からないだろう。
というか妖精の体って具体的にどうなってるんだろう。筋肉痛とかあったりするのかな。というか筋肉とか存在してるの?
魔女としては魔力で出来ている妖精の肉体にちょっと興味があったけど、今そんなことを気にしても不毛なので止めることにする。
それよりも、さっさと夕ごはんを食べて寝てしまおう。野宿は早寝早起きに限る。
ヘレンの町を出発してまだ初日なので、ストックしてある携帯食はまだまだ豊富にあった。
「ごはんは何にしようかなー」
鞄の中を見て今日の夕食を品定めしていると、ヘレンの町で見かけて思わず買ってしまったある食材を発見した。
よし、今日はこれにしよう。
「なになに? なにを食べるの?」
おいしいものが食べられるかもという理由で私について来ただけあって、ライラは今日の夕ごはんに興味津々のようだ。妖精にしてはちょっとクールな見た目と態度なのに、意外と食い意地がはっている。
「今日はこれを食べようか」
そんなライラへ見せるように鞄から取り出したのは、川魚の干物だった。
ヘレンの町は川魚が良く取れるので川魚は日常的に食べられているし、調理法も豊富だ。だから川魚の保存食も結構作られている。
ライラは川魚の干物を見て、なんだかとっても嫌そうな顔をした。
「……なにそれ、干からびた魚の死骸?」
「最悪の表現はやめてくれない?」
干からびた魚の死骸って……いや確かに、干物というものを知らないとそうとしか見えないかもしれないけどさ。これから食べようとする物に対する表現ではない。
「これは干物と言ってね、あー、詳しい作り方は知らないけど、日持ちするように乾燥させた魚なんだよ」
「へえ、そうなんだ。新鮮なまま食べればいいのに、人間って変な食べ物を作るのね」
妖精は普通ごはんを食べないからか、保存しておける食料の良さが分からないようだ。この辺りの感覚の違いは生物としての違いだろう。
しかし保存食の是非を抜きにしても、干物のような魚の食べ方があるのは良いことのはずだ。
色んな食べ方があり色んな味わいがあるから食事は楽しいし、幸せな気持ちになる。ライラもそのうちそれが分かってくるだろう。
「それで、その干物とやらはそのまま食べたりするの?」
「ううん、そのまま食べられるらしいけど、今日は焼いてみる」
魔術で火を起こし、テレキネシスで火の上に干物を静止させるといういつもの要領で焼き始める。魔女って楽でいい。いや、本当は魔術を使うのは神経を削るので中々疲れるのだけど。
やや火力を弱め、干物をじっくりと焼いていく。そうした方が油が出ておいしくなると、干物を買う時に店員さんが教えてくれた。
干物は見た目乾燥しているが、焼くと油が出てくるらしい。正直半信半疑だったが、確かに火であぶっていくうちに油が染み出てきていた。
油の他に、塩の結晶らしき白いつぶも徐々に浮き上がってくる。保存食だけあって、塩は結構な量が使われているようだ。
魚が焼ける香ばしい匂いと塩が焼けるような匂いがどんどん漂ってくる。乾燥していた干物には艶が出始め、見た目も匂いもかなり食欲をそそってきていた。
「なんだかおいしそうになってきたわね」
乾燥した魚の死骸と称した干物が思いのほかおいしそうになったからか、ライラは声を弾ませた。
「こんな物かな」
十分油の照りが出てきたところで干物を火から遠ざけ、携帯していた箸で身をほぐしていく。
箸の他にスプーンやフォークも携帯しているのだが、今回はあえて箸を選択した。
箸は正直使い慣れていないし、私の住んでいた地域では箸を使う文化はなかった。でも、旅をするなら色々な食器を扱えるようになっていた方が当然いい。
事実これまでに箸で料理を食べる文化の町村に寄ったこともあるし、普段から使う練習はしていた方がいいだろう。
小骨が混じらないように身をほぐし取り、ライラと自分の分を取り分ける。
ライラ用の食器は無いが、素手で触るとヤケドをする可能性もあるので、できるだけ小さいスプーンを渡すことにした。
「よし、食べよっか。熱いから気を付けてね、ライラ」
箸でほぐした身をひとつまみして、口に運ぶ。
焼いたことで油がしっかりと浮きだしたおかげか、想像していたよりも干物の身は硬くなかった。しかし新鮮な魚を焼いた時よりも明らかに歯ごたえがある。
噛むたびに身の中から油が染みだしてくるのがはっきりとわかり、塩気が強く味が濃い。
ヘレンの町では川魚のアクアパッツァなどを食べたが、その時の川魚と干物の川魚では旨みが明らかに違かった。
新鮮な川魚を使った料理からは、口の中を柔らかく包み込むような旨みが感じられた。
それに対して川魚の干物は旨みが凝縮されていて、よりダイレクトに魚の味と風味を味わえる。
不思議なことに、干物の方がより魚を食べているという感覚に浸れてしまう。なぜだろう、魚の味が濃くなっているからかな。
ライラの方を伺ってみると、彼女は熱そうにしながらもゆっくり干物の身を口に運んでいた。
「ちょっと味が濃いけれど、思っていたよりもおいしいわね、これ」
どうやら川魚の干物はライラの口にも合ったらしく、彼女は上機嫌で取り分けられた干物を食べきった。
「ちょっとしょっぱかったかな」
私も全部食べ切ったが、思っていたよりも川魚の干物は塩気が濃かった。
干物自体の味も濃かったので、口の中に強く味が残っている。水を軽く飲んで口をゆすぎ、一息ついた。
ごはんを食べ終えたし、もう寝ちゃおうかな。そう思った私は、ふと疑問に思ってライラに尋ねた。
「そういえばさ、妖精って寝るの?」
「なに言ってるの? 妖精だって寝るに決まってるじゃない」
「そうなんだ。妖精って四六時中空をふわふわ漂っているのかと思ってた」
「なにそれ……リリアの中の妖精のイメージってどうなってるのかしら」
「妖精に対するイメージねぇ……」
しばし沈黙して、これまで妖精に対して抱いていた漠然とした印象をまとめてみる。
総評すると……。
「なんか妖精は皆、頭の中がお花畑ってイメージがある」
妖精ってあまり深いこと考えて無さそうだし。はっきり言うと何かアホっぽいかも。
素直にそう伝えると、ライラは頷いた。
「リリアのイメージはそう外れてないわ。大抵の妖精は確かにどこか抜けているもの。実際、私が出会ったことのある妖精の中には完全にアホの子とかいたわ」
ライラは得意気に胸を張って続ける。
「でもね、妖精には私のようなレディーも存在するのよ。妖精のほとんどはアホかもしれないけど、私のような知的フェアリーが確かに存在しているということを覚えておいてね」
……なんだろう。なんかドヤ顔で胸を張る今のライラはとてつもなくアホっぽい。知的フェアリーってなんだよ。
もしかしてライラもこう見えてアホなのでは……? というか妖精ってやっぱり皆アホなのでは?
そう思ってしまう私だが、ライラにそう言うのは止めておいた。角が立ちそうだし。
おそらくこれから先、ライラのことをもっとよく知ることになるのだろうが……知的フェアリーの側面とやらをいつか見せてくれるのだろうか。
……多分ないだろうな。知的フェアリーという謎の語感に私はそう思うのだった。
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