33話、オアシスのやばそうな水
「暑いし歩きづらい……何なのよここ……」
一歩踏み出すたびに足が砂の中へわずかに沈み、次の一歩を重くさせる。
今、乾燥地帯を超えて砂漠地帯へと差しかかってきたところだが、私は少々砂漠を舐めていたようだ。
砂漠には木々が一切無く、空から差し込む光を遮るものがない。更に太陽熱を吸収した砂は熱波を放ち、上下から蒸し焼きにされている気分だった。
しかも砂漠を構成する砂は柔らかく、歩くたびに足が沈み込んだ。その軽さと柔らかさのせいで、時折吹き抜ける風に砂が巻き上げられ、私の体に容赦なく叩きつけられる。
たまらず魔術で私の周囲の気温を下げた上、叩きつける砂風から身を守るため周囲の気流をできるだけ操作し砂を弾いている。
……のだが、これがまたかなり疲れる。同時に二つの魔術を使うだけでも疲れるのに、昼時の強い直射日光は更に体力を奪っていくのだ。
魔術で周囲の気温を下げられるとはいえ、常に安定させておくのはさすがに無理だ。なので結果的に高温になったり下がったりを繰り返している。これ絶対体に悪いと思う。
妖精のライラの方はというと、砂漠に足を踏み入れた辺りから暑さのあまり私の鞄に逃げ込んでいた。
正直鞄の中にいたらむしろ蒸されて辛そうだと思うのだが、実際どうなのだろう。
「ライラ、大丈夫? ……ちょっと、ライラ」
鞄の横を叩きながらライラに呼びかけてみるが、返答はない。
まさか本当に蒸し妖精になってしまったのでは……と思った私は、慌てて鞄を開けてみた。
するとライラがひょっこりと顔を出してくる。
「ちょっとリリア、鞄を開けないでちょうだい。中が暑くなっちゃうわ」
「……なんか元気そうね。鞄の中は暑くないの?」
「外よりは大分マシよ。気持ちよくお昼寝できていたわ」
「……あっそ」」
返答が無かったのは寝ていたからなのか。……心配して損したかも。
しかしライラが鞄に逃げ込む気持ちは分かる。
ここは暑すぎる。風は結構吹くのだが、気温が高いせいで熱風となっているのだ。
こんな砂漠地帯に住んでる人たちはいったいどんな暮らしをしているのだろう……なにを食べれば暑さに耐性ができるのかな。
砂漠は風に吹かれてできた波状の起伏がたくさんあり、歩く者を苦しめてくる。
一面砂だらけの砂漠を上っては下り、上っては下り……ずっと同じ景色を見ているせいか、なんだか頭がぼーっとしてくる。
こういった砂漠には蜃気楼という現象が発生するらしい。有名なものでそこにありもしないオアシス、つまり水辺が見えたりするらしく、砂漠を歩く者に儚い幻を見せる性質の悪い現象だ。
蜃気楼という現象は環境により発生する幻影なのだろうが、そんなものを見てしまうのは心理的な要因も含まれているのかもしれない。
誰だってこんな暑くて辛い砂漠を歩いていたら、思わず逃げ込みたい理想の地を思い描いてしまうだろう。自然の現象と心理的な願いが噛みあって、有りもしないオアシスが見えてしまうのだ。
だいたい、この砂漠に足を踏み入れてからずっと砂しか見えていない。なのに突然視界に水辺や樹木があらわれるはずがないのだ。
もしそんな物を見てしまうというのなら、それは大分参っているという証明に他ならない。
「……やばい、オアシスめっちゃ見える」
水辺がきらきらと輝くオアシスが、今私の視界にはっきりと写っていた。
私かなり参ってる。砂漠に敗北寸前らしい。
疲れと暑さで頭も朦朧としているし、これは大分まずい状態なのではないか? そろそろ箒に乗った方がいいかもしれない。
そう思いながら歩いていると、視界にうつるオアシスが段々と近づいて来た。
いや、蜃気楼のはずのオアシスが私に近づいてくるはずがない。そう思っているのだが、オアシスは私に近づいてくる。
というかオアシスが近づいているのではなく、私がオアシスに近づいているのだ。
「あれ……これ本物? ちょっとライラ! オアシス! オアシス見つけた!」
鞄を叩いて中に引っ込んでるライラを呼んでみると、彼女はまたひょっこりと頭を出した。
「リリア、正気を失ってしまったの? こんな砂漠にオアシスなんてあるはずが……」
ライラは私が指さす方向を見て、一瞬黙った。
「あるわね、オアシス」
「でしょっ!? あれオアシスでしょ!?」
オアシスはすぐそこにある。美しい水辺がきらきらと輝き、背が高いヤシの木が生え、地面に草花が広がり緑色が鮮やかだった。
まるで砂漠に出来た楽園だ。
「うわーオアシスー!」
私は歓喜のあまりオアシス目がけて駆け出していた。
「ちょ、ちょっとリリア、落ち着きなさいよっ」
揺れる鞄の中からライラが抗議する。でも私の体は止まらない。だってオアシスすごく涼しそうなんだもん!
「……っ!?」
草花が生えたオアシスの地面を踏んだ瞬間、不思議な気配を感じて私は足を止めた。
「わわっ! ちょっと、走り出したと思ったら今度はいきなり止まるってどういうことなの?」
急に止まったことで手揚げ鞄が大きく揺れて止まり、中にいたライラが口を尖らせた。
「ああ、うん……ごめん」
「……? リリア、どうかしたの?」
ライラは鞄から出てきて私の顔を不思議そうに眺め出した。
「うーん、何かこのオアシスがちょっと妙でさ」
「妙? 確かに砂漠の真ん中にこんな水辺があるのは妙だけど……」
「それもそうだけど、ここに入った瞬間魔力の流れを感じたんだよね。オアシスに入ったとたんなぜか涼しくなったし……」
「……確かに涼しいわね、ここ」
ライラもオアシスの妙な魔力の気配に気づいたようだ。
もしかしたら、このオアシスは魔力によって生まれたものかもしれない。
誰かが意図的に作ったのか、それとも自然にできたのか……それは分からないけど、別に嫌な気配はしない。
しないのだが……。
私の目がちらりとオアシスの水辺をとらえた。
きらきらと輝く澄んだ水を見ていると、自然と喉が鳴る。
嫌な気配はしないけど、このオアシスはちょっと普通ではない。
そう思っていた時、オアシスに近づく人影が見えた。
オアシスの中に入ってきたのは、初老の男性だった。彼は私に気づくと会釈をした。どうやらライラの姿は見えてないようだ。
「やあこんにちは。あなたもオアシスの水を飲みに?」
「え? いや、私は偶然ここに来たんです」
「そうでしたか、ここの水はおいしいですよ。ぜひ飲んでみてください」
「……飲めるんですか? ここの水」
「もちろんですとも」
初老の男性は物腰が柔らかく、とても嘘をついているようには見えない。
彼は懐から水筒を出し、水辺に沈めて水を汲んだ。
そして水筒を口にし、ごくごくと飲んでいく。
その姿を見て、私は思わず唾を飲みこんだ。
彼が水を飲み終わるのを待って、今度は私から話しかけてみる。
「あの、このオアシスはこの近辺の人たちに結構知られているんですか?」
「ええ、そうですよ。かなり有名なオアシスでしてね、ここの湧き水は絶品だと誰もが口にします。不思議なことに、ここの水はどれだけ飲んでも無くならないんですよ」
「……水が無くならない?」
「不思議でしょう? ただその代わり、水を汲んで帰ろうとすると途中で蒸発してしまうんですよ。だから、ここの水が飲みたくなったらここまでやってくるしかないんです。私なんて二日かけてやってきましたよ。はははは」
なんだか楽しそうに笑う初老の男性だったが、私は乾いた笑いしか返せなかった。
……やっぱりこのオアシス普通じゃないじゃん。
さっさとここから離れた方が良いような気がするのだが、何分ここは涼しくて離れるのが惜しいという気持ちになってくる。
そんな風に迷ってる私の肩にライラが座って、小声でささやいてくる。
「ねえリリア、ここのお水飲んでみない?」
「……本気? 絶対まともな水じゃないって」
妖精が見えないはずの初老の男性に怪しまれないよう、私も小声で返した。
「でもほら……おいしそうよ」
ライラが初老の男性を指さす。彼はまた水筒に水を汲んで、ぐびぐびと飲んだ。
あまりにもおいしそうに飲むものだから、自然と私の喉も鳴ってしまう。
「……飲んだ人に害もなさそうだし、ちょっとだけ飲んでみようか」
欲望と好奇心に負け、少しだけ水を飲むことにした。
鞄から空になった水筒を出す。旅の中で水分は貴重なので、水筒はいくつかストックを持っている。
今回は道中で水筒を一つ空にしたので、それを使って水を汲むことにした。
オアシスの水辺に水筒を浸し、水でいっぱいにする。
私は思い切って、水筒に入ったオアシスの水を飲んでみた。
……今までに飲んだことが無いほどクリアな水だ。まるで透き通るように喉奥を通り抜け、胃の中に到達したことが分かる。
おいしい。あまりにもおいしすぎる。
水に味なんて全くない。そのはずなのに、今まで飲んできた中で圧倒的においしいと感じてしまうほどに透明感のある水だ。
え、何これ……。今本当に水を飲んだのか信じられなかった私は、もう一度口をつけた。
喉奥を通り抜けるクリアな水。砂漠を歩いて水分を失っていた体に浸透していくようだ。
なんだこれ、おいしい。
ライラの方を伺ってみると、彼女は水辺から直接手で水をすくい上げ、ごくごくと飲んでいた。それを見て私の喉が鳴り、思わず水筒から一口水を飲んだ。
そういえば先ほど初老の男性は、汲んだ水を持って帰ろうとすると蒸発すると言っていた。……本当だろうか?
私は水筒に水がまだ入っていることを確認して、オアシスから離れてみることにした。
オアシスの草花が生える地面から砂漠に足を踏み入れると、先ほどまで感じていた魔力の気配が突然消失する。
それと同時に私の体を熱波が襲った。太陽から降り注ぐ熱と光を感じる。
もしやと思って水筒の中を覗いてみると、水は影も形も無くなっていた。
やっぱりこのオアシスは魔力で形作られている物のようだ。
私がそんな確認をやっている間に、オアシスには新たに尋ね人がやってきていた。
やってきたのは団体さんのようで、四人もの男性が一斉にオアシスの水を汲み始めている。
そして彼らは地面に座り込み、まるでお酒を飲むように楽しそうに水を飲み始めた。
……酒盛りならぬ、水盛り、だろうか。
さすがに異様な光景と言うしかない。しかし水を飲む彼らの姿を見て、私の喉がごくりと鳴った。
頭をふって、小声でライラに呼びかける。
「ライラ、もう行くよ」
「え? もうちょっと飲みたいわ。リリアは飲みたくないの?」
「いいから、早く」
ライラを強引に呼び寄せて、私は箒に跨り空を飛んだ。
「あーあ、あそこのお水、おいしかったのに」
オアシスから大分遠ざかった頃、私の肩に座るライラが残念そうに呟いた。
そんなライラに、私はあのオアシスについての仮説を聞かせることにした。
「あのオアシス、魔力で自然にできたやつだよ。多分この砂漠を歩く人たちの気持ちが形を持ったんだと思う」
「人間の気持ち?」
「この砂漠を歩いていたら、自然と水が飲みたい、オアシスで休みたいって思うでしょ? そういう人たちの多くの想いがあの地に滞留していた魔力に宿って、幻想の蜃気楼が具現化したんだろうね」
人の願望が偶然魔力に反応してあのような不思議な土地や遺跡ができることは、時折あったりする。
魔女の間ではそういう物を魔術遺産と呼んでいた。魔術遺産のほとんどはその地に宿る呪いに近い物で、その存在を脅かすような魔力の運用をすると痛い目に合うことがあるらしい。
ようするに、魔術遺産に立ち寄ったらそこのルールに逆らわずに従ったほうが安全ということだ。
あのオアシスの水があまりにもおいしいのは、それこそ呪いと言えるだろう。
砂漠を歩き、限界まで喉が渇いた人間の願望、すなわち水を飲みたいという想いが生み出したオアシスだ。
喉が渇いて乾いて死ぬ寸前にようやく口にした一滴の水。それと同等のおいしさをあのオアシスの水は持っているに違いない。
単純な味ではなく、心に響く呪いの水。それがあのオアシスの水の正体と言ったところか。
……呪いの水といっても、飲んだところで別に悪影響はないだろうけど。単純に死ぬほどおいしい水で、それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、あのオアシスの水を飲んでしまったら、人によっては時折あのオアシスの水を思い出してまた飲みたくなってしまうのだろう。それこそ呪いのように。
水を飲めるだけでよかったはずの人間が生み出したオアシスなのに、あまりにもおいしすぎてあのオアシスの水が飲みたくなってしまうなんて……なんだかちょっと皮肉なものだ。
そう思いながら、私は一度オアシスに振り返った。
薄ぼんやりとオアシスの陽炎が揺れている。それを見て、私の喉がごくりと鳴った。
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