第9話 遠吠え

真冬視点。


 じっと蹲ったままだった真冬がゆっくりと息を繰り返していた。滴り落ちていた汗がやっと引き始めた。軽く「ふっ」と息を吐き出して、うす暗くなった小屋の中でそっと立ち上がる。そして、扉を開けると一歩を踏み出した。


「小雪」


 具合は良くなったとは言えない。しかし、小雪を一人にしておく訳にはいかない。


 薄明りだけが大地を照らす。夜の中の雪景色。


 薄い雲から射す僅かな星明かりは、夜が闇だけではないと、自身の光でその存在を主張している。


 あてなどある訳もなく、真冬が途方に暮れる。だが、一人きりの小雪を思うとゆっくりなどしている余裕はない。


「こ~ゆきぃ!」


 真冬の大きな声に木霊が遠く響き渡る。――せめて大人になる前兆でも起こってくれれば、と言う思いが頭の中によぎってはっとなった。


 大人になり始めた小雪から、人間界にはない力の放射が起こるさまを想像して。


「その前に探し出さないと」


 ぽつりと呟いて、雪山の下方と頂を交互に見つめ、

「向かうならきつい登りより、下。たぶん、ううん、下よ」

 少しの間だけ迷ってから、空からの明かりだけをたよりに、麓へ続く道なき道を真冬は歩きだしていた。




 真冬の足が雪に足跡すら残す事なく上下する。静かな、とても静かな夜。


 そんな静けさを遠くの方から聞こえてきた、低く悲しそうな音が唐突にかき乱した。


 狼の遠吠だった。


 真冬が辺りを見廻す。目に入るのは薄闇に染まった雪景色だけ。地上の生物との初めての邂逅だ。しかし恐れなどない、その代わりに気の緩みもなかった。


 真冬と小雪がいる事でいつまでも雪が止まない。それが狼達の食料をも奪っていた。普段いるべき場所でない場所へまで来ているのは、獲物となる小動物の減少を暗示させる。


 目を細めて、真冬が早足で駆ける。その真冬と四足獣の足音との距離は縮まっていた。


 近づいて来る。


 やって来る何かと相対する為に、ゆっくりと真冬は足を止めた。


 やがて現れたのは闇夜でなお光る瞳。そして、くぐもった唸り声。七、いや八対も。真冬を完全に包囲していた。だが真冬の口はただ少しの言葉を紡いだだけだった。


「おいで」


 声と共に真冬を円形に覆うように薄い氷の膜が広がった。


 狼が襲い掛かる。一頭を先頭に真横から二体ずつ。後方からの一頭は頭上へと跳躍していた。


 次の瞬間狼の悲鳴が辺りに響き渡った。


 薄い膜に触れるや否や、狼の足、口先が瞬時に凍り、凍傷を引き起こす。泣き声を上げながら転げまわり、逃げ出す狼達。残りの狼も一目散に離れていった。そして、直に足音は聞こえなくなっていった。


 真冬のふうっと吐いたため息の後、再び静寂が辺りを支配していたのだった。


「小雪」


 呟き、歩き出した真冬の肩が震えていた。小雪の身を案じて。





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