第178話 理想的な創作論とは?

 あくまでも個人の求めるものなんだけれどね。

「お前は創作論否定派だけど、むしろどんなのなら許せるんだ?」

 と思う人もいると思うの。

 別に創作論自体に何か思っているわけじゃない。

 要は言い方に「うーん」となるんだよ。


 創作論っていうのは、創作に対する論文なわけでしょ?

 それってあくまでも個人研究であって、統計を出したり研究の成果と言い難い部分もある。特にこの創作界の創作論というのは「体験、知識、思想」でできている。

 それは個人の思想と体験から成り立つ。

 その上、創作っていうのは自由なんだよね。


 こういう傾向があるよという言い方は良いと思う。

 俺が思うのは、断定的な言い方は他者への否定なのではないかということ。

 仮にその人が国文科の教授だったとしても……いやむしろ教授ならそんなことは言わないと思う。文学で教わるのは基本的に「読み方」なんだよね。


【この文面から作者が何を伝えたいと思っているのか、書き出しなさい】

 こういう問題があった場合、つまり要点はどこだ? ということ。

 エッセイというのは書き手にもよるけれど、要点を述べるために理由の説明などをして説得力というものをあげているわけだ。

 だから要点は非常に短い。


 YouTubeなんかは主題の前が長すぎて、飛ばして要点だけ見て帰るということはよくする。それは書き出し(文字)ならいいんだけれど動画にして余計な部分を加えるとその人のファンは見るかもしれないが、要点だけを知りたい人からすると「無駄に長い」なんだよね。


 大抵の人のエッセイというのは、俺のような書き方はしない。個人的にはそれは物足りなさを感じるのだが。

 動画にした時は、俺はそのような「無駄に長い」に属するわけだw

 だから俺は文字向きなんだ。


 閑話休題


 つまり、読み方は教わるものの書き方については教わらない。それはどういうことなのかというと、自己表現は自由だから。型に嵌めてしまうと日本語特有の「自由選択」ができなくなってしまう。

 日本語と英語の違いはその単語の多さもあるが、配列に自由度があるということ。


 だれがいつどこでなにをどのようにした。

 この基本文法は主に説明文に活用される。しかし日本語は芸術に高めることが可能な言語でもある。そしてより正確に伝えることができるテキスト向きの言語でもある。

 だから基本文法や倒置法、体言止めなどのやり方しか教わらない。

 もちろん謙譲語や尊敬語、丁寧語なども教わりはする。


 つまり無限の可能性はその人の中に存在している。

 これを個人の断定的な創作論で破壊しないで欲しいの。それは個性という大切なモノを奪うし、つまらないものを量産する結果に繋がる。

 似たようなものばかりコレクションする人もいるかもしれないけれど、創作に欠かせないのはその人らしさだと思うんだよね。

 

 例えばSNSで。

 名前やアイコンを変えても「あ、○○さんだ」とわかる相手いるでしょう?

「こんなことを言うのは○○さんしかいない」

「この文書の書き方は○○さんだ」と直感で思うこともある。そういう人たちというのは、絶対的な個性を持つ人たちなんだよ。

 獲得しようとして獲得できるものではなく、それは才能でもある。


 創作論は確かに役立つ側面はある。でもそれを手に取って良いのは、感化され過ぎない個性をちゃんと維持できる人たちだと思う。

 あなたがもし他人の言いなりになってしまうような人だったら、それは開くべきではない。俺はそう思う。


 なので理想的な創作論とはあくまでも個人の見解というのが明確であったり、断定的な表現をしていないものである。洗脳装置であってはならないし、そういう書き方は他者への否定になるので反感を買いやすい。

 俺はそう思っているの。他の人は知らないけれどね。

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