第108話 頭が半分寝てる朝

 最近、結構ドラマチックな夢を見る。

 先日は街角でロマンチックな出会いをし、ハグをするという変な夢。

 Good morning everyone.


 結局、自分は何を言おうとしたのか……と言う話だけど。

 作品またはものを見ている角度が人とちょっと違うので、好きになる部分は違うということと。

 別に有名作品は、好きだから面白いと思っているとは限らないと言う話。

 それに対して本音を言えば、俺が読んでいるみんなの作品の方がずっと面白いよと言いたかったのね。


 モノに対しての『好き』は自分に考えるきっかけをくれるもの。

 確かに興味深いし、自分に成長を促す。

 でも共感とは違うんだよね。

 物語で言うと、その物語自体の何かに共感を抱いているわけじゃない。

 もう何段階か後ろに下がってみているものだと思うのよ。


 それは……そうだねえ。

 レーズンパンがあるとする。人はそのレーズンについて語る。

 つまり中身について語るわけだ。

 でも自分はもっとざっくりとパンという分類を見ているので、みんなが目の前にあるレーズンパンや作り手について熱く語り、議論しているのにまったく別方向をみているという感じかな。


 つまり、物語そのものについて語れるのはその物語が面白いからだと思うのね。

 そうではなく、そこから別の何かに変換して語れるものは学びを与えてくれるものだと思うの。

 自分には二つの道が常に目の前にある。

 けれども一般的にはどんな作品も人はその作品自体について語るものという認識をしている。俺がね。

 なので自分はちょっと変わっているのかなと思うわけだ。


 それは別に何かをみてそれを語ろうとか思っているわけではなく、何かを見た時にそんな風に見えるだけ。

 

 なのでみんなが進撃の巨人を観て、兵長の戦い方、移動する時回転するのがカッコイイ(ある動画で言っていた)とか作品自体について感想を漏らすけど。

 俺には【戦争と平和とは何か? 世界平和は可能か】に見えるという話。


 自分がファンタジーに惹かれないのは恐らく、ファンタジーは他人の思想の産物そのものであり、そこから何かを学ぶことはできないからだと思う。

 学びとは自分の体験と深く関わっている。

 他人の思想は他人のモノ。それを体験することは不可能。

 総合的にいろんな人の頭の中を見ることができるに繋がっても、他人の思想は比べるものとは違うと思うので。


 さて時間だ。

 今日も一に頑張ろう。

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