第96話 一行目から面白いものを書くことは可能か?

 俺は不可能だと思う。

 金の卵に付随している担当のエッセイを読んだ。記事か?


 小タイトルが仮にプロローグだったとしても、面白い場面を書くのは可能。

 なので、プロローグとしようが1としようが小タイトルなんてもの自体には何ら意味はない。

 意味は持たせて初めて意味を成す。


 プロローグの概念とは何か?

 それは物語の分岐点だと思うのよ。

 分岐点ないし、経緯。

 はじまりをスタートと考えているから、面白くはないと思うわけだ。


 だからプロローグに描かれるのはラスト前の場面でも良いし、ラストまで考えた時に『思えばこれが分岐点だったのではないか?』という場面でもいい。

 サスペンスは大抵プロローグから始まっている。人が殺される場面ね。

 それをつまらないと感じるか?

 むしろ、面白いよね。


 そもそも、異世界転生のテンプレ場面はプロローグと書かれていないだけであって、プロローグ部分と同等の意味を成す。

 異世界転生のきっかけ、その後をつなぐのは分岐点だから。


 確かに転移ものはプロローグにあたる部分は省かれることが多い。

 気づいたらこの世界にいた。

 けれども人気があるのは転生のほうなのよ。わかりやすいから。

 つまり、結果的に人はプロローグを好んでいる。ただそれをプロローグと表示しないだけ。


 そのことについて深く考えたことはあるだろうか?


 だから他人の書く創作論は内容が浅いし好きではないのよね。

 創作論は自分の思想を他人に押しつけるものでもなければ、傷つけるために存在するわけでもない。

 それ以前に、創作は自由であり思想も発想も自由ということを忘れてるよね。


 登場人物紹介を入れないほうがいい?

 どうだろう。

 たくさん登場人物が出てくるミステリーには関係図があったほうがわかりやすいし、恋愛ものやヒューマンドラマもあったほうがいいなと思う。

 ただし、登場人物紹介に性格とか書かれてもどうでもいいとは思うかもしれないよね。

 それよりも、関係性のほうが重要。


 横文字の凝った名前とか出されても正直覚えてない。覚えやすいのは3文字から4文字。

 やたら登場人物が多いのも誰が誰だかわからない。

 むしろ、創作においての指摘点はそっちなのでは?


 さて、主題に戻る。

 印象的な一文や興味深い一文からスタートするのは、可能。

 ただし、イコールそれが面白いとは限らない。


 『雪国』

 トンネルを抜ければそこは雪国だった。


 確かに印象には残る。これがミステリーだったら面白そうだなとは思うが、残念ながら読んだことはない。

 前にも書いたけど、人が惹かれるのはまずジャンルなんだよね。

 タイトルに必要なのは、らしさ。

 これで面白そうなのかどうか、興味の度合いが変わる。

 それはもちろん、個人の好みに左右されるので、自分の作品を好みそうな人を探して繋がっていくのが読者を増やす近道である。


 そういう人が読んでいる作品は自分の好みの場合もあるからね。


 ちなみにプロローグと記載するかしないかの問題であって、大抵の作品はプロローグから始まっている。

 それは意識しなくとも。

 プロローグは経緯であり、分岐点だから。この事実は変わらない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る