第86話 他人のエッセイを見て、自分のエッセイの構成について考えてみた。

 まず自分がエッセイを書く時も、もちろん主題を考える。

 特に文字数について考えたことはないが、書いているうちに2000を超えたら分けようかなとは思う。

 主題に関してはその時考えていること。


 ちなみに俺の書くものにはあまり変化はない。

 小説もエッセイも対して変わらないと思う。『余談が入る、関連の話が入る』のは小説も同じ。ただ、小説は1視点で書くのがあまり得意ではない。

 そうなると読み辛いので、小説としての正しさよりも『わかり易さと読みやすさ』を優先する。

 結果、賞向けにはならないので根本的にプロは諦めたという経緯がある。

 郷に入れば郷に従え。だっけ?

 ルールに従えない事情があるとき、選択できる道は二つ。

 自分を諦めるか、目標を諦めるか。


 ここまで書いても分かる通り俺の書くエッセイには余談、関連の話、それについての理由、結論というスタイルで書かれていく。

 そして言いたいことを分かりやすくしようとし、例を述べる。

 この例に関しては基本手短に。

 説明が必要と思えば説明も加える。

 そして思想に加え、あくまでも自分の思想は自分のものであり、他の人がどう考えようが自由であると加える。配慮は大切です。


 こんな感じで進んでいくので、主題にふれる前に1000文字いくこともザラ。

 タイプで行くと、余談の多い現国教師のようなものだろうと思う。

 教科は何でも良いけど。

 

 コンテストがあるからか最近よくトップにエッセイカテゴリの作品が表示される。それなのでちょっと読んでみたりもするのだが。

 正直、他人の書くエッセイには興味が惹かれない。

 理由は一つ。消化不良に感じるから。

 文字数制限があるのかもしれないが、まずエッセイの面白さは『思想』にある。

 納得させるためには理由を説明する必要があり、話を理解してもらうためには経緯が必要となる。


 なのでこの話をしようとした経緯と理由があって、思想が来て結論を述べ、オチがつく。その中で自分が言いたいことを述べるにあたり、読んでいる人が理解し辛いなと感じたら例えに変換するわけだよね。それはなるべく手短な例えでないとならない。


 それを例えると。

 ファンタジーでオリジナルの箒を説明しようとした。

 どんなものかを一から説明すると非常に分かり辛い。

 なので『ほうきにエンジンがついたようなもの』と一言の説明に変える。

 こういうこと。


 話には何が大切なのか?

 わかりやすさと共感性。

 『どれだけ詳細に説明できるか』ではないのよ。

 理解していても怪文書を送り付ける、俺ですけどねw


 説明も例もシンプルイズベスト。

 思想を長く書く、でも説明は分かりやすく簡単に。

 そうしていくうちにメリハリも生まれる。なのでいつの間にか長い文が読めてしまうわけだよ。

 あれ? もう終わり?

 こうなる。

 

 他人の書くものは必ず勉強になるんですよ。だから読む。

 そして自分が何に物足りなさを感じているのか考える。そうするとエッセイが一本書けて、その上自分が何を求めているのか理解することもできる。

 つまらないから読まない?

 それは大間違い。学ぶ機会を失っているし、成長の機会を逃している。


 いつだって人は成長できる。

 それはどのように世界と向き合っているのかで決まる。

 昨日の自分を超えていけ。敵は己自身であり、壁も己自身。。

 自分の中に眠る能力を開花させるかは、自分次第。


 そんなことを思う朝。

 やべえ、仕事行かないと。

 はぶあないすでい。


 今日もあなたにとって成長の一日でありますように。

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