第5話 思想とエゴの話

 またまた期間があいてしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 今日は相棒を見ていて思ったことがあったので。

 今回の話はコレクターが芸術家に犯罪を犯させるという物語。このコレクターは要約すると『孤独こそが芸術を生み出す』と考えていて、余命三ヶ月となった時、ある計画を実行した。

 こんな感じです。


 どんな思想を持って生きていようとも自由だと思うんだよね。このコレクターはある芸術家に人気がでて、作風が変わってしまいそれを良く思ってなかった。

 人気が出れば人は奢ることもある。それは仕方がないことだし、それで駄目になったならそれがその人の運命であり上限だと思うわけよ。

 成長し続ける人は、何にも左右されることなく『自分自身と向き合い続ける』ものだと思うのね。


 例えばこういうところで、承認欲求を満たすために書いている人は読まれなければ挫折するかもしれない。

 でも、完成させることを目標としている人は読まれるかどうかには左右されない。時間はかかっても完成させると思う。


 とはいえ、他人に対して自分自身と向き合い闘うべきとは思わないのよ。それは自分で決めることだから。


 思想はあくまでも個人のものなの。どんな崇高な思想だろうと、他人に押し付けた瞬間にエゴになる。

 その崇高な思想は自分が守っていけばいいのであって、どんなに正しくても他人にこうするべきと押し付ける権利はない。誰にもね。


 まあ、発信していればその思想に感化される人もいるかもしれない。でもそれは結果でしかないでしょ。


 じゃあ、感化される人はどうなのかと言えば、大した意味はないと思うんだよね。

 何かを見て、こんな風になりたいなと思ったとする。それは、なれないからそう思うわけでしょ?

 誰も他人にはなれない。なぜならその人と自分は違う道を辿ってきたから。

 いいなと思って真似したところで、相手が何を思ってそうしているのかわからない限り、同じにはならない。

 相手からしたら『そんな意味でやっているわけではない』と思うかもしれない。


 他人に憧れを抱くことは悪いことではないが、目標にすべきではない。

 政治家に憧れて政治家になることはできても、誰かに憧れてその人になることはできないのだから。


 人にとって大切なのは『自分らしさ』であり、『オリジナリティ』だと思うんだよね。自分にしかできないことを誇りに感じ、どんな思想も他人に押し付けるべきではない。

 他人の人生は他人のものだから。

 

 相棒をみて、改めてそんなことを思ったのでした。

 俺は自分が視たいものしか視ないんだけどさ。やはり色々と考えさせられる物が好きだなと思う。

 時間は有限なので、自分を成長させるものを選ぶのが有意義かなとか思ったりもするし。

 自分はあまりそれ自体には夢中にはならないんだよね。何を言わんとしてるのかが重要だと思っているので。

 娯楽を娯楽としないからあまり価値観の合う人がいないんだけどね。


 さて、皆さんは日々どんなことを考えておられるのでしょうか。

 今回も超個人的な話でした。


 人が何を思うのも自由。

 自分の人生には関係ないので。

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