第17話 彼女は食いしん坊

 足の生えた魚と言われて、どんな姿を想像するだろう。

 泳いでいるままの格好のところに、足をくっつけたものか。

 それとも、垂直に体を立てて2本足で立った状態のものか。

 ルカが見たのは、その2つとは似ても似つかないものだった。


「足じゃなくて胸びれかよ……」


 列をなして歩いて行った魚たちを追いかけたルカが見たのは、ひらひらと揺れる胸びれをまるで足のように垂らして進む魚だった。

 肉体的な足ではなく、胸びれをそう見えるようにしていただけ。

 種明かしがされてしまえば、それまでの好奇心は空気を抜かれた風船のようにしぼんでいった。


「なんだ……幻でも面白いものが見られるかもしれないと思ったのに」


 路地と路地が交わる交差路で魚たちは集まっていた。

 2匹1組になると、音楽に合わせるかのように揺れ動きながら輪になって踊っている。

 いきなり踊り始めた魚たちを見て、ルカの目は点になった。


(なんで踊ってる?というか、魚にリズム感覚があるのか?)


 幻惑魔法が作り出した幻であることを忘れて、頭を抱えた。

 好奇心に負けて後をつけたが、これは別に知らなくてもいいことだった。


「よしっ!忘れるか!」


 意識を切り替えるように手を叩いて、ルカはくるっと振り返り、魚たちに背を向けて歩き出した。

 寄り道としては悪くなかったが、記憶に留めておくほどのことでもない。


「せめてこれが本物だったらな……」


 それでも残念に思う気持ちはあった。


「誰がすべて偽物だと言った?」


「偽物ですよ。幻惑魔法に本物なんているわけ……」


 あまりにも普通に話しかけられて、そのまま会話を続けてしまった。


(今、喋っていたのは誰だ?)


 気付いた瞬間、雷に打たれたように体が硬直した。

 ロザリアとは違う種類の強い人がすぐ近くにいる感覚。

 『強さ』の分類まではできないけど、下手に動くとまずいと本能が叫んでいる。


「あの〜僕なんかに何のご用でしょうか」


「アタシの話を聞く気があるの?」


「聞く気があるというか……拒否権ないですよね?」


「よくわかっているじゃない。ロザリアのお気に入りと聞いたから、様子を見に来たけど……興味が出てきた。ちょっとお話しましょ」


 ふわりと風が吹いて、瑞々しい花の香りが漂ってきた。

 花畑の真ん中にいるような心地がして、知らないうちに力んでいた体がほぐれている。

 無意識に息を吐いていて、それまでの緊張が嘘のようだ。


(って!なんで安心してる!?誰と喋っているかもわからないのに!)


 緩んでしまえと囁く心とは反対に、意識は警戒しろと叫ぶ。

 矛盾した思考では、とっさの判断なんてできない。

 残っていたのは体に染み付いた、本能に似た感覚だけ。


 あれだけ強ばっていたはずなのに緩みきった体では、普段通りの動きはできそうもない。

 だけど、生き残るためにこれまでずっと修行を続けてきた。

 逃げ出そうと踏み出した足は勝手に動いていて、ふわふわする頭の中とは真逆でその足取りは必死だ。


(とにかく逃げないと……)


 それだけははっきりと記憶に残っていた。


■■■■■


 逃げなければいけない。

 本能に近い感覚で体を動かしていたはずだが、誰かに抱き留められてからの記憶が曖昧になっている。

 この世にこんなに安心できる場所があるのかと思うほどの安堵感と、瑞々しい花の香りは覚えていた。

 しかし、そうなった理由も誰がいたのかも、何もわからなかった。


「……ルカ!ルカ!しっかりしなさい!!」


「うわぁ!」


 右手の甲に走った針で刺されるような痛みで、一気に意識が覚醒する。

 飛び起きると、急に体を起こしたからかふらっと目が回った。


「ロザリア……?あれ……ここは……」


「私の家よ。全く……昼頃までに戻ってくると言っておきながら、もう夕暮れよ。おまけに余計なものまで連れてきて」


 心配と怒りが混ざった表情で言う主人のロザリアの後ろ、ダイニングテーブルに誰か座っている。

 くんっと鼻を鳴らすと、さっきまで嗅いでいた花の香りが漂っていた。


「……あんた誰だ」


 唸るように言ったルカに、座っていた女性はゆっくりと振り返った。

 明るい茶色の髪は、ふんわりとウェーブがかかっていて柔らかい印象を醸し出している。

 ロザリアが何者も寄せ付けない黒薔薇なら、その女性は誰もが近付きたいと思ってしまう、日差しを受けて輝く向日葵のようだった。


「意識のあるあなたとは初めましてね。アタシはエイミー・グエン。そこにいるロザリアと同じ、上級冒険者よ」


「エイミーって……ギルドの広報誌に出ているあの!?」


 よく見てみれば、知らない顔ではなかった。

 目鼻立ちのくっきりとした顔に、穏やかだけど華やかに笑う表情。

 全身から感じる雰囲気が、見る人を惹き付ける魅力に溢れている。

 そんな彼女は、数年前からギルドの広報誌にたびたび登場し、冒険者以外にもファンがいると聞いたことがあった。


 ソファに寝かされていたルカのそばに座っていたロザリアが、うんざりしたような表情でエイミーを見ている。


「遊びに来るとは聞いていたけど、まさか私の契約者に近付くなんて。知りたいことがあるなら、正面から聞きなさい。あんな尋問紛いのことをしなくても、ルカは答えてくれるわ」


「尋問だなんて、人聞きの悪いことしてないよ。ちょっとリラックスさせて、自分から喋るように誘導しただけだもの」


「それを世の中では『尋問』というのよ!クラウスといい、エイミーといい、どうしてそんなにルカに興味があるのよ」


 額に手を当てたロザリアは、意味がわからないと呟いている。

 同意見だと思いながら、ルカはまた巻き込まれたのかと他人事のように思っていた。


「まあまあ。本人から聞いた方が早いこともあるでしょ?ロザリアの手を煩わせることでもないと思ったの!」


「だからといって、魔法で意識を奪ったのは許さないわよ」


「それは……ごめんなさい。思ったよりも自我が強くて、頑張っちゃった」


 舌をペロッと出して言うエイミーに、ロザリアは今にも怒鳴って喧嘩になりそうだ。


「エイミー様は夕食の予定は?」


 ルカが空気を読まずに尋ねると、考え込んでから首を横に振った。


「では、作りますので食べていってください。そこでまた話せばいいと思います。ロザリアも、落ち着いて」


「ふんっ!!」


 腕を組んで思いっきりそっぽを向いたロザリアを見て、好物でも作ってあげるかと密かに考える。

 へそを曲げると長引くので、気持ちを切り替えるのに食事はぴったりだ。

 それに、彼女がこんなに怒っているのは空腹だからだろう。


■■■■■


 キッチンの様子から、ロザリアが昼食を食べていないのを確信して、空腹が不機嫌の原因だと結論づける。

 早く作れてお腹も満たされるとなれると、麺料理がいいかもしれない。


「パスタを作ろうかと思うんですけど、味付けの好みはありますか?」


「アタシはなんでもいいよ!」


 いの一番に答えたのは、笑顔のエイミーだ。


「……白いやつ」


「チーズは?」


「……ちょっと多め」


 不機嫌でも要望はきっちり伝えてくるロザリアに苦笑いを返して、ルカは手早く準備を進めた。

 乾麺を茹でながら、その間に2種類のソースを作る。

 自分とエイミーの分はトマトを使ったものにして、ロザリアは牛乳とチーズを混ぜたものだ。

 要望通り、いつもより多めにチーズを削って入れておいた。


 茹で上がったパスタとソースを絡めて、皿に盛り付ける。

 その時に、小皿へロザリア用に作ったパスタを少しよそっておいた。


「できましたよ。食べましょう!」


 ダイニングテーブルにパスタが盛り付けられた皿を配膳し、席に着くように促す。

 パスタだけでは寂しいかと思って、サラダとちょうど作り置きしてあったデザートも並べた。


「エイミー様。よかったら、これもどうぞ」


 小皿によそっておいた白いソースのパスタをエイミーの皿の横に置く。


「これってロザリアの……どうして?」


「だって、エイミー様。ロザリアの方も食べたいって思ってたでしょ?うちのご主人、ああ見えて食いしん坊なので。ちょっとちょうだいが通じる相手じゃないですから」


 僕の実体験です、とエイミーに耳打ちすれば、向かい合うように座っていたロザリアから睨まれた。

 その視線に素知らぬ振りをして、ルカはさっさと定位置の席に着く。


「冷めないうちにどうぞ」


「いただきまーす!」


「……いただきます」


 無言で食べ進める2人を見ながら、ルカはため息をパスタで飲み込んだ。


(なんというか、個性的な人が多いな)


 自分自身もその中に入っているとは考えもしないルカは、お手製のパスタを自画自賛しながら食べたのだった。

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