3.人工魔物を調査せよ
第16話 足の生えた魚
右手の甲に浮かぶ薔薇の形をした黒い痣。
痣と呼ぶのが正しいのか、それとも枷と呼ぶべきか。
上級冒険者のロザリアと契約を結んだことでできた繋がりの証は、変わらない様子でそこにある。
それがふと目に入っても、不思議に思わないほど馴染んできていることが自分でも驚きだった。
人間は3ヶ月もあれば新しい習慣に慣れるらしいが、この痣ができてからそれぐらい経つので、納得のいく話である。
契約を持ちかけたルカにとって、この魔法はあまり良いものとは言えなかった。
『自由に行動できない』
『命令には逆らえない』
『契約魔法を破棄できない』
そんな制限が契約者であるルカに覆い被さっている。
普通なら嘆くのかもしれないが、魔法を使う段階で体も魂も対価に差し出した。
生きたいという願いを叶えてもらった恩義と、ロザリアの持つ強さに惹かれているルカにとって、枷である契約は苦しくも辛くもなかった。
■■■■■
枷と言えば、ロザリアとルカの間にはもう一つ存在する。
それが初めての命令で出された『婚約者になれ』というものだ。
異常なほどに異性にモテる彼女を心配したルカがなんとかしてくれと言ったところ、ただの下級冒険者が『孤高の黒薔薇姫』と名高い女性の婚約者になってしまった。
今でもおかしいと思いながら、命令に頷いてしまったのでその枠におとなしく収まっている。
いつか命令が撤回されることがあると期待しながら、ルカは婚約者らしいことをするという話から2人の決まりになった1日1回の「愛してる」を伝えにいった。
「あっ……今日の分忘れてました。愛してますよ」
「私も。愛してるわ」
主人と契約者になった時に、家は一緒のほうが都合がいいと言われて、ロザリアの家にルカが住み込むことになった。
家事全般と食事の用意などはできる人がやることや、部屋は別々にすることなどいくつか決まりを作って生活している。
契約魔法の歴史では、契約者が人として扱われない事案も多く、書物に残されるほどの問題になっていた。
その点、ロザリアはかなり常識的と言える主人であり、ルカにも不満はなかった。
「今日はお休みなんですよね。買い出しに行ってきますけど、必要なものとかありますか?」
2人で暮らすには広い玄関でポーチを腰に括り付けながらルカが言えば、冒険者としての甲冑姿ではない休日らしい格好のロザリアが顎に手を当てていた。
腰まで届く長くてまっすぐな黒髪はゆるく束ねて横に流し、服装も着心地を優先したゆったりしたもの。
そんな格好をしていれば、どこぞの貴族の奥方のように見えるから、美しい容姿というのは不思議なものである。
「必要なものね……石けんはあったかしら」
「買い置きがまだ2箱あります」
「じゃあ、書類用の紙は?」
「一昨日のうちに手配して、今日届く予定です。僕が出かけている間に配達に来ると思うので、受け取っておいてください」
目をぱちぱちとさせるロザリアに、ルカはほんの少し胸を張る。
彼女のそばにいることが多くなって、どんな人にも得意不得意があるとわかった。
強ければ、お金があれば、なんだってできるわけじゃない。
ロザリアは日常生活を過ごすのに不都合はなかったが、収納と片付けが苦手だった。
一度、たまたま開いていた扉から見えた彼女の自室は物が散乱していて、そっと目を逸らして見なかったことにした。
もちろん、ルカにも苦手なことがある。
冒険者になるために家を出てから、ずっと一人暮らしだった。
食事や睡眠よりも魔法の修行や下級冒険者としての仕事を優先してしまい、いつも栄養不足の寝不足状態。
徹夜は当たり前で、目に隈を作ったままロザリアの依頼について行こうとした時にはものすごく怒られた。
『食事は3食……は無理でも朝と夜は絶対に食べること。睡眠時間は可能なら5時間は確保しなさい。家に戻ってきた時だけでもいいか。これは命令よ』
婚約者になれと言われて以来の命令に、他の使い道があっただろ!とは思ったが言えなかった。
それからは朝と夜は必ず何かを食べるようにして、使われていたかも疑問だったベッドもちょっとはくたびれてきた。
毛布や布団の良さを、今になって再確認することになるとは思いもしなかったのだ。
「特になさそうなので、適当に買ってきますね。昼頃には戻ってきます」
「わかったわ。行ってらっしゃい」
ルカが服装を整えると、ロザリアは淡く微笑んで手を振っていた。
こうしてルカだけが出掛ける時、彼女はよく見送りに来る。
勝手に出掛けて帰って来るから大丈夫だと言ったこともあるが、私がやりたいと言われれば断ることもできない。
(本当の婚約者みたいだ……なんて言ったら怒られそうだな)
最初の命令は、たぶん思いつきで、たまたまそばにいたのがルカだっただけ。
体の心配をしてくれるのも、危険が伴う冒険者の仕事があるからだ。
(勘違いしようがないし、自惚れるのは恥ずかしいもんな)
本気で好きなわけがないと思っているから、「愛してる」の言葉も言える。
契約魔法が続くまでの関係。
そこから先のことは、ルカは意図的に考えないようにしていた。
■■■■■
ルカたちが暮らす中央都市シーブルは、国の中でも一二を争うくらい大きな街である。
ギルドの拠点があって、人や物の往来も活発。
魔物から街を守るように建てられた城壁も立派なもので、普段は一般に開放されて観光名所となっていた。
「えっと……トマト、タマネギ、キャベツ、ニンジン、ジャガイモにカブも買っておくか。肉と魚は後からで……すみません!これだけ全部ください!」
精算前の商品を入れておくカゴいっぱいに野菜を詰め込んで、ルカは店主に手渡した。
野菜を中心に店を構える店主のおじさんとは顔馴染みで、いつもお世話になっている店の一つだった。
「よお!また大量に買っていくな。大掛かりな旅でも行くのかい?」
「予定はないけど、ちょっと準備しておこうかと思って。それに、塩漬けとか瓶漬けに加工するのも楽しいですし」
「そうかい?おれは面倒だと思うがな。ほら、ちょっとおまけしておいたから。ロザリア様によろしくな」
金貨2枚と野菜がぱんぱんに詰まった袋を交換する。
店主のおじさんにお礼を言って、袋を肩に担ぐと人でごった返す市場を走っていく。
ロザリアのような上級冒険者になると、そこらの貴族よりも市民たちに名前と顔を知られていることが多い。
偉そうにふんぞり返っているだけの貴族よりも、命がけで守ってくれる冒険者に感謝の気持ちを持っている人はたくさんいる。
店主のおじさんも、若い頃に魔物に襲われたところを冒険者に助けてもらったことがあるらしい。
ルカがロザリアと一緒に買い物に来た時から、こうしておまけをくれるのがお決まりだった。
「あとは肉と魚と……なんだあれ?魚?」
馴染みの店で何を買おうかと考えながら小走りで駆けていると、視界の隅で変なものを見た。
一瞬、目に映っただけだったが、それは確かにおかしかった。
市場から路地に繋がる道を、足の生えた魚が列をなして歩いて行ったのだ。
さっと周囲を確認するが、ルカ以外に見ていた者はいないらしく、誰も気にしていない。
(街の中に魔物がいる……?だけど、魔物特有の気配を感じない)
姿形が不可思議なものは、まず魔物であることを疑う。
しかし、魔物と対峙することの多い冒険者には、彼らが持っている独特な気配を感じ取ることができた。
ルカには人間とも動物とも違う、背中がぞわぞわするようなものが彼らの気配だと認識している。
それを感じないということは、あれは人が作り出したものということになるだろう。
(幻惑魔法の類なら、僕にだけ見せたのか?)
これだけ賑やかな市場の中で、ルカだけを狙って使われた魔法だと考えれば、足の生えた魚は興味を引くのに十分だ。
ロザリアに言った昼までに戻るという約束と、好奇心を天秤にかければ、わずかに後者が優勢だった。
(危ないようならすぐ逃げよう)
ロザリアの婚約者関係で危険な目に遭いすぎて、ルカの危機感は狂ってきていた。
本人の魔法による防御に対する自信もあるせいか、多少の危険には飛び込んでいってしまう。
野菜の入った袋を担ぎ直し、ルカは進んでいた方向を変えて、市場の雑踏から路地へと姿を消した。
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