第10話 突然変異
もはや相棒とも呼べる荷車を引きながら、ボーンライノスと呼ばれる魔物に追いかけられた道を戻る。
ボーンライノスに出会ったら逃げろと言われるほど強力な魔物であるが、実際の生態はそこまで凶暴ではない。
敵と認定されなければ、必ずしも襲われるわけではないのだ。
ルカたちは身を潜めながら群れのそばを通っただけだったが、命の危険を感じる勢いで追ってきた。
ロザリアが言っていた、群れに異変が起きているというのも現実味を帯びていると思った。
「お待たせしました。クラウスさんも連れてきましたよ」
ルカが声をかけると、たくさんのボーンライノスが倒れ伏している中で1人立っているロザリアが振り返った。
相変わらず隙のない美しさはそのままで、周りに広がる状況を作った人物とは思えなかった。
「ご苦労様。ちょっとこっちへ来てくれる?」
重なるように倒れているボーンライノスたちにぶつからない位置で荷車を止めて、クラウスと共に歩いていく。
襲いかかってくることはないだろうとわかっていても、まだ息のある魔物たちの中を平気な顔で歩くことはできない。
ちらりと横を見ると、瞳を少年のように輝かせているクラウスがいて、そういえばこの人もおかしい人だったと思い出して視線を逸らした。
「ルカ、クラウス。この子の様子を見てほしいの」
ロザリアが指差したのは、足下にうずくまっている幼体のボーンライノスだった。
体長はルカの荷車に乗るくらいで、、まだ角も成長しきっていない。
幼さの残る顔立ちから、生まれて間もないのではないかと推測できた。
「ボーンライノスの幼体ですね。それがどうかしましたか?」
「角の周りをよく見て」
言われて、顔を近付ける。
これから大きくなるであろう角から見て額側に、小さなこぶのようなものがあった。
まるで、もう1本の角が生えようとしているようだった。
「ロザリア!これは大発見だぞ!?ボーンライノスに2本の角を持つ個体がいるなんて聞いたことがない!」
クラウスが興奮したように話すのを横目に、ロザリアはしゃがみこんで幼体のボーンライノスを支えるように触れた。
「クラウス、少し落ち着きなさい。ルカ、この子に治癒魔法を。周りに倒れているボーンライノスも完全に討伐してはいない。傷口が塞がる程度でいいから治してあげて」
「それは構いませんが……この幼体が異変の正体ですよね。あとで説明してくださいよ」
「必ず」
真剣な表情で言ったロザリアと同じようにしゃがみこんだルカは、そっとボーンライノスの幼体に触れて治癒魔法を施した。
人間相手に行うのと魔物相手では勝手が違うけど、どちらも大まかに分類すれば生き物だ。
傷口の治癒を最優先に治療すれば、うずくまった動かないボーンライノスの耳がぴくりと揺れた。
■■■■■
傷を治した途端に襲われるのではないか、なんて思いながら恐る恐る治療していたが、ボーンライノスたちは意外におとなしかった。
傷口が塞がるとゆっくりと立ち上がり、幼体を心配するように集まっていく。
ロザリアがそばにいるからか、一定以上の距離から近寄らずにじっと様子を伺っていた。
「ボーンライノスの治療完了です。傷口を塞いだだけですけど、これでよかったんですか?」
ルカは完全に治療しなくてよかったのかと思っていたが、ロザリアの考えは違っていた。
「傷を完全に治してしまうとまた襲いかかってくるわ。周りにいるボーンライノスたちが守りたいのはこの子。私も意味のない討伐はしたくない。彼らだって争う気はないみたいよ」
ロザリアの言うように、ボーンライノスたちからは警戒心は伝わってくるが、殺気のようなものはほとんど感じない。
争う気はないのはわかったが、それで安心できるかと言われたら別問題だった。
「そろそろ説明してください。2本角のボーンライノスの幼体。これが異変の正体なんですよね?」
ルカが尋ねると、ロザリアはうずくまった体勢から半分座るような形になったボーンライノスの幼体を見て顔を上げた。
「この子は突然変異の魔物よ。そう言った個体が群れに現れると、凶暴性が上がることは知っているわよね」
「本で読んだだけですが。突然変異の魔物から分泌される体液が原因だ、なんて言う学者もいるとか」
「それだけが原因とは断言できないわ。でも、特殊な個体がいることで群れは凶暴になる。そして、目の前にいるこの子は自然とこうなったわけではない気がするのよ」
ロザリアの言葉に、ルカは首を傾げるしかなかった。
自然発生ではない突然変異の魔物。
ということは、誰かが意図的に作り上げたことになる。
「だ、誰がそんなことを!?それより、そんなことをする意味がわからない」
「意味ならあるさ。大いにね」
2本角のボーンライノスに興奮した声を上げて以来、黙っていたクラウスが呟く。
その声音はどこか不気味に思えた。
「クラウス。あなたたちのせいではないわよね?」
「言いがかりはやめてくれ。ロザリアとはいえ、俺だって傷つく」
芝居がかった口調で言うクラウスに、ロザリアは鋭い視線を向けている。
彼女の言った「あなたたちのせい」とはどういう意味なのだろうか。
「俺たち商人は、常に新たな商材を探している。突然変異の魔物なんかは、物好きな貴族連中に高値で売れるが俺たちは商人だ。取りに行くのにかかる費用と成功した利益を計算して、被害は最小限にするのが基本だろう」
「御託はいい。何か知っているなら教えなさい!」
強い口調で言ったロザリアに、クラウスは人差し指を立ててみせた。
「ここから先は商人の命とも言える情報だ。いくら友人とはいえ、おいそれと教えるわけにはいかないな」
「……食えない男ね」
「どうとでも。わかっていて付き合う君も大概だろう?」
ロザリアとクラウスが睨み合う中で、ルカはそっと手を上げた。
「つまり、クラウスさんの利益になるような何かを渡せばいいってことですよね」
2人揃ってルカを見ると、クラウスはふっと吐息だけを漏らした。
「話が早くて助かる。だが、君からはもらえないぞ。これは俺とロザリアの取引だ」
「いいんですか?そんなこと言っていて。自分のことを一流の商人だと言うなら、その顔のままでいることの損害がいくらになるか、計算してみるといい」
「なんだと?」
ルカがクラウスに向けてさっと手鏡を見せた。
そこに映っていたのは、額に大きなこぶを作った決してかっこいいとは言えない男の姿だった。
■■■■■
手鏡を奪い取ったクラウスは、恐る恐る自分のこぶに触れている。
痛みに顔をしかめて、それから体を震わせ始めた。
「な、なんだってこんなことに!こんな顔じゃ誰からも見てもらえない!!」
「あーあ、残念です。僕の治癒魔法ならすぐに治せるけど、関係ないと言われましたから。そのぐらいの傷なら2ヶ月もあれば治りますよ。よかったですね!」
笑顔で言えば、クラウスは手鏡を握りしめたままルカに縋りついてきた。
こぶの原因はルカが荷台に放り投げたことだが、彼はロザリアを脅そうとしていた。
だから、逆にやり返すことに決めたのだ。
「さっきのは言葉の綾というものだ。そ、そうだ!ロザリアと君は契約で繋がっている。取引相手にしてやってもいい!」
「してやってもいい?すみません、ロザリアのために魔力を温存しておかないといけないので。クラウスさんの傷は治せません」
「違う!違うんだ!俺と取引してください!この顔のまま2ヶ月も過ごすなんて拷問だ!絶対に嫌だーー!!」
泣き叫んでいるクラウスが哀れに思えてきて、主人であるロザリアに視線を送る。
辟易した顔で頷かれたので、こぶに手をかざして治癒魔法を使ってあげた。
「ほら、綺麗に治りました。取引なんですよね。次はクラウスさんの番ですよ」
そう言うと、慌てて手鏡でこぶのあった額を見ている。
膨らんでいたのが嘘のようにつるりとした額に、クラウスはほっと息を吐いていた。
「わかっている。これを反故にすれば、商人としての俺の矜持に関わるからな。ただし、今から言うことは他言無用だ。それは約束してほしい」
「いいでしょう。教えて」
ロザリアが促すと、クラウスは声を潜めて言った。
「……ある貴族と、そこの子飼いの冒険者が人工的に魔物を生み出そうとしているらしい。すでに何百体も生まれていると聞いた」
「嘘を吐くなら、もっとわかりやすいものにしてくださいよ。本当にそんなことができるんだったら、冒険者がいる意味ないじゃないですか」
そう言いながら、ルカはすぐに否定されるだろうと思っていた。
それなのに、いつまでたってもロザリアもクラウスも口を開かない。
沈黙は肯定していることと同じ。
認めていることに変わらないのだと、ルカは身をもって知っていた。
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